第12話

 来栖と勉強会を約束した最初の放課後。図書室は相変わらず静かで、ガランとしていた。それでも先客はいるようで、俺が室内に入る様子をちらと見ているらしかった。その視線を避けるように、少し離れた席に座った。その席の反対側には来栖が座っていた。俺が来たことに来栖も気が付いたようで、教科書を睨んでいた顔を上げて俺を見た。その目は先日のように、睨んではいなかった。


「よう、何見てんだ」

「数学、確率の計算なんだけど……」


 そう言い手元の教科書を、俺の前へ滑らせた。今まさに開いているページは確率の文章問題だった。俺は確率に限らず、この手の文章問題が苦手だ。ある程度計算はできる。だが読解力を求められるとなると、もはや別の問題に見えてくる。だから国語は総じて苦手だった。


「うへえ……。すまん、これは俺も自信がない。これこそ、速水さんとか、高色さんの次元だろうな」

「そうか。それは、後で聞いてみるよ。これはどうだ?」


 文章問題の手前の問題を指さす。ただの計算問題だった。それならば俺でも教えることができる。計算はプロセスだと思ってる。たとえ理解はできなくとも、解き方さえ覚えてしまえば、あとは単純な処理だ。今の来栖でも、これならば手っ取り早く点を稼げるだろう。


「それならば、俺でも教えられる。まずは俺の解き方を見てくれ」


 俺はノートを開き、機械的に数字の羅列を記入していった。


 ※※※


 解き方を教え、それをもとに計算問題を来栖に解いてもらっている。その間に、次の問題を確認する。お互い無言で、図書室には紙の擦れる音と、ペンを紙面に当てる音だけが静かに響く。


「なあ、相場」


 突然ぼそりと呟く。その声に、「なんだ?」とつられて顔を上げる。


「なんであのとき、俺に『身の程を知れ』なんて言ったんだ?」

「……俺そんなこと言ったの?」


 思わず目を丸くする俺。誰がどう考えても、下衆なことを言ってると思う。来栖に嫌われるのも仕方のないことだろう。なんで忘れてんだよ俺……。


「憶えてないならいい」

「……すまん。まじで憶えてない」


 ため息をつかれてしまう。


「それはいいんだけど、なんでお前、高色を避けてんだ」

「なんだいきなり」


 さっきからなんなのだろう。どうも突っかかる。来栖の言葉には一貫性がない。思い付きで話しているように思う。


「学園ヒエラルキーの最底辺なんだよ俺って」

「は?」

「知らないだろ。お前は気にしたこともない。とどのつまり、この学園には秩序が必要ってことだ」

「はあ!?」


 やめろ来栖、声が大きい。言ったところで伝わらないだろう。お前らは知らない。この世界は階層社会。それで上手く廻っている。それを崩すことは、あってはならないのだ。来栖の目つきが険しいものに変わる。昨日と同じように。


「やっぱお前、嫌いだわ」


 そりゃどうも……。


「なんで険悪な雰囲気になってるの」


 いつの間にか、高色がそこにいた。部活の時間はまだ終わっていないはず。


「部活おつかれ。高色なんでここに?」

「早く上がれせてもらったの。来栖くんの様子も見たかったし、そしたらこれだもの」


 高色にため息をつかれた。呆れられているらしい。いや、ほんとごめんね……


「まあちょうどいい。俺ではできない問題があるんだ。良かったら教えてくれないか?」


 俺はさっき解くことができなかった、文章問題を高色に見せた。俺から教科書を受け取り、睨めっこをする。そのスキに俺は身の周りの道具をそそくさと、カバンにしまい込む。それを来栖は訝しむように見る。


「なにやってんだ」

「帰る。そういう約束だったろ」


 返事を待たずに立ち上がる。高色がいる時点で、目立つのは避けられない。加えて俺が原因で険悪なムードにしてしまった。この場に俺がいるのはどう考えても悪手だろう。ということで、さっさと図書室を退出する。二人は一部始終を呆けた顔で見ていた。

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