来栖蓮は憤る

第11話

「俺はお前が嫌いだ」


 面と向かって言われるのは、これで2回目だ。はじめて言われたのは、たしか1年生のとき。なぜ言われたのかはもう憶えていない。


「あっそ。興味ねえ」


 無感情でそう言い、立ち止まっていた足を再び動かす。いちいち反応するのもばかばかしい。人に嫌われることは日常茶飯事。陰キャ属性の人間にとっては、当たり前のことだ。

 たてがみのような短髪を逆立て、俺を睨みつける獅子。俺はお構いなしに、来栖の横を素通りする。その様子を、少し離れたところで見ていた高色は、俺に憂いの目を向けていた。


「来栖くんとも、仲良くして欲しいのに……」


 彼女の呟きに対して、無言で首を横に振る。来栖は良くも悪くも、正義感が強く正直な性格だ。だからこそ、俺の不真面目でいい加減な態度が許せないのだろう。俺と来栖が仲良くなんて、どう考えても無理だ。そもそも俺にはその気がない。


 ※※※


「来週小テストを実施するぞー」


 授業最後のHRの時間、このクラスの担任である楓原先生は無機質な声でそう告げる。彼女が吐く言葉には抑揚がなく、表情も機械のようだ。その目は光を失っており、瞳の奥には深淵が広がっている。


 おら知ってっぞ、近ごろ巷で噂の『シャチク』の姿ってやつだ。その小テストの時間は、もともと数学の授業があったはずだ。その担当の教師は先日、急病で入院したと聞く。普段から先輩教師や上司に、こき使われている楓原先生のことだ。おおかた小テストの制作を押し付けられたのだろう。……優秀さはときとして、自分自身を苦しめる。やだ……絶対に働きたくない。


 小テストについての説明が終わったところで、今日のHRは終了した。ということで放課後。俺は荷物をまとめて帰ろうとする。俺はどの部活動にも参加していない。いわゆる帰宅部。授業が終われば言葉どおり、帰るだけだ。

 荷物をまとめ、席から立とうとした背中を、誰かにちょんちょんと指で突かれる。うーん……振り返りたくない。無視する。


「ねえ、相場くん」


 予想通り高色の声だ。なので無視する。


「あーいーばーくーんー」


 またも呼ばれ、指で背中をつつかれる。ええい! しつこい。


「僚くん♡」

「二度とその名を口にするんじゃねえ」


 高色の言い方に悪寒と吐き気を催した。しまった、思わず反応してしまった。張った倒すぞてめえ……


「お願いがあるの」

「いいぞ、聞かないけど」

「いや聞いて、待って、お願い聞いて」


 思わず周囲に目を配る。教室を何人かは抜けていて、少なくはなっていたが、それでも高色へ向ける好奇の視線に俺は疲労を感じてしまう。俺は小さい声で呟く。


「とりあえず話は聞こう。だが場所を変えないか?」

「そうだね。それなら、図書室でいいかな?」

「わかった」

「ちょっと待ってね、部活の先輩にメールするから」

「それなら先に行ってる(もちろん逃げるけどな)」

「大丈夫、すぐ終わるから」


 そういい、すぐさまスマホを取り出し、流れる手つきで文字を打っていく。それを見た俺は静かに教室を出ようとした。そのとき高色は、画面に集中していた目を俺に向ける。花でも咲きそうな、満面の笑みだった。思わず見惚れそうになる。


「一緒に行こう、ね?」

「はい……」


 おとなしく従うことにした。いや、べ、べべ、別にビビってねえし……


 ※※※


放課後ともなると、図書室は人が少なくなる。この学園の人は大抵、部活に赴くからだ。ここにいるのは、俺のように部活をしていない人か、何かしらの事情で部活に行けない人たちだろう。毎週水曜日や、テスト期間中は図書室の利用者が増える。部活動を休止するのが、この学園のルールだからだ。そんな中、この部屋に先約がいた。俺の知っている人物で、絶対にここにいないであろう男だった。その男は、俺を見るや否や、朝と同じように睨みつける。


「俺もう帰っていいですか……」

「何言ってるの、まだ何も話してないでしょ。来栖くんも笑ってよ、表情が固いよ」

「俺のことは気にしないで」


 そうは言われても……。ずっとそんな顔でいられたら、さすがの俺も気が滅入る。高色も苦笑を浮かべる。高色はそそそと、俺から静かに離れ、来栖の隣へと移動する。そしてそっと、何かを耳打ちした。しかめ面をした来栖は俺を見つめ、意を決したように口を開く。


「相場、俺に勉強を教えてくれないか」

「……なんて?」


 なんて? え? なんて? ごめん思考が全然追いつかない。


「実は俺さ、学年が上がってから、授業についていけなくなってさ。しかも来週小テストあるだろ。だからここで、巻き返したいんだよな」


 来栖の言い分はごもっともだ。それは俺も痛感していた。俺は辛うじてついていけているが、また更に難易度が上がれば、俺すらもお手上げである。ただでさえボッチなのだ、一度でも病欠したらもうアウト。一気に単位落下確定のジェットコースターを下ることになる。


「だとしても、俺なんかでいいのか? 俺も正直成績が良いとは言えない。それこそ、高色さんに教えてもらったほうがいいだろう」


 来栖も高色も困ったように顔を見合わせる。どうにも解せない。


「あたしは部活もあるし、そこまで時間作れないの。だから相場くん、お願いできないかな」

「部活は来栖もあるだろう。その上、俺は帰宅部だ。来栖が部活終わるまで待てるほど、俺はお人好しじゃねえぞ」


 二人は唸って俯いてしまう。さすがの高色も、それ以上は踏み込めないのだろう。根は優しい人たちなのだ。来栖は重そうに閉ざした口を開く。


「俺、小テストが終わるまで、部活休むよ。それでお願いできないか」


 その表情は真剣そのものだった。授業の遅れを取り戻すのは、彼にとって切実なことなのだろう。そう言われてしまうと、俺も断りにくくなってしまう。


「俺は目立ちたくない。他の連中に、来栖と高色さんと、俺が接触しているところを見られなければいい。それが守られれば応じる」

「わかった……。今はそれでいい」


 来栖はそれで納得した。高色は無言だったが、その表情はどこか不満げであった。

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