第10話

 今度こそ、高色は来栖の助成を借りてクッキーづくりを再開した。それを終始微笑みながら見る速水。あなたはずっと見てるだけなんですね……。そういう俺も見てるだけだが。ああん、もう! なんでそこでフレッシュな果物を入れようとしてるの!? 生地が固まらなくなっちゃうでしょうがああぁぁぁ……!!


「君おもしろいね」

「あん?」


 いつの間にか、速水が俺に肉薄していた。うん、この言い方だとまるで喧嘩みたいだね。実際俺メンチ切ってるしね。言い得て妙だね……マル。


「普通は他人のために、必死になったりしないよ。今だって、彼らの奇行を止めたいって思ってるんでしょう」

「あんたは奇行って言ってあげるなよ……。あとその言い方だと、俺善人ってことになっちゃうでしょうが。違う。俺のこれは押しつけだよ」

「何が違うの?」

「あいつがクッキーを作れなくても、マジでどうでもいい。俺は俺のためにしか動かない」

「ふーん? やっぱりおもしろい」


 速水は微笑わらう。無邪気な子供のように。


「相場君とは、仲良くなれそうだ」

「それは光栄です、陛下。俺はそうは思わないけどな」

「どうして?」

「俺と速水さんでは、性質が違いすぎる。水と油だよ」


 良くて隣り合うことはできても、決して混ざらない。毒気のない笑顔を見て思う。彼は人に嫉妬や憎しみの感情を抱いたことがないのだろう。だから速水は俺の心が理解できない。


「僕はそう思わない。僕も君も同じだよ。君は、君が望めば、僕の隣を歩くことだってできる」


 意味がわからなかった。なぜそう思えるのだろう。俺がどんなに望んだって、足掻いたって、俺は速水のようにはなれないというのに。


「速水さんは挫折って知ってるか?」

「ないよ。たとえ手が届かなくても、目標に挑み続ける限り、挫折にはならないと思う」

「そうだよな。俺もそう思う」


 迷いのない顔を見るに、本気でそう思うのだろう。彼は自分の理想のために、それを掴むために、ずっと手を挙げ続ける。それがいつまでも叶わなくても、手を下ろさない限り、挫折にはならない。速水の考えに、俺は正直にすごいと思った。尊敬する。


 何かに憧れ夢にすがって燻り続けるか、我慢できなくて自ら追うか、そもそも夢なく平凡に生きるか、この学園にはそういう人たちしかいないだろう。高校生とはそういうもので、それが普通だ。


 理想を追い、一筋の光に手を伸ばし、理想に裏切られ、折れてしまった奴がこの学園にいるなんて、どう考えても正気の沙汰じゃない。


「だから俺と速水さんは、仲良くなれない」


 その言葉に、速水は驚いたような顔をする。俺はそもそも、最初から目標に手を伸ばさない。


「そうかな……。それでも僕は、」


 速水が何か言っていたが、聞き取れなかった。そのつもりもなかった。心底どうでも良かった。ただ、なんとなく彼の顔が寂しそうに見えた。


 ※※※


クッキーづくりは無事に終了した……らしい。傍観していただけの俺にはわからない。その俺の目の前には、カタチが不揃いの赤茶けた土くれ達が転がっていた。おそらく焼いたときに形を保てなかったのだろう。形が崩れて、粉々になっているものもあった。トレーの上には砂漠が広がっていた。見ただけで喉が渇きそう……。無事って何だろうね。


「これ俺が食うの……?」


 「えへへ」と笑顔で俺にトレーを向ける高色さん。鼻のてっぺんに白い粉をつけて、クッキーを渡そうとする姿はなんとも健気でかわいらしい。まさに砂漠の中のオアシス。砂漠の上じゃなかったら惚れてたんだよなあ……


 砂漠に手を突っ込み、口元に運ぶ。真剣な面持ちで俺を見つめる高色。


「うん、まずい。清々しいほどまずい」

「そんなはっきり言うの!?」


 俺の酷評に、ショックを受けているようだ。だがな高色よ、今のうちにそれでは最後まで保たないぞ。俺のターンは終わっちゃいない。いいか覚悟しろ。ずっと俺のターン!!


「まず味見をしてないな。はいマイナス2Pt」

「う……」


 高色が呻く。反論の余地もないようだ。だが俺の攻撃は続く。


「卵を混ぜるとき、一気に入れてたよな。レシピ本読んだ? マイナス6Pt」

「ぐ……」

「薄力粉がちゃんと混ざり切っていない。だからダマになったんだ。マイナス3Pt」

「そんな……」

「生地を寝かさずに、そのまま焼いた。マイナス100Pt!」

「ちょっと厳しすぎない? あと絶対楽しんでるでしょ……」


 もちろんだ。俺は心の中でそう呟いた。


「そして、そしてー、そうしてできたのがー……。この砂漠サハラと土くれだ」

「そこまで言わなくていいでしょう!?」

「何か文句あるか?」

「いいえ、ないです。あたしのライフはもう0よ……」

「Winner、俺」


 勝利の拳を天に突き上げる。白目を剥いてへたり込む高色。一部始終を見て俺に、ジト目を向ける来栖と、さすがに苦笑を浮かべる速水。混沌カオスが広がっていた。それも束の間、俺は高色に近づき、耳打ちする。


「本命に渡せのるか、これ」

「そうだけど、そうだけど……」


 胸の前で、人差し指同士を突き合わせる。完全にいじけてしまった。この顔を見るの、これで何度目だろう。案外打たれ弱いのかもしれない。


「そこまで言わなくてもいいじゃない」


 頬をぷくっと膨らませて俺を睨みつける。全く……かわいいって思っちまうじゃねえか。


「何を言う。俺だからいいんじゃないか。だから次はもっと上手くやれよ」

「いやもう、やめようかなーなんて、へへへ……」


 完全に自信を喪失している。俺はトレーから、また一つクッキーをとり口に運ぶ。もさもさあ……うん、まずい。もはや焼いた小麦粉だ。材料とレシピ本が揃っている状態で、よくもまあここまで失敗できたと感心してしまう。そんな彼女がクッキーを作っている様子は、ふざけているでもなく真剣そのものだった。手作りな気持ちを伝えたい、その情熱がこもっていた。高色が出来上がりのクッキーを、俺に見せたときの顔はとても嬉しそうで、でも少し不安そうで、だから俺は―――


「俺には気持ち伝わったよ。だからこそ、次はちゃんと届けて欲しい」

「へ……?」


 面食らった顔をしていた。いままで散々酷評を受けたのだ。俺のその言葉は意外だろう。でもやがて、彼女は嬉しそうにはにかんだ。


「うん!」


 高色は元気を取り戻した。



 クッキーは間もなく、速水と来栖にも振舞われた。二人とも何とも言えない顔をする。高色も食べた。ものすごい微妙な顔をした。だがすぐに笑い出した。それを見て速水達も笑った。


 なにはともあれ、授業は無事に終了した。


 その様子を離れたところから、楓原先生は見ていた。彼女はそっと呟く。


「やっぱり、君がいてくれたのは良かったと思うよ。私の目論見は、間違いではなかった―――」


 彼女は優しく微笑んだ。

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