速水瀧は微笑う

第7話

 速水瀧はやみたき


 地球ほしの王子様。彼を一言で表現するなら、この言葉が最も適しているだろう。なにそれ、意味わからないって? うるせえぞ!


 成績優秀、温柔閑静、文学少年を思わせるような外見とは裏腹に、運動にも秀でていて、サッカー部ではキャプテンを務めていると聞く。男女共に人気を博しており、その様はまさにこの学園ほしの王子。今日も今日とて、彼はいつものごとく甘い笑顔を貼り付け、絹のようなサラサラ髪をかきあげ、目の前の女生徒どもを釘付けにしていた。


 俺はそれを横目で見ていた。いつにも増して、取り巻き達と速水との距離が近しい気がする。

 特に女子どもだ。何かをしつこく問い質しているようにみえるが、それを速水が器用に躱している。なんてことはない。明日は家庭科実習があり、そこでお菓子を作ることになっている。おおかた速水に好意を向ける人たちは、彼の好みが知りたいと躍起になっているのだろう。速水に気に入られたいがために、彼に貢ぎ物をしようというのだ。


 速水の周囲に集まる熱気に充てられ、高色は苦笑している。どことなく顔色が良くないように見える。もしや、あまり眠れていないのでは? まあ、どうでもいいけど……


 速水がたまらず、視線を泳がす。その視線と俺の目が合いそうになったので、咄嗟に視線を逸らした。前に向き直り、机の中に手を入れる。後ろのほうで、ゆったりとした足音が聞こえてくる。やがて俺のすぐ後ろで止まる。気になってつい、後ろを振り返る。そこには優しい笑顔を貼った、速水が立っていた。視線があってしまった。完全に油断した。


「やあ、おはよう」

「……うっす」


 やだもう、つい返事してしまった。なんだよ、うっす、じゃねえよ……。咄嗟に気の利いたことが言えないのが、陰キャの悪性である。そんな俺の言葉にも、一切顔をしかめない速水。実は陰キャに優しい陽キャなのでは? それがトレンドなのかもしれない……違うか、違うな。


「焼き菓子の中で、一番何が好きだ?」


 やだもう俺ってば、何を訊いているのか。これではまるで、速水に気があるみたいじゃないか。ちょっと優しくされたぐらいで、すぐに勘違いを起こす。そして告白して振られるまでがセットだ。それが陰キャの宿命……ってまんま俺のことですね、はい。振られちゃうのかよ!


「そうだね。僕はクッキーが好きかな」

「へえ……。意外と素朴なんだな」


 そんな俺の突然の問いにも、真面目に答えてくれる速水。速水と会話できたことが、なんか嬉しいと思った。なんだろうこの胸の高鳴り。それはトキメキ、胸はドキドキ……そうか、取り巻き達の気持ちが少しだけわかった。うほん!


「だって、作りやすいでしょ」

「作りやすい? まさかクッキーを作るつもりか?」

「どうしようね。他のにしようかも、悩んでいるんだ」


 顎に手を当て、考えるようなしぐさをする。悩んでいるというより、それを楽しんでいるようだ。その笑顔が子供のようで、俺もつられて笑う。魅力的な男だと思った。


「君は何を作るの?」

「へ? 俺か? 俺はもちろんサボるぞ」

「もちろんなんだ……よく胸を張って言えるね」

「日常だからな。都合が悪いことは逃げるに限る」

「やめたほうがいいと思うんだけど……楓原先生怒らせると怖いって聞くから」

「安心しろ。問題ない。それも日常だ」


 速水は眉間にしわを寄せて、こめかみを手で押さえる。頭痛でも痛いのだろうか。お薬でも処方しようかしらん?


「何が日常だ。私の前でサボタージュを公言するとは。よほど肝が据わっているとみえる」


 突然の横やりに背筋が凍る。目を向けた先には、目の端を釣り上げ、不機嫌そうに俺を睨みつける楓原先生の姿があった。猫のように凛とした瞳で俺を射抜く。後ろにまとめてあるポニーテールが尻尾のごとく揺れる。


「先生いつの間に……。いやだなー、サボタージュですか? それどんな西欧スープポタージュ?」

「おもしろいジョークだな。ああ? それで? 明日の家庭科、なにを作るんだ?」

「いやあ、それがですね。俺組む人いなくて……授業に参加できそうにないっす。いやーザンネンだナー」

「はっは。相場が勤勉なのは知っているからな。安心したまえ。私のほうで声を掛けておいたよ。『ボッチで哀れな相場のために、救いの手を差し伸べてくれ』ってな」

「ふざけんな、クソババア」


 ガン!!


 楓原先生は目をカッと見開いて、勢いよく俺の机に拳を叩き込む。……机の中央がくぼんだ気がするのは、おそらく気のせいだろう。


「おおん? ごめん相場、聞こえなかった。もう一度言ってくれないかね」


 顔を俺の近くに寄せる。その目はめいいっぱい見開かれ、俺を睨みつける。まるで獲物を狩ろうと捕捉する猛禽類のようだ。言葉を間違えたら命を刈り取られるだろう。


「あ、いえ、なんでもありません……山姥やまんば様」

「小僧……。こんなときにも、減らず口きけるとは。本当に肝が据わっているよ」

「それに免じて、班割りの件なかったことになりませんかね?」

「そうだな、機会をやろう。君がちゃんと断るんだ。そのうえで君自身で交渉しなさい」


 楓原先生が底意地の悪い笑みを浮かべる。なぜだろう、とても嫌な予感がする……。


「相手って誰ですか?」

「高色、来栖、速水だ」

「なんで……」


 おもわず机に突っ伏した。


「ほら、4人で組まなきゃならないでしょう。3人はすぐ集まったんだけどね、あと1人がどうしても決まらなくて。そこで楓原先生に相談したら、相場君がいいってことになってね」


 速水が助け舟を出してくれる。その優しさに俺の目が潤んだ。決してその舟が座礁したことを、悲しんでいるわけではない。いやだもう、帰りたい……

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