第2話

 朝は暖かな春風も、放課後にはもう冷たくなってしまう。日はもう傾き夕焼けが見える。その綺麗な景色をひとりでポツポツと歩き、向かうデパートで何を買うか思考を巡らせていた。


 チリンリーン……と後ろからベルが聞こえた。歩道を歩いていた俺は、車道よりも外側、塀側へと身を寄せる。俺の横をすうっと、自転車が横切る。横目に見えた、長髪の揺らめき、そこから微かに漂うフレグランスの良い香り。自転車に乗る女性の後ろ姿につい見惚れてしまった。

 その女性は俺の目の前で急停車し、自転車からさっと降りる。その鮮やかさに驚愕とした。


「いやー、相場くんてば、正門の外としか言ってないんだもん。ずっと探しちゃったよー」

「……」


 その執念に少しばかり恐怖心を抱いた。背筋に寒さを覚えたのは、おそらく気温のせい。


「いやすまん。俺としたことが、ちゃんと決めておくべきだったな」

「それで相場くん、どこ行くの? どこ行こうとしてたの? なんでここにいるの? ねえねえ」


 穏やかなその表情の裏には「お前なんで逃げたの?」という意味が込められていた。……気がするだけだ。真相は知らね。べべべ、別にビビってねえし。


「それはどうでもいいだろう。朝俺が渡した封筒について何か聞きたかったんだろ」


 相変わらず俺への視線はジトっとしている。何やら不服そうだ。ため息までつく始末。誰だ彼女を困らせてるやつ。やめなさい、美人が台無しだよ。


「はあ……。いいけど、藤原輝光ふじはらてるみつって誰なの?」

「知るわけないだろう。自他共に認めるボッチの俺だぜ」

「自分で認めちゃダメだと思うな。え……なんで知らないの?」


 件の封筒を取り出し、その中にある便箋を引き出し広げようとした。


「やめろやめろやめろ! 俺に見せるな。プライバシーに関わるだろ」

「その反応に、いろいろと思うところあるんだけど……。相場くんが書いたものじゃないってこと?」

「いかにも」

「この手紙書いた人と会ったことは?」

「無い。直接貰ってない。匿名希望だからな」

「目的は何なの?」

「知らん。何も聞いてない。少なくとも俺は、高色さんに渡すよう指示されただけだ」


 SNSで接触してきた匿名希望は、高色と俺が同じ学校ということで、この手紙を間接的に渡してきた。素顔を隠した状態で。もちろん俺もだ。


「だから高色さんの無駄足だ。言っておくが謝らないぞ。俺は何も悪くない」


 それを聞いて、はあぁぁぁ……と盛大にため息をつかれてしまった。どうやらお疲れのようだ。


「なによ、なんなのよもう……えぇ……もう」


 その場でしゃがみ込み項垂うなだれてしまう。地面に『の』の字を書く。なんとなくだが、不貞腐れているように見える。俺になにを期待したんだ……

 それもやがて、事実を受け入れたのか、シャキッと立ち上がり俺に近づいた。


「もう一度聞くけど、藤原輝光って人とは面識がないんだよね?」

「全くない」

「そう、わかった……」


 そう言うと、踵を返して自転車に乗る。もう満足したようだ。軽く手を振って行ってしまう。


 なぜかその顔が、少しだけ悲しそうに見えた……


 ※※※


 翌日の朝のこと。


 あいも変わらず学校へと向かう。暖かな陽射しが心地いい。陽の光を浴びながら歩くこの時間を、俺は割と好きだ。


 ―――しばらくして学園に着く。あたたかな気温に気が緩んだ俺は、遅刻ギリギリの時間まで寝てしまっていた。もうすぐ授業開始。この時間の昇降口にはもう人の気配はない。……ただ一人を除いて。

 それはブラウンの長髪を垂れ下げた、可愛らしくも美しい少女だった。


「なにしてんすか」

「あ、相場く…ん?」


 急な声かけに驚く高色。声色には動揺が見えたが、それもすぐに落ち着く。


「あら、いつぞやは、あたしから逃げたくせに相場くんから来るなんて珍しいね! 何かあったの?」

「ぐはっ……」


 思わず腹をぶん殴られたような声が漏れる。会っていきなりこの傷である。ボッチ陰キャが、学園のアイドルに声かけるもんじゃねぇな。まあ、ほぼ自業自得だけど……


「もうすぐ授業が始まる。教室行かないのか」

「そ、そそそ、そうね! 急がないと」


 口ではイソイソしいが、その割に下駄箱の前で往生するだけで、靴を履き替える気配がない。何かあるのだろう。聞くのも野暮ってもんだ。知らんふりして先に行く。教室へ向ける足をよそに、つい目を後ろへ向ける。高色の表情がチラと見える。


 ……またか。先日も見た。悲しそうなその表情―――



 びぇっっくし! と突然の盛大なくしゃみ。花粉だろう。暖かくなるのもいい事ばかりではない。ポケットからちり紙を取り出して、鼻を拭き取る。廊下の隅にちょうどゴミ箱があったので、ちり紙を捨て……ようとして手を止めた。ちらと気になるモノが目に入ったからだ。手を突っ込み取り出す。


 それは片方の上履きだった。かかとには「高色」と記されていた。


 高色とは無縁のことだと思っていた。嫌がらせの被害を受けるのはどちらかといえば、俺のような人種だ。学園のアイドルなんて祭り上げられている高色も、みんな仲良くとはいかないらしい。

 高色と俺を重ね合わせて比べてみる。例えば俺は、人との関わりを持たずに生きてきた。単に面倒だからだ。そんな俺でも高色が、みんなと仲良くおしゃべりしている姿を見て、羨ましいと思うこともある。だがそれは幻想なのかもしれない。彼女には彼女の、人気者には人気者の苦労があるらしい。


 人との関わりなんか、持つもんじゃねえな……

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