七分袖
西野ゆう
第1話
「勇気を出して」なんていう小娘にするような助言なんていらない。そもそも自分に度胸がないわけでもない。ただ冷静にリスクを考えた結果、こうなっただけだ。
麻希はそう自分にうそぶきながら、結局着なかった七分袖のシャツを、タンスから押入れの中の衣装ケースへと移した。
秋はこの北国を一瞬で通り過ぎる。
それでも麻希が明るいドット柄のシャツを買ったのは、燃えるような夏を過ごしてしまったからだ。
大学二年の夏、二十歳になった麻希は多くのことを覚えた。汗をかいた後に飲む冷えたビールの味。酔いで火照った身体を冷ますシーツの感触。冷えた肌に、違う熱さをもたらす男の指先。気怠さと心地よさとの大きな波の中での深い眠り。
「好き」という感情が、抱かれた後に芽生えるという現象は、それらの中でも麻希に大きな衝撃を与えた。告白して、付き合って、それから時間が経てばそういうことにもなるかもしれない。今まではそう考えていた。
バイトと夜遊びに明け暮れた夏休みも終わったあと、初めてキャンパスに向かうバスの中で、麻希は隣に座る友人に夏の出来事を打ち明けた。
「遊ばれてんじゃない?」
友人の予想通りの反応に、麻希は苦笑した。
「女で遊べるほどにいい男じゃないから」
それに対してこう返した麻希は、じゃあなぜ自分はこんなに熱を上げてしまっているのかと自問したが、その時は答えが見つからなかった。恋とはそういうものだと、麻希も理解している。ただ、どう解決するべきかはわからなかった。
「とりあえずさ、言葉でちゃんと気持ちを伝えないと良いことないよ」
そうアドバイスを寄越した友人に、麻希は頷いた。自分でもそうしないと、ズルズル身体を求められてそれに応えるだけの関係になりそうな気がしていた。
順番はちぐはぐになってしまったが、その来たる日の為に美容室で髪を明るくし、新しい服も買った。だが、麻希がその男と週末に会う約束をメールで交わした翌日、思わぬ光景を目にした。
彼がバイトしているコンビニの前で、見知らぬ女が、彼の前に立ってリボンが付いた紙袋を渡している。彼の横に立っていた彼の友人が、彼の背中を叩いて冷やかしている。大学からの帰りのバスから見えたその光景は、声など聴こえないはずなのに、ハッキリと文字となってバスの窓ガラスに浮かび上がった。
彼と見知らぬ女が手を握り合ったところで、麻希は視線を外した。
「そんなにいい男でもないのに……」
じゃあなぜ好きになったのか。自問してもやはり答えは出ない。
本当は好きになってなどいなかったのではないか。言い聞かせようとしても、こぼれ出した涙は止まらない。
この街を秋は一瞬で通り過ぎて行く。
麻希は七分袖の服と一緒に、夏から引きずってきた熱っぽい心を儚く畳んだ。
七分袖 西野ゆう @ukizm
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