36 ごあいさつ

 空になった幌馬車を漁る盗賊たちに近づくノアは、彼らの姿を確認するに、大した労力は必要なさそうだと推測した。盗賊は全部で五人。幌馬車の向こうに別の幌馬車が停まっているところを見ると、そちらが彼ら盗賊たちの本来の乗り物なのだと分かる。

 せっせと荷物を運び出す彼らの勤勉な様子にノアは肩の力を抜いていく。


「殺すなよ」


 隣を歩く騎士に指示したのはそれだけだった。騎士はノアの言葉に黙って頷く。

 盗賊たちが運んでいるのは大半が木箱で、急ぎつつも慎重に幌馬車に詰め込んでいるのが印象的だった。もっと乱暴な動きを取りそうなのに、随分と訓練された者たちだ。

 ノアは歩く速度を緩めることなく真っ直ぐ彼らのもとへ向かっていった。


「ちょっと君たち。通行の邪魔なんだけど」


 彼らにかけた声の調子も特別険しいこともなく、半ば呆れた様子を含んでいた。


「あ? あんたらなんだよ。そっちこそ邪魔すんな」


 盗賊の一人がノアと騎士に気づいて舌打ちをする。ついでに溜まっていた痰を吐き出したのか、不快な音がノアたちの耳にまで届く。ノアと騎士は嫌悪を覚える耳障りな挨拶に顔をしかめた。


「なんだ。随分お上品な格好をしてるじゃねぇか。痛い目に合いたくないなら、さっさと失せろ」

「そうだ。三秒だけ見逃してやるからさ」


 盗賊たちはノアと騎士をからかうように下品な笑い声で騒ぎ立てる。

 ノアはゲラゲラ笑う彼らに視線を向けたまま、隣の騎士に軽く合図を出す。すると、騎士は腰に帯刀していた短刀を即座に抜き、盗賊たちに刃を向けた。ノアも騎士も、いたって冷静な顔つきのままだ。

 短刀を突き出された盗賊たちは、何事かと目を見合わせた後で、その小動物の威嚇のような僅かな抵抗を嘲笑う。

 面白おかしく笑う彼らの中には、腹を抱える者もいた。


「なんだよ、嬢ちゃんたち。そんなに相手して欲しいのか? なら、望み通り構ってやるよ」


 腹を抱えて笑っていた盗賊の一人は胸元から短銃を取り出し、わざとらしく二人を挑発する。盗賊たちは次々にそれぞれの武器を手に取ると、一斉に二人に向かって走り出す。大群で襲い掛かってくるヌーの群れのようで、ヌーと人数は比較にならなくとも勢いだけで言えば彼らの威勢に地響きすら鳴ってしまいそうだった。

 が、盗賊たちがノアと騎士に辿り着く前に二人は瞬く間に姿を消す。手品のように視界から消えた二人に盗賊たちの動きが一瞬止まる。すると。


「手を取らせて悪いな」


 盗賊たちがわざわざ自分たちに構ってくれたお礼を言いながら、上空から降ってきたノアが刀を持った盗賊の頭を捻り潰す。


「ぐええっ‼」


 頭を蹴られ、地面に叩きつけられたと同時に首を両足で締められた。刀を手にした盗賊は途端に白目を剥いて意識を失う。彼の手から刀を奪い、ノアはくるりと身を翻らせて背後から襲いかかろうとしていた別の盗賊の足元を切りつける。


「ぎゃあああっ‼」


 太ももを二往復分切りつけられた盗賊は、悲鳴を上げてひっくり返る。


「悪い悪い。そんなに反射神経が良いなんて思いもよらなかった。やるな」


 ノアはそんな彼に対して軽い謝罪を告げると、甲羅をひっくり返らせた亀の如く藻掻く彼に手を差し伸べる。気が動転したのか彼は素直にノアの手を取った。彼が起き上がろうとしたところで、ノアは彼に容赦のない頭突きを食らわせる。

 痛みに呻いたまま、彼は今度こそ気を失って倒れてしまう。


 ノアが二人を相手している間にも、もう一人の騎士は別の二人と対峙していた。ノアがちらりと様子を窺えば、騎士は短銃を奪って盗賊を圧倒している。特に助太刀する必要もなさそうだ。あとの二人を彼に任せ、ノアは刀を捨てて盗賊たちの幌馬車がある方へと向かう。

 幌馬車に繋がれた馬が鳴き声を上げてじたばた暴れているように見えた。


「まだ出会ったばかりだろう。ここでお別れなんて寂しいじゃないか」


 幌馬車の御者席に座った盗賊のもとへノアがひょいっと顔を出せば、彼は雄叫びを上げて慌てて馬を鞭で叩く。そんな反応をされてはどちらが悪党か分からなくなる。


「やめろ。怖がってるだろ」


 馬も混乱しているようで、鞭で叩かれても前足を大きく上げて嘶くだけだった。ノアは馬の身体をそっと撫で、御者である盗賊を叱責するように睨みつける。


「ひいいい」


 ノアの落ち着き払った態度が奇妙だったようだ。盗賊は上擦った悲鳴をあげて身体を逸らす。ノアに畏怖を覚えたのか、彼は御者席を飛び降りて懐から銃を取り出す。


「おっと。ようやくその気になってくれたか?」


 彼が銃を取り出すと、ノアは満足気に唇を歪めて笑う。彼の不気味な反応にますます怯えた盗賊は、何を考えるよりも先に銃の引き金に指をかける。が。


「うわああああぁっ‼」


 銃声よりも先に天上に響いたのは彼の叫び声だった。

 光に等しく目にも止まらぬ速さで身を屈めたノアに胸を突かれると同時に足を取られ、自分でも何が起きているのか分からぬ間に天地が回転したからだ。

 盗賊は手にしていたはずの銃の引き金を引こうとするが、指は宙を掻くだけで何も手応えはない。


「なぁ」


 顔の上から声が降りかかる。地に打った頭部がジクジクと音を立てて激しく痛み出す。天を向く目線の焦点を中央に合わせれば、自分に覆いかぶさるノアの颯然とした表情が輪郭を帯びていく。ノアは盗賊に馬乗りになるようにして彼の動きを封じていた。身体にかかる圧は見かけよりも重く、がんじがらめにあったかの如く一切の身動きが許されない。


 盗賊の口元が無意識のうちに小刻みに震えていった。彼は自らの喉元に恐る恐る視線を落としていく。と、ちょうど喉仏の出っ張りに、冷たいものが当たっているのが見えた。

 銃口だ。銀に煌めくそれは、ノアが男に突きつけた銃の先端だった。つい先刻まで自分の手にあったはずの銃は、今や自分に狙いを定められている。


 手に残る銃の感覚に汗が滲んだ。

 ギリギリと喉を締め付ける銃口の冷徹な眼差しに盗賊は生きている心地を失っていく。

 ノアは黒くなりゆく彼の瞳を見つめたまま、彼の額に下がる髪をぐいっと掴んで抑え込む。彼の頭部はますます地面へめり込んでいった。

 露わになった彼の右眉の上部にある縫い痕のようなものがやけに記憶に残った。


「この銃も、仲間が持っていた刀も、もとはロノネア王国の物だろ」


 手にした刀に刻まれていた国章を思い出しながら、ノアは男の喉に銃口を深く食い込ませていく。


「見たところ、あんたらが手にできるような代物じゃない。言え。あんたのボスは誰だ」

「な……っんだよお前……ッ! 何を言って……!」


 男がささやかな抵抗に声を裏返させると、ノアの手元から微かな金属音が響く。引き金に指をかけたのだ。


「質問に答えるだけだ。盗みをするよりも簡単なことだろう。今、あんたたちに構ってる暇なんかないんだよ。余計な手間を取らせるな」


 ノアの声から感情が消えていく。先ほどまで柔らかだった表情が凍てついていくさまに、盗賊は声にならない悲鳴を上げる。自分に覆いかぶさるのは明らかに人間の形をしているのに、まるで怪物が皮を被ったかのように錯覚したのだ。

 意識が朦朧としていく盗賊の顔色は、今にも泡を吹いてしまいそうなほど悪い。ノアは彼の髪から手を離し、銃口を突きつけたまま強引に彼を立たせる。


「団長!」


 ふらつく彼を幌馬車に預け、その手を縛っていると、残りの盗賊を縛り終えた騎士が駆け足でノアに寄ってきた。ノアの前で一度立ち止まった彼は、きびきびした動きで幌馬車の中を確認する。

 木箱を一つ開けた彼は、中を確認するなりしたり顔で笑う。


「ノア、やっぱり間違いなさそうだ。こいつら、秘宝荒らしの下っ端だよ」

「一応仕事中は団長って呼べよ。気が抜けるだろ」


 ついいつもの調子で口が滑った騎士に対し、ノアは苦笑いを浮かべる。騎士は「悪い悪い」と言いながら、さほど申し訳なさそうではない様子で笑う。

 騎士から渡された木箱に目を落とし、ノアは小さくため息を吐く。


「先にラタアウルムに戻って、こいつらのことを司令部に報告してくれ。詳しく話を聞く必要がありそうだ」


 ノアの指示に騎士は軽い口調で返事をする。二人は五人の盗賊を幌馬車に乗せ、彼らをまとめて括りつけた。彼らの自由を封じる途中もノアによる尋問は続いていた。まだ意識がある盗賊から、必要最低限の情報を聞き出したのだ。


 ヘザーと運転手を囲っていた残りの騎士も呼び出し、ノアは彼らに新たな任務を与える。三台ある車のうち二台と、自分以外の四人の騎士に先にラタアウルムに戻るように指示を出した。もちろん、捕らえた盗賊も一緒に。

 盗賊たちをラタアウルムに連れて行く準備が整い、ノアはヘザーが待つ車に戻って行く。


「ノア……!」


 車に乗ろうと足をかけると、ヘザーが前のめりになって彼のことを迎えた。安堵のためかその頬は熱を帯び、赤くなっている。ノアの顔を見た彼女の表情は柔らかな一方で非常に脆く、ほんの少し前まで不安で一杯だったことが窺えた。

 感情を露わにした彼女の豊かな笑みを見上げたノアの動きがぎこちなく止まる。ヘザーが手を差し出すと、瞬きをしたノアの目元から力が抜けていく。


「ごめん、少し待たせちゃったよな」


 埃を被った手袋でヘザーの手を取り、車に乗り込みながらノアは申し訳なさそうに笑う。ヘザーは手の汚れなど気にもしなかった。


「ううん。ノアたちは、大丈夫なの?」

「ああ。盗賊も捕らえたし、奴らを司令部に引き渡すよ」

「……どうして?」


 通りすがりの盗賊にしては大層な扱いだ。ヘザーは疑問に思って小首を傾げる。


「あいつらはロノネア王国の人間に雇われていた盗賊だ。ロノネア王国が保有している各国の遺産を闇市場に運ぶために」


「え……」


「盗賊の一人が口を割ったんだ。奴らのボスはコートニーだ。話では、前にコートニーの指示でヒューバートが密かに国から運び出そうとした大量の美術品や宝石を盗み出したらしい。その時も衛兵がとっとと逃げたみたいで、易々と盗み終えたそうだが。どうやらヒューバートはコートニーの台頭を恐れて彼女を裏切ろうとしたようだ。罪人と一緒に彼女の目が届かない場所へ品物を移動させようとしたんだってさ。でもコートニーは見逃さなかった。抜け目がない人だな」


 ノアは整えていた前髪が少し乱れているのを見やり、鬱陶しそうに搔き上げる。


「それって、木箱とかに入っているの?」


 ノアの話にヘザーはどきりと心臓を縮こまらせる。罪人とともに国外に運び出そうとした。その状況はヘザーにも思い当たりがある。


「ああ。大半はそうだな。彼らにしてみれば大金を生む商品だ。一応、傷つけるわけにもいかないっていう意識くらいはあるだろうし」

「……そう」


 ロノネア王国から追放されたあの時、ともに国を出たのは正体不明の木箱たちだ。あれらの箱にはそういうものが入っていたのかと、ヘザーは遅れた答え合わせに目を伏せる。

 そんな意図が隠されていたとは。盗賊たちの荒い息遣いを思い出し、ヘザーは彼らの背後にいるコートニーを想う。

 闇取引に手を染めるなど、淑女の見本であった彼女の表の顔からは想像もつかない。


 ヘザーが過去に思いを飛ばす間にも、ノアは運転手に先を急ぐように指示を与えていた。盗賊が道を塞いでいたせいで予定よりもベツィアへの到着が遅れそうなのだ。


「ヘザー。あと少しだ。疲れてない?」

「うん。全然、大丈夫よ」


 車が動き出し、ヘザーはノアに向かって首を横に振る。ラタアウルムへ引き返していく騎士たちとすれ違い、ヘザーは幌馬車に乗る盗賊たちを見ようと首を伸ばす。が、布で覆われ、彼らの姿を目視することは出来なかった。

 正面に視線を戻すと、ベツィアの検問所らしき建物が微かに見えてくる。

 ノアを見やれば、彼もまた何か物思いにふけった様子で真っ直ぐに遠くを見据えていた。


 あの検問所の向こうに、ハドリーはいるはずだ。

 ヘザーはガソリンの匂いに満ちた酸素を思いきり肺に吸い込む。綺麗な空気とは言えなかった。けれど妙に、その異質さが冷静さを教えてくれる。


 藍色に満ちていく空の下。ヘザーの空色の瞳の中では、太陽が落ちることはない。

 力強い眼差しは、彼女の呼吸とともに燦然たる輝きに溢れていく。

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