31 ゼンマイを巻いて

 ヘザーとノアは、その後トーニグラで約三日過ごした。ヘザーは両親の家に泊まり、ノアは家族水入らずを邪魔しないようにと別で宿を取った。

 短い間ではあったが、久しぶりに過ごす家族の時間はすべてが愛おしかった。


 トーニグラに来てから、親切な人に助けられながらも果実園を運営することになった話や、もともと何かを作ることが好きだった両親によるジャムの開発秘話を聞くことが、ヘザーはたまらなく楽しかった。

 自身も宿屋を営む夫婦のもとで、宿の改装や酒場の手伝いをしたことを話すと、両親はぜひ泊まってみたいと興味を持った。


 ヘザーにカクテル作りの才能があったことにも驚き、まるでジャムを作る自分たちのようだと、思わぬ共通点にも盛り上がった。

 本当なら、もっと一緒に過ごしたかった。けれどヘザーは宿を任せてしまっているキャルムとマクシーンのことも気がかりで、予定通りの日程でラタアウルムに帰ることを決めた。


 両親も娘がラタアウルムで頑張っている話を聞き、彼女を引き止めることはしなかった。幸いにもこの両国は距離も近い。これからも、互いが会いに行くことも不可能ではない。


 絶対に宿屋に泊まるから、部屋を空けておいてね。


 別れ際に聞いた両親の力強い宣言に、ヘザーはなんだか照れくさくなってしまう。

 胸を張って彼らを迎えるためにも、彼ら好みのカクテルを考案しなければ。

 新たな目標を掲げ、ヘザーはノアとともに機関車でラタアウルムへ帰って行った。


 汽車の中で、ヘザーは両親と過ごした時間を思い返しては頬を緩めていた。ノアもそんな彼女の横顔を静かに見守る。

 何の問題もないように思えた。が、彼女の笑顔に残る微かな綻びをノアは見逃さない。

 両親の無事を確かめ、ナサニエルとも再会することができた。

 けれど、大事な人がもう一人、欠けたままなのだ。


「ヘザー」

「ノア。何かしら」

「……ううん、なんでもない」


 宿屋に戻る馬車の中で、二人はいつかと似た言葉を交わし合う。あの時とは違い、今回はぐらかしたのはノアの方だ。首を振るノアにきょとんとするヘザー。夕陽のオレンジが、彼女の顔を照らしていた。


「あ。ほら、着いた。はは。ジェイデンも迎えに来てる。おーい!」


 馬車が止まると、ノアは扉を開けて宿の入り口に立っている三人に向かって大きく手を振る。キャルム、マクシーン、ジェイデンは、時間通りに帰ってきた二人を駆け足で迎える。


「疲れただろう、ヘザー。ほら、ご飯を用意してるから、温かいうちに食べな」

「ありがとうございます。マクシーンさん」

「荷物は私が持とう。ノア、君もお疲れ様。ありがとう」

「いえ。俺も楽しかったです」


 キャルムとマクシーンに挟まれて宿に入っていくヘザーを見送り、ノアは御者に改めて挨拶をし、謝礼を渡す。


「……ノア、トーニグラで何かあった?」


 馬車が帰っていくところを見つめていたノアをジェイデンが疑り深い目で見る。


「なんでそう思うんだよ」


 ジェイデンの湿っぽい目をかわしながら、ノアは地面に置いていた自分の荷物を手に取る。


「その顔。やけに深々しい顔をしてるじゃないか。大体そういう顔をしている時のノアは、何か企み事を考えているからなぁ」

「心外だな。俺、そんな企みとかしないって」

「嘘だ。前に手合わせした時、俺にフェイントを食らわせただろ。あの時の顔に似てる」

「なんだそれ」


 ジェイデンの推理をノアは軽く笑い飛ばす。が、それでもジェイデンの懐疑的な眼差しは変わらなかった。


「……まったく。ああ。そうだよ、ちょっと考えてることはある。だが、まだヘザーには言うなよ」

「おっ。ほらほら、きたきた。やっぱりそうだ」


 ノアが観念して白状すると、ジェイデンは嬉しそうに彼の肩に手を回す。荷物に加えてジェイデンの重みがかかり、ノアは少し歩きにくそうだった。しかし、背にかかる負荷などそっちのけで、ノアの表情は研ぎ澄まされていく。


「ハドリーの行方が不明なままなんだ。ヘザーはそれを気にしてる。口では言わないが、相当気にしているはずだ。……だから、ハドリーのことを探そうと思う」

「ええっ? でも、もしかしたらもう処刑されてるかもしれないんだよな? 大丈夫かよ、そんなことして。っていうか、生きてたとして分かるのか、居場所なんて」

「さぁな。でも、ずっと気がかりなままよりいいだろ。会えるのなら、なおいい」

「ナサニエルも惚れてるし、そんなにいい男なの? ハドリーは」

「分からないからこそ会ってみたいんだよ」


 ノアはジェイデンを見て口角を引き上げる。


「それに、気になることもあるしな」


 一言、ジェイデンにニヤリと笑いかけると、ノアは宿の扉を開けて彼を先に宿の中に入れた。

 意味深な言葉を残したノアに気を取られ、ジェイデンは二人を待ち構えていたマクシーンにぶつかりそうになり睨まれる。

 慌てて体勢を整えるジェイデンを横目に、ノアはロビーに見えるモザイクアートに視線を向けた。

 彼の耳に蘇るのは、トーニグラで聞いたヒューバートとコートニーの共通の趣味についての話だ。


「そろそろ俺も、覚悟を決めるか」


 モザイクアートを見上げ、ノアは凛々しい瞳に柔らかな光を映した。

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