18 嘘も言い様

 ロビーに施したモザイクアートはすぐに人々の注目を集めた。

 常連客が予想した通り、中には騎士団長であるノアが関わっていることに興味を持って見に来る者もいた。

 遠くの地域から足を運ぶ人間も少なくはなく、彼らは自然と宿に宿泊していく。まだ改装は途中だ。けれど逆にその状態を面白がり、一緒になって作業を手伝う宿泊客も多かった。


 一つの空間を創り上げていく体験は日頃の生活の気晴らしになってちょうどいい。


 最初は宿泊客たちの手を借りることを躊躇っていたマクシーンたちだったが、ある客が言った一言に彼らの不安も晴れたらしい。

 日に日に増えていく来客。もし改装に興味があるのだと手を挙げる者がいたら。

 胸のつっかえが取れたマクシーンは、今では厨房に籠もるよりも建物内を忙しなく動き、宿泊客らとの交流を楽しんでいた。


 一方、厨房を任せられる時間が増えてきたキャルムは、酒場での仕事を一通り覚えたヘザーにフロア業務のすべてを任せることが多くなった。

 昼の営業時間は特に酒を振舞うことも少ない。フロアにはヘザー一人という日も珍しくなくなっていた。

 ヘザーもすっかり仕事が身についてきたので、一人でバーカウンターから店内を見渡すことにも抵抗はなかった。

 あちこちに気を配る必要はある。が、店を訪れる人たちの顔を見れば、それを負担だとは思わない。彼らと毎日を過ごしていると、知らず知らずのうちに気力が湧き上がってくるからだ。


 マクシーンと同じく、彼らの顔を見ることはヘザーにとっての楽しみとなっていた。仕事も抱えているため、彼らと深い話をすることは難しい。けれど、店で彼らの様子を観察していると色々な心模様を感じ取ることができる。

 きっと、今朝はいいことがあったのだろう。昨日は少し、お疲れだったかもしれない。ああ、彼は今夜、勝負を控えているらしい。

 言葉にせずとも、一日のうちのほんの少しの時間を店に置いていく彼らの表情からは、多くの想いが溢れている。


「あー。お金が降ってきたらなぁ……‼」


 そう。ついさっきカウンター席に腰を下ろした二人組の青年たちもまた、それぞれの想いを抱えている。

 死神を背負ってきたかのような悲壮感を漂わせた彼は、黒い髪を掻きむしって衝動のままに願望を叫ぶ。


「お金が降ってこようと盗んだら結局犯罪だ。やめとけ」


 青年の連れは冷静な面持ちでチップスを頬張った。


「ええー。でもさぁ、お金があれば、もっと気楽でいられるのになぁって思わない? 給料と支出を細かに睨み合わせてもつまらないだけだろ。それでいて自由に使えるカネが増えるわけでもないのに」

「ちゃんと計画的に管理すれば問題ないだろ。加えて、俺たちの給料はまだいい方だ。お前は余計なものに無駄遣いしすぎなんだよ」


 黒髪の青年が不満そうに目を細めたので、冷静な友は呆れたように彼を流し見る。


「なんだよ。ティム、お前こそ無駄遣いばっかして無計画なくせに」

「なんだと……っ」


 黒髪の青年がニヤリと人相を意地悪く歪ませると、ティムと呼ばれた冷静な男は焦った様子で隣に顔を向ける。どうやら嫌な予感がしたらしい。


「無駄に靴ばっか仕立てに行って、どれだけの靴を持つつもりだ? お前にはどんだけ足があるんだよ」

「うるさいなっ。俺にはこだわりがあるんだよ。それに、まだ見習いの身で、安く仕立ててくれるんだ。これが一人前になったら、もっと高価になるだろ。今のうちなんだよ、集めるのは」

「へぇ?」

「趣味。趣味ってやつだよ。ほっとけ」

「なるほど? 仕立て屋に通うお前はただのお洒落さんってわけなんだな?」


 黒髪の青年が頬杖をついて友の顔を覗き込むと、冷静だった男は僅かに耳を赤らめてふいっと顔を逸らす。予感通り、彼にとって不利な話題なようだ。彼らの傍で酒の配合の練習をしていたヘザーの瞳がちらりと二人に向く。

 これは盗み聞きか不可抗力か。

 微妙な狭間に罪の意識をぶら下げたヘザーにお構いなく、彼らは話を続けていく。


「団長だって趣味のためにアトリエまで作って精魂注いでるだろ。それと同じ。俺は靴に精魂込めてるの。ルイスには分からないか」

「ティム、都合よく団長の話を引き合いに出すなって。上司に失礼だろ。なぁ、俺に言い訳は不要だぜ?」

「なんだよ、気色悪い」


 ティムはルイスのやたら自信満々な言いぶりに顔をしかめた。

 ヘザーは手に持っていた瓶をそっと置く。もう、意識は酒ではなく彼らの会話に向けられていた。もはやこれは不可抗力ではない。彼らの話を聞きたがっているのだ。

 趣味のためにアトリエを構える団長。

 その人物についてヘザーが心当たりがあるのは一人だけだ。

 ヘザーは背後に並んだ瓶を選ぶふりをしてもう少し彼らに近づいた。


「隠すなって。ティム、お前どうせあの店に行きたいだけなんだろ?」


 ルイスの発言にチップスを口に運んだティムが盛大に咳をする。靴の話題から気を紛らわすように食べ続け、むせてしまったようだ。


「なんだよッ、それッ」


 むせ返したティムは真っ赤になった顔をルイスにぐっと寄せ、小声で責める。どれだけ鈍感な人間だろうと彼の反応を見るに明らかだ。ルイスの指摘はまさに核心をついたらしい。

 慌てるティムとは反対に、今度はルイスが冷静な態度で口角を吊り上げる。


「ほら、やっぱそうだろ。素直に認めろよ。お前はあの見習いの娘に会うために店に通ってるってな」

「……勝手に言ってろ」


 ティムは口元をシャツの袖で拭き、はぁ、とため息を吐いて水を口にした。ルイスも彼の表情を眺めつつ、コップを口に寄せる。

 背後で繰り広げられる会話を聞いていたヘザーは、ルイスの口から出た言葉にピタリと動きを止めていた。見習いの娘。靴。仕立て屋。ここから連想できる人間も、ヘザーには一人しかいない。


「…………レイニー?」


 ぽつりと泡のような声を出し、瓶を手に取ったヘザーは後ろを振り返る。彼女の視線が捉えたのは手前にいるティムとルイスではなかった。更にその奥に見える、窓際の机を囲んでいる三人娘だ。

 お手製のヘアピンで髪を留め、友人たちとの会話を全力で楽しんでいる彼女と、手前で背を丸めて座っているティム。ヘザーの瞳は二人の表情を交互に映す。


「ルイス。お前さっきから全然食べてないじゃんか。さっさと食べろ」

「俺はゆっくり昼食を楽しみたいんだよ。休憩時間はまだ残ってるだろ」

「俺は早く戻りたい」

「ははっ。照れんなって。悪かったよ」


 恐らく、二人よりも後に来た三人娘の存在に彼らは気づいていないのだ。ヘザーは手にした瓶を数秒見つめてから急いで元居た位置に戻る。

 先ほど置いた瓶に入った液体をグラスの半分より少なめに注ぎ、次に新しく持ってきた瓶を傾けた。するとグラスの中は二層の液体に見事に分かれる。下はピンク色の濁りがある愛らしい色で、その上には透明な紫の蓋が覆う。


「……よし」


 ジェイデンが仕入れたばかりの紙製のストローをグラスに添え、ヘザーは胸に息を吸い込む。一歩、二歩、と横に移動し、さり気なさを装ってティムとルイスの前に出た。


「あの。今、新しいカクテルを試しているんです。もしよかったら、試飲していただけないでしょうか」


 手に持ったグラスをカウンターに置き、二人に微笑みかける。


「へぇー。綺麗な色ですね。美味しそう。……だけど、俺たちまだ仕事中で」


 最初に反応を示したのはルイスだった。カウンターに腕を置き、グラスの中を覗き込んで関心を示したが、すぐに残念そうに肩を落とす。


「一応、仕事が終わるまで酒は厳禁なんだ。せっかくの機会を逃すようで惜しいけど」


 感情のままにがっくりとしたルイスを横目に、ティムは丁寧に断りを入れる。


「あっ。そうなんですね。それはしょうがないですよね」


 眉尻を垂らし、ヘザーはかえって断らせてしまったことに申し訳ない気持ちを表情に滲ませる。が、実際、会話から察するに騎士団に所属している彼らが今の時間はまだ酒が飲めないことはヘザーも知っていた。ノアが騎士団長だと知った後で、ジェイデンが彼らの掟を教えてくれたからだ。


「ああ。でも、やっぱり他の人の意見が訊きたくなってしまいますね。私だけの味覚だと、どうしても好みが偏ってしまいそうで、感覚が鈍るんです」


 ヘザーは肩をすくめて困ったように笑ってみせた。


「俺たちは無理だけど、ほかの連中なら──」


 そこでティムが店内を振り返って見回す。ぐるりと視線を一周させた彼の瞳は、ある一点に戻っていく。彼の後頭部しか見えなくなったヘザーでも、彼が今、何を見ているのかは答えられる気がした。


「そうですね。確かにそうです。……そうだ、レイニーさん、なら、試していただけるでしょうか」


 あまりわざとらしくならないように抑揚を控えめにゆっくりと喋った。ヘザーの提案に、ルイスはピンと来たらしい。


「ああ! レイニーは新しい物好きだ。それに職人気質なのか、良きも悪きもハッキリ言う。適任じゃないかな」


 ルイスと目が合ったヘザーは、互いの思惑が一致していることを確信する。ティムに気づかれぬように頷き合い、彼の出方を待った。しかし、ティムはうんともすんとも言わない。ヘザーは喉の奥で咳払いをした。


「私もそう思います。じゃあ、レイニーさんに……あ、でも、今、宿の鈴が鳴ったわ。こちらにお客様が来るかもしれないから、手が離せなくって……。もし、良ければ……こちら、レイニーさんにお願いしてもらえますか?」


 ヘザーはグラスをティムの前へ滑らせる。


「えっ? 俺、ですか?」


 突然の申し出にティムの目が絵に描いたように丸くなった。聞き間違えるはずがないのに、彼は自分のことを指差している。本当に? 冗談じゃなくて? 彼の表情は実に素直だった。


「はい。レイニーさん、靴職人を目指されているって、素敵ですよね。お洒落さんのあなたなら、レイニーさんとお話も合います。このカクテルは、会話と一緒に愉しむことで美味しくなるんです。だから、あなたにお願いできたら、味の魅力が伝わると思うのです」

「そういうもの?」

「はい」


 きょとんとするティムにヘザーは念を押して頷く。

 もちろん、ただカクテルを飲むだけでも十分に美味しい。どんな状況でも楽しんでもらえる味を作ったつもりだ。けれど、ただ正直にそう言うだけでは味気ない。

 三人娘と初めて会った時に彼女たちが話していたレイニーの店の常連客はきっとティムだ。二人が互いに惹かれ合っていることは見れば分かる。ならば、背中を押すのにちょっとの嘘をつくことも惜しみない。


「行けよ、ティム。俺はいいから」


 ルイスはティムの背を力強く叩いて彼を椅子から下りるように促す。


「……分かったよ」


 渋々。だが、照れを隠せぬまま。

 ティムはグラスを手にレイニーたちがいる机へ歩いていく。ティムに声をかけられたレイニーの顔が、見る見るうちに色づいていった。同席していたルルとサンドラはレイニーに何かを小声で囁いた後で別の席に移動する。

 カクテルを机に置き、空いた席にティムが座った。遠くから見ていても二人の間に流れる空気はぎこちなく見えた。それでも、互いの頬が情けなく崩れていくのは時間の問題だった。


「やったな、アニャシアさん」


 ルイスがしたり顔でヘザーを労う。二人の笑顔を見たヘザーもほっと胸を撫でおろし、彼の言葉にこくりと首を縦に振る。朗らかな気持ちが全身に浸透していくのだ。


「……おいおい、何事だ?」


 ルイスと微かな勝利に浸っていると、聞き慣れた声が耳を呼ぶ。呼ばれるままに視線を横にずらせば、いつの間にか来店していたノアの姿がそこにある。

 ノアは窓際でレイニーと笑い合うティムを横目で見やり、流した瞳でルイスとヘザーを問うように見る。ちょっとした企みに成功した二人の悪戯な表情が伝播したのか、ノアもやんちゃな笑みを広げていく。


「ついにティムも店以外で彼女と話せるようになったか」

「そうなんすよ、団長。アニャシアさんの完璧な誘導のおかげっす」


 ルイスの隣に座ったノアは、彼の称賛にヘザーの表情を窺う。


「偶然、ですけどね」


 照れくさくなったヘザーははにかんでティムが食べていたチップスを下げる。


「奥手のティムには大きな一歩っす。ねぇ、団長?」

「はは。そうだな。……ところでルイス、どうしてここに?」

「そりゃ決まってるじゃないですか。モザイクアートを見に来たんっすよ。騎士団でも話題なんですよ。久しぶりに団長に会えて俺もツイてるや」

「俺も会えて嬉しい。が……」

「分かってますって。司令部には言わないっすから」


 ルイスは人差し指を唇の前に置き、シーッと息を洩らした。彼の屈託のない笑顔にノアの睫が緩やかに下がる。


「アニャシア、俺にもチップスをお願い」

「はい。ちょっと待っていてくださいね」


 カウンターの裏で片づけを進めていたヘザーには二人の会話は聞こえていなかったようだ。ノアのオーダーに反応したヘザーは、にこりと笑って厨房に持っていく皿を抱えた。

 裏に入ってしまえばフロアには客しかいなくなってしまう。ヘザーは扉を押す前に問題がないか再度店内を見回す。

 ティムとレイニーの雰囲気は良くなってきているし、ノアとルイスは久しぶりの世間話に花を咲かせている。他の客たちも、今は特に不都合はなさそうだ。


「……あれ?」


 安心して扉にもたれかかった時、一組の表情にヘザーの目が引きつけられた。

 ヘザーの視線が向かったのは、レイニーと囲んでいた机を離れ、出入り口付近に移動したルルとサンドラだ。

 二人は椅子を近づけて朗らかな様子で談笑している。けれど、三人でいた時とは異なり、何かが違和感だった。

 やたら顔の距離が近く、今にも額がくっつきそうだ。


 内緒話でもしているのだろうか。

 くすくす笑い合う二人が纏う親し気な趣に気を取られつつ、ヘザーは扉の向こう側へと消えていった。

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