14 三人娘

 ヘザーの言葉にヒントを得たマクシーンとキャルムは早速行動に移る。大規模な改装をするほどの資金はないため、寄せ集めの資材をもとに構想を膨らませていくしかない。二人は酒場の常連客から手に入る材料を部品として、何が作れるのか試行錯誤を繰り返した。ヘザーも酒場の手伝いと並行して、集まっていく素材と睨み合いながら二人とともに思考を組み立てた。


 二人の人柄のおかげなのか、素材を集めること自体はそこまで難しくはなかった。余った木材やレンガ、石材……。改装に使えそうな資材は次々に集まっていった。

 問題は、それらをどう扱うか。

 仕事にも慣れて余裕の出てきたヘザーは客足が控えめな昼営業の間は頭の片隅でずっと粘土を捏ねていた。実際に宿の改装時に粘土を捏ねるわけではない。が、思いつく限りの景色を作り上げては戻し、また別のものを創造する空想の作業が粘土を捏ねている感覚に似ていたのだ。


 帰った客の皿を片付け、机を丁寧に拭きながら、ヘザーは昨日宿に運ばれてきた小粒の石材の使い道を妄想した。自然の成り行きで彩られたカラフルな石たちを思い返せば、母国の自室にあったたくさんのジュエリーたちを彷彿とさせる。

 ただ地面に敷くだけでは味気がなく、鉢の中に飾るだけもどこか勿体ない。

 もっと別の、彼らの魅力を発揮させる手段があるはずだ。

 既に五回は拭いた机の上に再び布を走らせようとするヘザーの頭の中は、もう愛らしい小さな石のことでいっぱいだった。


「アニャシア」


 キャルムの声に呼ばれ顔を上げると、新たな客が店に入ってきたことにようやく気付いた。


「いらっしゃいませ」


 慌てて机から布を離し、ヘザーは入り口に立つ客に頭を下げる。


「あっ。こちらにどうそ」


 今度の客は若い娘たちだった。三人組で訪れた彼女たちが席を決めかねていたので、ヘザーは自分が拭いていた机を咄嗟に指し示す。


「ありがとうございます」


 娘のうちの一人が少し掠れた声で返事をした。彼女のくるくるとした雲を思わせる髪は亜麻色で肩よりも短く、ブラウスが微かに汚れていた。鼻と頬に広がるそばかすが彼女の控えめな表情を淡く綾なしている。

 三人はヘザーの案内に従って綺麗に整えたばかりの席に腰を掛けた。

 フロアには彼女たちのほかに先客が数名いるだけで、彼らは皆、よく見る顔ぶれの馴染み客だ。

 一方、来店したばかりの娘たちの顔は初めて見る。少なくともヘザーが手伝い始めてからは見たことがない。


「レイニー、ルル、サンドラ、久々だね」


 しかしキャルムにはそうではないようで、娘たちが席に座ったところで彼の朗らかな声が聞こえてきた。三人はバーカウンターでガラスのコップを磨いているキャルムに会釈し、お茶目に手を振る。


「ねぇ、それで最近はどうなの? 何か進展はあった?」

「ちょっと、まだ何食べるかも決めてないんだけど」

「もうサンドラはせっかちなんだから」


 席につくなり三人は賑やかな会話を始める。丸い机をぐるりと囲み、中央に顔を寄せて息の合ったリズムで絶え間なく声を出し合った。

 注文が決まるのにはまだ時間がかかりそうだ。そう判断したヘザーはバーカウンターに戻り、コップを整理するキャルムの手伝いを進める。


「彼女たちが揃って店に来るのは久しぶりなんだ。レイニー、そう、あの亜麻色の髪の子だよ。あの子の家が仕立て屋を営んでいてね。彼女自身も靴職人になるための修行に明け暮れていて、なかなか顔を出せなかったようだ」

「靴職人、ですか」

「ああ。自分の仕立て屋で全身のコーディネートが出来るようにって、張り切ってるようなんだ」

「それはすごい。とても素敵な発想です」

「ははは。私たちも負けてられないね」


 宿の改装のために集めた資材のことを思ったのか、キャルムは耳が痛そうに眉尻を垂らして笑った。

 磨かれたコップを並べながら、ヘザーは遠目からでも楽しそうな三人の姿を見やる。仕立て屋の娘として生まれ、自身もまた職人になろうとしているというレイニー。宿屋の改装を思案する中、彼女の存在がヘザーにはとても良い刺激になった。自分と変わらない年頃の娘の挑戦が、やけに心を奮い立たせてくれるのだ。


 だがそんなレイニーを観察していると、彼女が時々、自身の頬を撫でる仕草を繰り返すことに気づく。たったの数分の間にもう三度はその仕草を見た。頬を触りながらも、ルル、サンドラとの談笑を止める気配はない。頻度を見ても、頬を触るのは恐らく無意識の彼女の癖なのだ。


「どうぞ。こちら、ポットパイです。お待たせいたしました」


 三人の注文を運ぶ際、ヘザーは再びレイニーの表情に目を向ける。よくよく見れば、彼女の肌は他の二人と比べても荒れているように見えた。ニキビを潰したのか、所々に痛々しい跡もうっすらと残っている。 

 もしかしたら、肌のことを気にしているのだろうか。

 ヘザーがポットパイを配る間にも、レイニーの指先はまた頬を気にする仕草を見せる。近くで彼女の表情を捉えれば、頬に触れている間、レイニーの眉が僅かに歪んでいることにも気づいた。


 つい数秒前まで友人たちと笑顔でお喋りをしていたのに、何かの弾みで表情がすっかり裏返ってしまったようにも思えた。

 無意識とはいえ、潜在意識の中では何かの問題を気にしていることは明白だ。他の二人には分からないくらいの微細な感情の揺らぎ。そう。強いて言えば恥じらいに似て。


「じゃあ、例の殿方とはまだ進展がないのね? もう、そろそろ前に進みなさいって」


 三人分のポットパイを置き終えたところで、真っ直ぐな髪が特徴的なサンドラがレイニーの腕を肘でつつく。


「だってさぁ、恥ずかしいもん。こんな染料で汚れたわたし、女だとも思ってないかもしれないじゃない」


 レイニーは恨めし気な目をサンドラに向ける。ヘザーは三人の会話がなんとなく聞こえる場所に移動し、フロアを清掃しているふりをした。


「考えすぎだって。だってその人、週に一回は店に来るんでしょう?」

「十日に一回」

「同じことだよ。そんなに服を新調するわけないもの。靴だって、いくつ依頼をしているの?」

「修復だってあるし、靴はわたしが見習いで、安いだけ」

「わざと服を破いているのかもよ?」


 ルルとサンドラはこめかみに手を添えて肘を机につくレイニーに詰め寄るようにグイグイ話を押していく。唯一、レイニーだけが二人の勢いに乗り切れていなかった。二人の積極的な言葉を冷静な一言ですべて押し返し続ける。


「そんな人じゃないもの、あの人は。それに、わたし、恥ずかしくて、あまり目を見て話せないし。いつも俯いてしまうから。変な奴、って思われてるよ」


 またしても消極的な発言をするレイニーに、ルルとサンドラは呆れた様子でため息をつく。


「あんた、ちょっと気にしすぎなんじゃない?」

「そりゃ、ルルは陶器みたいに綺麗な肌だもの。わたしとは大違い。サンドラだって、滑らかな肌だし。二人には分からないって」


 肌、という単語にヘザーの耳がぴくりと反応する。やはり思った通り、彼女は自身の肌事情が気がかりらしい。


「彼が店に来るのは嬉しいし、彼が店にいる間は緊張のせいかすごく長い時間に感じる。なのに、帰った瞬間にはあっという間の出来事だったなぁって思う。でも、どちらにせよ彼が店にいたら、出来物だらけの顔を見られてないかって心配になる。見られるだけで恥ずかしいんだから」


 ルルとサンドラとは違った色のため息がレイニーの口から出ていく。

 ヘザーは清掃の手を止めることなく頭の中を整理する。

 どうやらレイニーは仕立て屋の常連客に恋をしているようだ。加えてコンプレックスのせいで恋心が歪に彼女の心を苦しめている。ハドリーに夢中だった自分を想えば、彼女の恋心は狂おしいほどに共感できた。


「レイニー、ちゃんと肌の手入れはしてるの? ただでさえ仕事で荒れちゃうんだから」

「してるよ! 一日に何度も顔を洗うし、汚れが落ちやすいように、ってわざわざ水も熱してるの。けど、全然効果なし」


 ルルの問いに食い気味に答えたレイニーはがっくりと肩を落とす。途方に暮れる彼女の背中を横目で見たヘザーは、慎重に深く酸素を肺に取り込んだ。


「あの」


 振り返り、三人に向かって声を出す。突然話しかけてきた部外者のヘザーに、三人は驚いたように目を丸くしてから瞬きする。


「顔を洗うのは、一日に二回で十分です。朝起きた後と、夜、寝る前に。洗い過ぎは、かえって肌を痛めます。それと……水は、少し冷たいくらいがちょうどいいです」


 もう声を出したからには後には引けない。ヘザーは特にレイニーに向かって呼びかけるように洗顔の秘訣を伝える。

 三人はあんぐりと口を開けたまま、茫然とした様子で黙ってしまう。


「あ、と……。レイニーさん、髪が少し顔に当たっているようなので、それもあまり当たらないようにすると、肌への刺激を防げます。肌の出来物は潰してはいけません。肌をあまり触らないようにして、とにかく刺激を減らしてください。顔を洗う時、肌を擦っても駄目です。石鹸で泡を作ってから、優しく汚れを落としてください」


 自分でも笑ってしまうくらいに滑らかに口が動いていく。ヘザーが口を閉じた後も、三人は数秒間彼女を見つめたまま唖然としていた。


「……ぜひ、やってみてください」


 彼女たちの沈黙が羞恥心を呼び起こし、ヘザーは小さくなって最後にそう付け加えた。そそくさと厨房へ逃げ、ヘザーはバクバクと波打つ自身の心臓の音に身を委ねる。


「余計なこと言ったかな……」


 小声で呟き自省する。けれど、聞かぬふりを続けるのも無理なことだった。

 ヘザーが恋したハドリーは絶世の美貌と謳われ、どんなに意見が食い違う人間同士であろうと彼の容姿に関してだけは意見が一致するほどにそれは紛れもない事実だった。

 彼に恋し、破れた後も、婚約者としてハドリーの隣に並ぶ機会の多かったヘザーは、眩いばかりの彼に相応しい相手であるようにと、美容に関しては細心の注意を払ってきたのだ。


 美に関する知識についてのアンテナを張り巡らせ、まずはなんでも試してみた。彼の麗しさに並ぶのは困難なことではあったが、それでも出来ることはすべて取り入れてきた。

 もしその知識が役に立つのならと、コンプレックスを抱くレイニーを目の前に黙っていることはできなかったのだ。

 おずおずと扉を開け、レイニーたちの様子を窺ってみる。三人は出来立てのポットパイを食べながら、何やら真剣な表情で会話を進めていた。


「変人だって思われた、よね」


 余計なお節介を焼いてしまったことが気まずくなり、ヘザーは悲しそうに肩をすくめる。慣れないことをしたせいか、ほんのりと頭痛までしてきた。

 ふと頭頂に締め付け感を覚え、ヘザーはカチューシャの位置を調整する。と、ウィッグに触れた指先から、最初にウィッグをつけた日の記憶が流れ込んできた。


「ふふ……」


 カチューシャが入った袋を渡すノアの困ったような笑顔が脳裏に蘇り、ヘザーの強張った頬の筋肉から不意に力が抜けていく。

 もしかすると、あの日のノアもこんな気持ちだったのかもしれない。

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