第56話 幼児退行

 俺はVIPと書かれた真っ赤な扉に耳をくっつけ、中の音に集中する。


(ホ~ッホッホッホ、グッド、グッドですぞ!)


「間違いねぇ、デブラだ」


 ラッキーが聞こえてきた男の声で確信する。


(もっと激しくするのですぞ!)


「なんや、何を激しくするんや? くそっ見せてくれ」


 ビーフは中でいかがわしいことをしていると察し、興奮気味に耳を押し当てている。

 俺は、もしこの中でレイさんがデブラの毒牙にかかっているのだとしたら冷静ではいられない。


「ゆきむら、ちょっとだけ開けてみーひんか? さすがに音だけではなんもわからんて」

「そ、そうだな。ちょっとだけ」


 ビーフの言う通り、聞こえてくるのはデブラの声だけで、それ以外情報が入ってこない。

 俺は中を覗こうと扉に手をかけるが、鍵がかかっていて開かない。


「ラッキー、解錠スキルで開けられないか?」

「開けられないことはないけど、鍵穴カチャカチャやってたらバレるぞ。それよりいい方法がある。クリエイトアント」


 ラッキーは呪文を唱えると、小さなアリを魔法で作り出す。


「こいつはアリのように見えるが、オレの魔力で生成した魔法生物だ。オレの意思で自由に動かすことができる」

「アリ型のラジコンか」

「こいつの視界とオレの視界は共有されているから、こいつを中に忍び込ませれば中の様子が見える」

「アリ型盗撮カメラってわけやな。エルフの兄ちゃんええ趣味しとるな。ワイと気が合いそうや」

「いや、そういう目的じゃないから」

「それあたしたちも見れるの?」

「オレの背中に触ってたらな」

「そりゃすごい便利だ」


 俺がラッキーの背に手を乗せようとすると、テミスが一旦遮る。


「雪村、あんたこの中で何が起こってても突撃しちゃダメよ。例えレイさんが性的暴行を受けていたとしてもね」

「そりゃ無理な話だろ」

「ここで暴れたら、あんただけじゃなくて協力してくれてるビーフやエルフの彼まで諸共死刑よ。勿論あたしもママたちの変装もバレて一網打尽にされる」

「…………わかった、自制するよ(できたら)」

「できたらじゃなくて絶対よ」


 ぼそっと言ったことまで拾われる。

 約束を行った後、俺たちはラッキーの背に手を乗せる。

 準備が整い、彼はアリを操ると小さな身体を生かして扉の下の、ほんの僅かな隙間から中へと侵入していく。


「おぉ、中が見える……」

「凄いなこれ、アリの視点ってこんなんなっとるんやな」


 ピンクの魔法灯で照らされた部屋の中には、際どい踊り子の服を着せられた3人の女性の姿があった。


「あいつらも見たことがある女騎士だな。やっぱり目は虚ろだ」

「ラッキー、デブラの方を向いてくれ」

「わかった」


 アリが反対を向くと、デブラは豪奢なソファーに寝転がって踊りを観覧していた。

 奴はなぜかおしゃぶりをくわえながら、仮面をつけたレイさんに膝枕されていた。

 レイさんは赤ちゃんをあやすガラガラを手に持っており、ゆっくりと揺らしている。


(バブバブ、ママァー)

(どうしたデブラ)

(ボク疲れちゃってるんでちゅ。毎日毎日バカな議員や騎士の相手するの~)

(お前はよくやってる。皆お前を頼りにしている)

(ママー、もっとボクを褒めて、甘やかして)


 確認しておくが、このバブバブ言っているのは50過ぎたおっさんである。


「なにこれ……」


 当たり前だが、どぎつい赤ちゃんプレイを見せられてテミスが顔をひきつらせる。

 しかしそれより気になるのは。


「なんでレイさんは、デブラを息子として接してるんだ?」

「そういうプレイなんちゃうんか? あるで、社会的に地位のあるオッサンが、娼館やと幼児退行するって話」


 ビーフの言う通りプレイの一環と言われればそれまでだが、俺にはどこか慈しむような、本当の息子をあやすように接しているように見える。

 俺にはこれがただのなりきりロールプレイには見えない。


(バブーバブー。ママ、おっぱいちょうだい)


 まさか、授乳プレイをする気か?

 俺の不安をよそに、レイさんは鎧とインナーを外しブラジャー姿になる。

 白い肌に、鎧の上からではわからない激しい起伏が露わになる。

 デブラはみずみずしい大きな果実を見て、鼻息を荒くしている。


(ほひー、グッドですぞ、早くその邪魔なもんとってママン)

「せや、早くそれとってくれ! カモンカモ――」


 興奮するビーフの脳天にテミスのエルボーが突き刺さる。


「ストリップ来たオッサンみたいなこと言わないで」

「せやかてこれで興奮するなって言うほうが無理な話やで」

「雪村の気持ち考えなさい。お母さんかもしれない人なのよ」


 二人がゴニョゴニョしている間に、レイさんが後ろフォックに手をかける。


 くそ突っ込むか? 何が起きてるかわからないが、さすがにデブラの授乳シーンを指をくわえて見ているのは嫌すぎる。


「雪村、ダメよ。抑えて」

「とは言っても、目の前であんなことされたら。ラッキー、このアリから破壊光線とか出せないか?」

「いや、無理だが」


 テミスに釘を刺されるが、俺は多分ブラジャーが外れたらこの扉を蹴破って中へと入ってしまう。

 抑えろ抑えろと自分に言い聞かせていると、中の状況はエスカレートする。


(じゅっ・にゅ・う! じゅっ・にゅ・う!)

(…………)


 煽るデブラだが、レイさんの手がぴたりと止まり動かなくなっていた。

 それどころか額に汗をかき、なんとか自分の腕を押し留めようとガクガク震えている。


(……チッ授乳はまだ無理か、ガードの固い女め。まぁいい、お前の理性なんぞいずれ陥落する。その時が楽しみですな。ヨホホホホホ)


 デブラはおしゃぶりを吐き捨てると、固まってしまったレイさんの前に立ち何かを告げる。


(ホホホホ、早くわたくしのママになってもらいたいですなぁ)


 奴は笑みを浮かべていると、不意に扉の方に視線を向ける。


(ん~? 何か気配が……)


 デブラはドアを開けて外を見渡すが、そこには誰もいない。


「気のせいか?」



 俺たちは特別棟地下から出て、肩で息をしていた。


「絶対変だったよな」

「ワイはエロシーン見られんくて残念……冗談やんゆきむら、そんな怖い顔すんなよ。マザコンかお前は」


 マザコンですがなにか?


「レイさん、操られてるのかしら?」

「その可能性が高いか……。でもヴァルキリーって神性が高くて、低位の心意操作系魔法はきかないってミーティアママが言ってたけどな」

「相当高位の術をかけられてるのかも」

「いや、ワイめっちゃ嗅覚ええからわかるけど、あの部屋めっちゃ変な臭いしとったで。もしかしたらアロマになんか混ぜとるんかもしれん」

「薬の可能性も消えずか……」

「雪村、オレ達はもう戻らないとまずい」


 ラッキーの注意にはっとする。

 そうだ、俺達看守が寝てる間に抜けてきたんだ。

 もうずいぶん時間が経っている。


「テミス、俺はもう少しこの監獄を探る。お前はママたちと一緒に、一旦引き上げたほうがいい」

「あんたも逃げて、それから救出方法を考えたほうがよくない?」

「あの様子だと、レイさんがデブラに落とされるのは時間の問題だ。見た感じ、最後の力で抗っている感じだったしこのまま放ってはおけない」

「わかった。レイさんが洗脳されている事含め、一旦ママたちに相談するわ」

「もしここを離れるんだったら、ラッキーを連れていってほしい。彼のおかげで俺は助かった」

「そうね、一応今ボートがあるけど……」


 彼だけでも先に脱獄させてやれないかと考えたが、本人は首を振る。


「待て、気持ちは嬉しいが、一緒に脱獄しないと警備が厳しくなってお前は抜け出せなくなるぞ。特にオレとの関与が疑われるだろうし、厳しくマークされる」

「それはそうなんだが」

「オレももうちょっと付き合うよ。この監獄の闇を覗いちまった気がするし」

「すまない……」


 ラッキーに深く感謝する。

 こっそり持ち場に戻ろうとすると、ビーフに呼び止められた。


「なぁなぁゆきむら、ここにワイの仲間がおるんやけど知らんか?」

「あぁビーフは仲間探しに来たんだったな。名前とか特徴を教えてくれ」

「二人おって、名前はマルコとガイアって言うんや」

「……もしかして一人は爽やか青年風で、もう一人はマッチョ系か?」

「せやせや。あいつら本物の勇者って言ってたからな、もしかしたらゆきむら知っとるかな思たんや」


 あいつらもここにいんの……?


「パーティー歴は浅いんやどけな。どこのパーティーともうまくいかへんかったワイを拾ってくれたから、恩感じてるんや」

「それで監獄まで助けに来たのか……」


 スケベで口は悪いけど、やっぱビーフは良い奴なんだと思う。

 だからこそマルコたちの正体を知っている俺達は、苦い表情になる。

 言わないほうがいいかと思ったが、俺はテミスと視線と声を合わせる。


「「そのパーティー抜けたほうがいい(わよ)」」

「え?」

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