第33話 幻視痛

◇◇◇


 砕氷作業開始から6時間が経過――


 チュィィィンというドリルの回転音が響くミスリル銀山。

 エルドラの氷柱を砕く雪村の様子を、ミーティア達は不安そうに見守っていた。


「雪ちゃん大丈夫かしら。かなり根を詰めてやってるけど……」

「大丈夫よ、ドリルは充電されてるし、なにより今回はぶっ倒れてもママが回復できる」


 テミスは問題ないと言うが、ミーティアは問題はそっちじゃないと首をふる。


「雪ちゃんここに来てから、すごく口数が少なくなってると思うの」

「……そう? わりと普通だと思うけど」

「いや、確かに地下に来てからなんかおかしい」


 ヴィクトリアも同じ疑問を感じているようで、雪村の行動を不審がっていた。

 注意深く息子を見ている、彼女ママたちだからこそわかる変化。


「早くここを出たいみたいな感じがしてるぜ」

「わかるわ、すごく雪ちゃん焦ってると思う」

「そう? あたしは全然普通に見えるけど」


 二人のママとテミスはじっくりと砕氷する雪村を観察してみると、鬼気迫る表情でドリルしている彼の姿が映る。


「確かに急いでると思うけど……地震が怖いとかじゃない?」

「いや、終始怯えが顔に出てる」

「出てるわ」


 ヴィクトリアとミーティアの母の勘に、テミスは首を傾げるばかりである。

 二人は息子の悩みを理解することができず、徐々に頭を抱え、苦しみ始める。


「あぁ、雪ちゃんが何か悩みを抱えているのに、何もしてあげられない。なんてダメなママなの」

「あたしは……なんて無力なんだ」

「そんな魔王に負けたみたいな反応しないでよ。あいつに直接聞けばいいじゃん」


 悩んでるかどうかもわからないのに、遠くから頭を抱えていても仕方ない。

 テミスは雪村の元にツカツカと歩み寄り、二、三言会話した後、ママたちの元へと戻る。


「悩みある? って確認したけど、ないって即答したわ」

「ダメじゃないテミスちゃん! 悩みがある子に直接聞いちゃ!」

「ないって言うに決まってるんだから、自分から話すまで待ってやらないとダメだろ!」


 ブーブーと子育て理論を語るママに、テミスは頭を下げる。


「ご、ごめん」

「困ったわね。あぁ神よ、無力な母をお許しください」

「くそっ、これが育児ノイローゼって奴かよ!」

「ノイローゼになるの早くないですか?」


 テミスは「そんな繊細なやつじゃないと思うけどな」と呟くと


「テミスちゃんも他人事みたいに言っちゃダメ。雪ちゃんは、あなたのお兄ちゃんなのよ!」

「え?」

「雪ちゃんが産まれた後に、テミスちゃんが産まれたんだから当たり前でしょ」


 そう、産まれた順番は世界樹で雪村が誕生した後、ミーティアがテミスを出産したのだ。

 テミスは「は? マジで?」という顔をする。

 彼女も雪村兄弟説は考えなかったわけではない。

 しかし自分が姉だと思っていたので、実は妹かもしれないというのは驚愕の事実だった。


「エロゲージ溜めてドリル回すアレが、あたしの……兄? そんなの嫌よ! 絶対認めないわ! そもそもあいつが血縁じゃない可能性のほうが高いよね?」


 そう、テミスが雪村と兄妹関係になるのは、ミーティアと雪村が血縁関係であった場合のみである。


「そうだぞ、ユキはあたしの子だから何の心配もない」

「いーえ雪ちゃんは私の子です。テミスちゃん、雪ちゃんのことお兄ちゃんと呼んできて」

「絶対嫌よ!!」


◇◇◇


「なんか後ろでずっとゴニョゴニョやってるな」


 ママたちが少し離れた位置で、頭抱えたりノイローゼがどうのと叫んだりしている。

 一体何の話をしているのだろうかと思っていると、一瞬地震がおきた。

 わずか数秒だったが、採掘場が揺れ天井から大きな石が落ちてくる。

 幸い誰もいない場所に落下した為、岩は地面に当たってバラバラに砕けた。しかし砕ける際に、パーンと音が響いた。

 その脳に響くような音を聞いた瞬間、俺の体に嫌な記憶が蘇り、背中に強い痛みが走る。


「くそっ、またこれか……」


 膝をついて痛みに顔をしかめる。

 その様子を見て、ママたちが慌てて駆け寄ってきた。


「雪ちゃん! どうしたの!? 石がぶつかった!?」


 ミーティアさんが慌てて回復魔法をかけてくれる。

 だが、ケガしたわけではないので回復は無意味だ。


「いや、大丈夫、大丈夫だから。ちょっと古傷が痛んだだけなんだ」

「でも、お顔が真っ青よ」

「そうだぞ、汗もすごい」

「いや、ほんと大丈夫だから」


 俺は作業を続けようとするが、ドリルが回転しない。


「あれ? まだ充電30%くらい残ってたのにな」


 なんで動かないんだと思っていると、テミスがツカツカと歩み寄ってくる。


「雪村、あんた調子悪そうだし休みなさい」

「悪くないって。ちょっと気分が優れないだけで、こんなのすぐ治る。早く氷砕かないと」

「雪村、こっち向いて」

「なんだよ」


 俺が振り返ると、テミスに白い粉を吹きかけられる。


「ゴホッゴホッ、なんだこれ」

「眠り草を粉末にしたものよ」

「なんでそんなもんを……すやぁ」


 急激な眠気に襲われ、俺の意識は一瞬で夢の中へと落ちた。



「ん……あっ……」


 どれくらい寝ていたのかわからないが、薬の効果がきれて目覚める。

 眼の前を遮るのは、肌色の双丘。後頭部に感じるのは柔らかく温かいクッション。


「なんだこれ?」


 視界を遮る肉が、ミーティアさんの下乳だと気づいたのは数秒後だ。

 どうやら彼女の膝の上で寝かされていたらしく、俺の視界に映っているのは乳暖簾を下から眺めた光景のようだ。


「起きちゃったかしら」


 上半身を起こすと、エルドラさんの氷柱の前で、皆心配そうに俺を見ていた。


「あんた頭もドリルも回らないみたいだし、強制的に寝かせたわ」

「あぁすまん……気使わしちゃったな」

「なぁユキ、お前地下入ってから様子がおかしいぞ。何か嫌なことあったのか? ママにも言えないことか」


 ヴィクトリアさんが心配して、俺の顔を覗き込む。

 言うかどうか迷ったが、俺を心配してくれる人に感謝して口を開いた。


「俺さ……昔奴隷として捕まってた時、毎日のようにムチで背中打たれてさ。パーンっていう音聞くと本当にダメで、あの時のムチの音を思い出しちゃうんだ。奴隷商の気持ち悪い顔や、倒れる俺と同い年くらいの子供が頭の中に一気に蘇ってくる。傷は治ってるはずなんだけどね、フラッシュバックすると背中が痛くなって動けなくなるんだ……」


 俺は氷柱に向けて、自身の過去を吐露する。


「なるほどね……幻視痛ファントムペインってやつね。体は治ってるけど、過去のトラウマで脳が痛みを再現してしまう……」


 テミスの予想は多分正しい。

 人間には記憶に紐づいた傷というものが存在し、傷を負ったときの痛みの度合いや、記憶が苦しいものほど痛みは消えない。


「なによ普段バカみたいなくせに、ちゃんと重い過去背負って……。ってママ泣いてる?」

「雪ちゃんが、かわいそうでかわいそうで……つらひ……。ママがかわってあげたひ」

「苦しいんだよなぁ、でも男の子だから言えなかったんだよなぁ……おめぇは強いよユキぃ」

「もぉ、ママってばすぐ感情移入するんだから。……でも、雪村の痛みの原因が過去の記憶による幻視痛なら、具体的にどうすればいいか全然わからないわね」

「肉体を回復させるだけならママのヒールで治るけど、幻視痛には効果はないわ」


 対応に困っていると、ヴィクトリアさんが何かを思い出す。


「……ユキ、幻視痛が再現したのはさっきの落石じゃないだろ。お前は地下に入ってから、既に調子が悪かったはずだ」

「…………あのさっきのザマスがね」

「金メッキの野郎か。あいつがまさか、お前を捕まえてた奴か?」

「いや、直接じゃないけど。ルインズ商会ってのが、俺を捕まえていた奴隷商のグループなんだ」


 そう言うとヴィクトリアさんの目の色がかわる。


「ちょっとあのメッキ野郎、探し出して殺してくる。いや、半殺しにして、ユキを攫った赤子攫いの情報を聞き出してくる。ウチの子攫ってトラウマまで植え付けておきながら、のうのうと生きてるなんて許せねぇよ」

「いや、さすがにそれは……」

「奴隷商をぶっ潰せば、ユキの幻視痛は消えるかもしれない。あたしはやるぞ」


 まずい、ヴィクトリアさんの目が勇者のしていい目じゃなくなってる。

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