最終話 猫走りの愚者たち

場:劇場『ウォルターフォード』の猫走り(幕や降らせものの操作をするための、舞台天井にある狭い通路)

SE:ロープを巻き上げたりボルトやナットを締めたりするような作業音、猫走りに上がるための木製の粗末な階段を上る音。


ファルカ「アーサー、ここにいたの。みんな休憩してお茶飲んでるわよ」


アーサー「あ、ミス・ヒッグス! だめですよ、こんなところに来ちゃ!」


ファルカ「え? どうして」


アーサー「役者がここから落ちて怪我でもしたら困るんです!」


ファルカ「私は大丈夫よ」


アーサー「一昨年、実際落ちた役者がいたんですよ。そのときはかすり傷でしたけど、ミス・ヒッグスが落ちて大けがしても、もう代役を立ててる時間はないんですから」


ファルカ「あら、前例があるのね」


アーサー「そうなんですよ。それに衣装つけたまんまじゃないですか。破ったり汚したりすると大目玉食らいますよ」


ファルカ「用が済んだらすぐ降りるわよ。アーサーはここで何やってんの?」


アーサー「紗幕しゃまくを下ろしたときちょっと軋む気がしたので、タックルの軸に油差してました。五日前に整備したんですけど油が足りなかったみたいです」


ファルカ「へえ……私は気にならなかったけど」


アーサー「でも上演中にキイキイ鳴ったら興ざめでしょう?」


ファルカ「アドリブで、コウモリが鳴いたとでも言っておくわ」


アーサー「(笑って)コウモリが鳴く舞台なんて、貧相もいいところですよ」


ファルカ「コウモリって近くでよく見ると可愛いのよ?」


アーサー「あんまり近くで見たくないかも……」


ファルカ「もしかしてコウモリ嫌いなの?」


アーサー「ちょっと苦手かもしれません」


ファルカ「(笑ってから)……ここ、舞台が真下に見えるのね。いい眺め」


アーサー「こんなちゃんとした猫走りは、この規模の劇場だと珍しいんですよ。小さいとこは、背景幕も舞台袖で操作するのが普通なんです」


ファルカ「そう言えば、ここ、大手じゃないのに背景用のバトンが多いわよね」


アーサー「うちの舞台美術の持ち味は、紗幕の扱いだったんです。彩色した紗幕をいくつか重ねて奥行きのある森の中とか、霧の街角とか表現してました……でも、手間と費用がかかるから使わなくなって、今や整備不行き届きです」


ファルカ「それでタックルがキイキイ鳴ったのね」


アーサー「もう調整しましたから大丈夫ですよ。ところで、用ってなんですか?」


ファルカ「さっきマーカスが差し入れを持ってきたの。マーカスのフィアンセが作ったクリームパフよ」


アーサー「クリームパフ」


ファルカ「もしかして苦手だった?」


アーサー「いえ、大好物です」


ファルカ「よかった! (上機嫌なマシンガントークで)マーカスはね、再来週の日曜に結婚するの、素敵でしょう。結婚相手はグラニーって言うんだけど、母方がフランス系だからかしら、お菓子作りがうまくて何作ってもとにかくおいしいの! それにほんとに気が利くのよ。クリームパフにしたのは、スコーンより屑が出にくくて手も衣装も汚れないからですって。ああ、グラニーが私の義妹いもうとになるのが待ち遠しいわ。(我に返って)……あ、全然興味ないわよね、こんな内輪話」


アーサー「(苦笑して)ははは」


ファルカ「とにかくみんな楽屋でお茶にしてるから、アーサーも一服したら?」


アーサー「いえ、僕はもうちょっと作業してから……」


ファルカ「そういうと思ったから、あんたの分かっさらってきたわよ」


SE:ファルカの台詞に合わせ、バスケットを置く音、皿の音 カップにポットから注ぐ音


アーサー「(被せて)あの、ここ飲食禁止で……」


ファルカ「(被せて)あら、そうなの? でもここまで支度しちゃったのに片付けろなんて言わないわよね?」


アーサー「困りますよ、ミス・ヒッグス……」


ファルカ「(被せて)アーサーにもぜひ食べてほしかったのよ。自分は後で残り物を、なんてだめ。おいしいものほど残らないんだから」


アーサー「……おいしいものは皆さんに食べてもらったほうがきっと幸せですよ」


ファルカ「そういう諦める言い訳みたいなのはいいから。食べる前にナプキンで手を拭いて! はいどうぞ」


アーサー「(おずおずと)……ありがとうございます」


ファルカ「私もここでいただいていい?」


アーサー「みんなには秘密ですよ」


SE:飲食の音


アーサー「ん? これ、めちゃくちゃおいしいですね」


ファルカ「でしょう?」


アーサー「はい。その辺の菓子屋のより美味しいですよ」


ファルカ「グラニーに言っとくわね。きっと喜ぶわ」


アーサー「ええ、よろしくお伝えください」


SE:茶器の音。

間。


ファルカ「……あのね、アーサー、ちょっと思ってたことがあるんだけど、聞いてくれる?」


アーサー「何でしょう?」


ファルカ「ここのところずっと、あなたちょっと元気がないわよね」


アーサー「え? 元気ですよ。元気じゃなかったら猫走りで作業なんかできませんって」


ファルカ「んー、そういう元気じゃなくてね……アーサー、ここのところずっと、独りでいられる作業をわざわざ探してない?」


アーサー「いや、そんなことはないんですけど」


ファルカ「役者さんたちと目を合わせないし、なんだか私を避けてるような気がして」


アーサー「そんな風に見えます?」


ファルカ「見えるわ」


アーサー「(ため息をついて)そうなんですか」


ファルカ「私、デリカシーがないの自覚してるから、不快な思いしてたら遠慮なく言って」


アーサー「いや、ミス・ヒッグス、あなたの言動で嫌な気持ちになったことはありませんよ」


ファルカ「じゃあなんで浮かない顔してるのよ」


アーサー「(ため息)自己嫌悪ってとこですかね。僕は器が小さい人間なので……」


ファルカ「どういうこと?」


アーサー「自分でも整理がついてないんで、ぐちゃぐちゃな話になりますけどいいですか?」


ファルカ「もちろん」


アーサー「(少し考え込んでから)こういうこと言うとみんなに殺されそうだけど、僕は子どもの頃から芝居があんまり好きじゃなかったんですよ……芝居に親をとられた、さびしい子どもでしたから。この劇場を継ぐ気もなかったし、両親も僕には期待していませんでした。僕がのんきに学生やってた頃、父はウォルターフォードの経営難を僕にも世間にもひた隠しにしてたんです。そして金策に奔走するうちに突然倒れて死んでしまって……なんにせよ、死んだ父の名義のままではなにもできないし、母は経営実務をやりたがらないしで、ずぶの素人の僕が引き継いだんです。ノウハウも熱意もないのに」


ファルカ「アーサーはここを担保に渡してすぐに自由になることもできたのに、なんでそうしなかったの? 気が変わったの?」


アーサー「ここを継いだ後、現場でいろいろやってるうちに、だんだん、僕でもやれることはやりたいと思うようになったんです……でも僕ができることなんかそんなにないし、ついネガティブなことばかり言ってしまうし、結局自分は役立たずなんだと思い知らされることばかりなんです」


ファルカ「あんたは役立たずじゃないわ」


アーサー「(ちょっと笑って)みんなもそう思っててくれるといいんですけどね」


ファルカ「あんたはこの劇場こやには不可欠な人よ。世間一般的に見ると、あんたはまともな感性を持ってる。変人しか乗ってない船は沈んじゃうものだわ。舵を取る人がいないとめちゃめちゃになるから、あんたはやっぱり必要よ」


アーサー「(笑って)役者のみんなはたしかに変人ばっかりですけど、……少ない実入りを愚痴りながらも裏方も雑用もしてくれて、生き生きと舞台に立ってる。でも僕は雑用くらいしかできなくて、ふっといたたまれない気分になることがあるんです」


ファルカ「そう……」


アーサー「(情けなさそうに)この間、僕が主役に起用されたのは正気の沙汰じゃありませんでした。台詞読みの手伝いをすることもあったからアーサーならきっとできる、っておだてられたのもあって、もしかして僕にも眠っている才能があったりしたら、なんて妄想したりして、必死に練習したんです。でも結局はぐだぐだで……あの場にぶらっと現れたミス・ヒッグスがさらっと母に気に入られたときは、本当に惨めでした」


ファルカ「(気を遣ったように)何て言ったらいいかわからないんだけど……ごめんね」


アーサー「(ちょっと笑って)謝るところじゃありませんよ、ミス・ヒッグス」


ファルカ「(間をおいて)……ねえ、そろそろそのミス・ヒッグスって呼ぶのやめてくれない? 私だけお客さん扱いみたいで居心地悪いわ。他の人たちみたいにファルカって呼んでよ」


アーサー「……ごめんなさい、身内として受け入れるのに時間がかかってるんです。ミス・ヒッ……(慌てて言い直して)ファルカには感謝してるし、才能も認めていますけど、なんとなく複雑で……あの、大丈夫ですか、こんな話聞いて」


ファルカ「(笑って)私はアーサーの思ってることが聞けてよかったと思ってるわよ?」


アーサー「不思議だなあ、なんだかスルッと話してしまいました」


ファルカ「私、喋りすぎでうっとうしいってよく言われるんだけど、その中に何人か、こう言った人がいたわ。『あんたと話してると、いらんことまで調子に乗ってペラペラ喋ってしまう。だから、話した後で嫌な気分になる』って」


アーサー「……わかるような気がする」


ファルカ「あんたも嫌な気持ちになった?」


アーサー「いいえ、僕はファルカと話して少し気持ちが軽くなった気がします。ありがとう」


ファルカ「お礼を言われるようなことはしてないわよ。 あ、クリームパフ、最後の一個だわ。アーサーどうぞ」


アーサー「いえいえ、ファルカこそどうぞ」


ファルカ「私はマーカスんとこ行けばいつでも食べられるもの。(少し芝居がかって)オーナー様、お召し上がりくださいな」


アーサー「(少し芝居がかって)では遠慮なく(食べる)」


ファルカ「あー、明日、お客さんどのくらい入るかしらねえ」


アーサー「ありがたいことに、前売り券は完売です。このペースなら初日は立ち見も出るかもですよ」


ファルカ「へえ! すごいじゃない!」


アーサー「……女性が男性役をやると聞いて、笑い者にするために券を買った人が大多数です。口さがない批評が新聞や雑誌に載ることも予想できます。覚悟はできてますか?」


ファルカ「できてなかったら今頃逐電ちくでんしてるわよ」


アーサー「それはそれでスキャンダラスですね」


ファルカ「そしたら話題性で売り上げが伸びないかしら」


アーサー「僕の寿命が縮みそうなのでやめてください」


ファルカ「冗談よ。逃げたりなんかしないから安心して。さあ、そろそろ休憩は終わりだわ。私、降りなきゃ」


SE:カップや皿をバスケットに片付ける音


アーサー「あのー、ファルカ、ここで話したことは皆には秘密にしてもらえませんか」


ファルカ「ええ、もちろんよ」


アーサー「降りるときも気を付けてくださいね。下見て怖くなる人もいますから」


ファルカ「私、高いところは平気なのよ。ほら、ことわざで『なんとやらはより高いところにのぼって、より派手に落っこちる』って言うじゃない? 私は多分そのなんとやらだわ」


アーサー「『なんとやら』って『猫』、でしたっけ?」


ファルカ「(真面目くさって)ばか、じゃなかったかしら?」


アーサー「(ぼやくように)……落っこちないでくださいよ、ほんとに」


ファルカ「大丈夫だってば。アーサー、あんたと話せてよかったわ」


キャラン「(遠くから)ファルカ! ファールカ!! どこーー?」


ファルカ「(慌てて)あっ、じゃあ、また後でね」


アーサー「ちょっと待って! 散々なことを言っておいてなんですけど、大事なことを言い忘れてます」


ファルカ「何?」


アーサー「僕は、……そりゃ器が小さくて色々複雑ではありますけど、誰がどんなケチをつけたって、舞台に立っているときのあなたは最高にかっこいいと思ってますよ」


ファルカ「(間を置いた後、ちょっとコケティッシュに)うふふ、ありがと。百人力だわ」


SE:小さな木の階段を降りていく音


  ーー終劇。

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カレイドスコープの劇場【フリー台本】 江山菰 @ladyfrankincense

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