第36話

 課長が出て行っても主任と私は会議室にいた。私の涙が止まらなかったからだ。さっき課長が「小春」って呼んだのも、そのせいだと思う。何故かあの瞬間だけ涙が止まったから。


 主任は一度フロアに戻った。私が通常の業務を続けられないと判断し振り分けるために。

「山本さん、今日はもう帰ってもいいよ。どうせあと1時間で退社時間だから」

「嫌です。もう大丈夫ですから、私にも何か手伝わせてください。残業でも何でもします」

 私に、何が出来るかはわからないけれど、このまま帰るなんて出来ない。きっと、課長も含めいろんな人が走り回っているのだろう、私のミスのせいで。

 あぁもう、、嫌だ、、油断すると猛烈な自己嫌悪に陥ってしまう。けれど、課長の言うとおり落ち込むのは後にしよう。今は何でもいいから役に立ちたい。

「お願いします」

「わかった、聞いてみる」

 主任が連絡を取ってくれるようだ。


「搬入口に来てって」

 主任がそう言うなり立ち上がるから私も続く。

 目的の場所には人だかりが出来ていた。ちょうどトラックが荷物を運んできたところみたいだった。

 その少し手前では、部長が指揮を取っていた。

「雛っ、四課の岡林に連絡して一緒に行ってきて。昔の取引先だけど懇意にしてたから話くらいは聞いてくれると思うから。あとは雛の話術でなんとか堕としてきて」

「相変わらずの無茶振りですね」

 課長はそう言いながらも自信ありげに、行ってきますと続けた。

 そして、私たちに気付くと「こっちよ」と呼んだ。

「良かった、猫の手も借りたかったの。今来た荷物を倉庫に運んでくれる? 私はちょっと外に出てくるから」

「はい」


 主任と私は、他の社員さんと一緒にひたすら荷物を運んだ。体を動かしていたため考え事をする暇がなくて、今はそれがとても有難い。

「これで終わりかな、あぁもうこんな時間ね、帰るわよ山本さん」

「でもまだ……」

 たぶん課長はまだ帰ってきていない。

「明日の仕事もあるのよ、これ以上は私が怒られるわ」

「そうですね、主任、今日はすみませんでした」

 私に付き合って、肉体労働の残業をさせてしまった。

「そこは、ありがとうでしょ」

「もちろん、感謝もしてます」


「納期、明日だって? 間に合うのか?」

 同じように帰り支度をする社員の会話が耳に入ってくる。

「いや無理でしょ、時間なさ過ぎ。半分いけばいいところじゃないかな」

「その場合はどうなるの?」

「交渉次第だろうけど、かなりの損失だろうね、まぁ会社が傾くことはないだろうけど」



「ところで山本さん」

「……え、はい」

「課長と親しいの?」

「へ?」

「さっき、名前で呼ばれてたから」

 あ、どうしよう、何て言えばいいんだろう。

「時々、ご飯を一緒に食べています。あ、でも違うんです、私が無理言って食事に連れて行ってもらって、えっと、私が勝手に憧れてるだけで……」

「あらそう、そうなのね。ふふ、だったらーー」

 しまった、余計なことを言ってしまったかも。

「課長を信じていればいいと思うわよ」

「え?」

「名前も知らない社員の噂話より、課長の方が信じられるでしょ」

 さっきの人たちの会話、あれを聞いて私がまた自己嫌悪に陥った事がバレていたらしい。確かに、今信じたいのは課長で、信じられるのも課長ーー雛子さんだ。

「主任」

「ん?」

「ありがとうございます」

 ありったけの感謝の気持ちを伝えた。

 

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