インシデント
第35話
「雛子さん、好きです」
「ん、ありがとう」
二人で会う時には、必ず一度は好きと言うようになった。だって好きなんだもん。
だけど雛子さんは、憧れとか、人として上司として好意を持っている、という解釈をしているようで、いつも軽くお礼を言われて終了する。
不本意ではあるが、嫌われているわけではないし、笑ってくれることが増えたし、暗い時限定だけど手を繋いでくれるし、二人で過ごす時間は私にとって至福の時間で。
私は相当に浮かれていたんだと思う。
決して仕事を疎かにしていたわけではない、逆にやる気に満ちていた筈なのに。
やらかしてしまった、インシデントを通り越したアクシデントを。
その日は珍しく午後になっても課長はデスクにいた。なので仕事をしながら時々姿を眺めては癒されていた。今日も綺麗だなぁ……って。
課長が電話を取り話をしている。声は聞こえないが、表情が変わる。あれ、何かあったのかな?
視線が合った。たまたまではなく、しっかりと私を見ている。
不穏な予感、それが現実となる。
「山本さん、ちょっと確認したいことがあるから来て。主任もお願い」
一度席を外した課長が戻ってくるなり私と主任に声をかけた。
課長の後に続いて小会議室へと入る。
「今、連絡があって、生産部の方でトラブルが起きているの、どうやら受注ミスらしいのだけど、最初に受けたのが山本さんじゃないかって。覚えてる? 一週間前のことなんだけど」
と、1枚の受注表を渡された。
あ、これは……
「はい、私です。ちょうど営業部に誰もいなくて私が受けた……え、ミスって」
嘘、待って、私のミスでトラブル? 何が起きてるの? いろいろ聞きたいのに心臓の音がうるさいし、頭に血はのぼってるみたいに顔は熱いのに、指先は冷えていて震える。
「そう、分かったわ」
課長は本当に確認だけで、一切の説明もなく立ち上がる。
「待ってください、私は何を間違えたんですか? 今どういう状況なんですか?」
すでに半泣き状態だけど、それだけは聞きたくてすがる。
「数がね、一桁違ったみたい」
「えっ?」
血の気が引く。それって、大変なことなのでは?
「いつもの担当がしばらく休んでいて気付くのが遅れたみたいで、今製造を急いでるんだけど」
「課長、納期は? 私たちに出来ることはありますか」
主任が尋ねる。
「納期は明日の正午」
ひゅっと息をのむ音がした。
どうしよう……どうしたら……
「ーーさん、ーーもとさん、小春!」
はっ、気付けば真剣な顔の雛子さんが私を見ている。
「よく聞いて」
「は……い」
「最初に受けたのは小春だけど、貴女だけのせいじゃない、何人かの目に触れて、それでも気付けなかったの。今は自分を責めないで、いい?」
「でも……」
「私はこれから報告とか問い合わせとかで戻ってこれなくなると思うから、主任、この子お願いね」
「わかりました。何かあればいつでも連絡してください」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます