第34話

「いいなぁ」

 小春の呟きだった、視線の先は今しがた去っていった二人。

「氷室さんみたいなのがタイプなの?」

 さっきの発言といい今の発言といい、まるで憧れているような感じで、私の心はチクチクと痛む。

「へ? そんなんじゃないですよ、ああやって手を繋ぐのがいいなぁって思っただけで」

「なら、繋ぐ?」

 私の手を差し出す。

「……」

 小春は、文字通り目を丸くして言葉を失っていた。

「はは、冗談だよ。さぁ私たちも行こうか、今日は何食べよう」


 何であんな事を言ってしまったのか、恥ずかしさで頭が沸騰しそうだった。顔を見られたくなくてサッサと歩く。

 私は手を繋ぎたかったのか、氷室さんに対抗したかったのか、どちらにしても……そういうことなのだろう。


「え、え、雛子さん待って」

 我にかえった小春が追いかけてくる。

 青空はもう夕やみへと変わっていた。

「この辺り、カレー屋さんが多いのね」

「そうですね、スパイシーな香りがします」

「カレーは好き?」

「はい、好きです」


 本格的なカレー屋さんだった。

「辛さが選べるのね」

「美味しそうですね」

 当たりだった、美味しいカレーだった、でも。

「暑い」

「雛子さん、汗凄い」

 辛さは真ん中の『3』にして、それ程辛くはないのに、吹き出る汗の多さよ。

 ハンカチで拭いても拭いても追いつかない。

「新陳代謝が良いってことですよね、これも使ってください」

 なんて、ハンカチを小春に貸してもらうことになるとは……あぁ情けない。

 それでも小春は終始ニコニコしていて嬉しそうだった。


 ただ、いつものように会計時には不満を漏らす。自分もお金を出したいのだと。

「今日はほら、探し物を手伝ってもらったでしょ、見つけてくれたお礼にご馳走させてよ」

 外へ出るとすっかり夜の帳が下りていた。

「いつもそうやって出させて貰えないんですけど」

 気持ちは分かるけど、部下に払わせるわけにはいかないじゃないか。

「小春にご馳走したいんだけどなぁ、ダメ?」

 今日、近くなった二人の距離を利用してみた。

「うわぁ、雛子さんズルい。そんな風に言われたら拒否れない」

「ふふふ」

「だったら雛子さん、私のお願いも聞いて貰えますか?」

「私に出来ることなら、いいよ」

「手を……繋いでも?」

 声が急に小さくなっていた。

「でも、さっき」

「あの時はパニックになって言葉が出なかっただけで、本当は繋ぎたかったのに」

 さっきの私の恥ずかしさを思い出した。きっと小春も今、勇気を出してくれたんだろう。

「いいよ、繋ご」

 差し出した右手に、そっと触れる小春の左手。

 物理的にも縮まる距離、自然と歩く速さを合わせる、ゆっくりと。


「雛子さん」

「なに?」

「呼んでみただけ」

「なにそれ」

 隣を見なくても微笑んでいる顔が想像できる。

「雛子さん」

「なぁに、呼んだだけ?」

「好きです、」

「っ……」

「憧れてます、雛子さんみたいになりたいって思ってます」

 心臓が止まるかと思った。

「ありがとう」

 なんとか、その一言を絞り出した。



 長いと思っていた駅までの距離はあっという間だった。

「着いたね」

 路線が別なので、今日はここでお別れだ。

「じゃあまた会社でね」

「雛子さん、またデ……お休みの日に一緒に出掛けてくれますか?」

「いいよ、どこに行きたいか考えといて」

「はい」

「ほら電車来たよ、気をつけて帰ってね。おやすみ、小春」

 元気よく手を振って乗り込んでいった。


 もしも、万が一、何かの間違いで。この先二人が付き合うことになったなら、今日がきっと初デートになるんだろうなぁと思いながら電車に揺られていた。

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