これはもうデートと呼ぶべきものじゃないか

第33話

「雛子さん」

 そう呼ばれた時には体が固まった。

 嫌な感じは全くなくて、寧ろ……

 不思議だった。

 私は自分の名前を呼ばれるのが恥ずかしかった。子供の頃ならいざ知らず、いい歳をして雛子なんてと思っていたから。

 なのに何故だろう、彼女の口から発せられた自分の名前を聞いた時には、体の中心がほんのり温かくなったのだ。


 その午後は、澄んだ青空に白い雲が浮かんでいた。

 昨日はあんなにしょんぼりしていたのに、今日はこの空のように晴れやかな笑顔の彼女を見て、誘って良かったと思った。

 思いがけず古書店巡りも一緒にすることになったが嬉しそうだし、率先して探してくれるし、3箇所目の書店で「課長! ありましたぁ」って、まぁまぁ大きな声で叫ぶし。


 お休みの日だし、可愛らしい服だし、お天気も良いし。だからかな、課長って呼ばれたくないなって思ってしまって、そうお願いしたのは私。


 ーー雛子さんーー悪くないかも。


「小春って呼んで欲しいです」

 そう言った彼女に、こ、小春とぎこちなく呼べば、分かりやすく口元をほころばせる。

 名前というのは不思議なもので、呼び方を変えるだけで、今までよりも格段に距離が縮まった気がする。



「あれ、飯田さん?」

 カフェを出たところで、見知った顔に出会った。

「あら、氷室さん。お買い物?」

 隣にいた小春がハッとしたのが分かった。

「彼女の仕事ついでのデートですね」

 しれっと答える氷室さんは相変わらずの美貌だった。

「あぁ、例の彼女さん?」

「出版社に勤めてるんですよ」

「へぇ、それで古書店デートなのね」

 ふと氷室さんの視線が小春へと向く。

「あ、おつかれさまです。氷室さん」

「どうも」

 課が違うので知らないんだろうな。

「うちの課の山本さん」

「あぁ……えっと、ごめん。他の部署の方覚えてなくて」

 やっぱりね。

「全然大丈夫です、挨拶出来ただけで光栄です」

「「えっ」」

 氷室さんと同じ反応をしてしまった。

「だって氷室さん、有名人ですから」

 本人は自覚がないようで、あははと照れたように苦笑いをしていた。



「あ、来た来た」

 そんな氷室さんの優しい視線の先には、小柄な女性がこちらに向かって歩いていた。

「栞菜ちゃん、お待たせ」

「打ち合わせ、終わった?」

「うん、今日はもうこれで終了。あ、こんにちは」

 私たちに気付き挨拶をされる。

「こんにちは、同じ会社の者です。偶然会って」

「あぁ、いつもお世話になってます」

「いえいえ、こちらこそ」

 歳下だと言っていたけど、しっかりした子のようだ。

「じゃあ、行こうか」

 氷室さんは、まるでそれが当然というように、スマートに彼女と手を繋ぎ歩き始めた。氷室さんも彼女も幸せそうに笑っていた。

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