第32話

「今日はありがとう、手伝ってくれて」

「いえ、楽しかったです。本も好きだしそれに……」

「なぁに?」

「いえ、あの。デートみたいで嬉しいなって」

 言っちゃった。

 課長の反応は……しばらく無言だ。

「あの、課長?」


「あのね、山本さん」

「はい」

「今日は休みの日だし、会社からは遠いし、そのーー課長って呼ぶのはやめてもらってもいいかしら?」

「あっ、はい。そうですね、えっと雛子さん」

「えっ」

 課長、いや雛子さんのカップを持つ手が止まった。しまった、つい名前の方を呼んでしまった。

「あ、失礼しました。飯田さん?」

「あぁ、えっと、どちらでもいいけど」

「いいんですか?」

 だったら『雛子さん』一択だよ。

「雛子ってなんだか私に似合わないでしょ、だから恥ずかしのよね。でも親がつけてくれた名前だしねぇ」

「なんでですか、全然似合ってますよ、素敵な名前だと思います。雛子さん」

「そう? 山本さんは優しいね」

 うぅ、今度は私の手が止まる。カップを一旦置いて向かい合う。

「雛子さん、私も名前を呼んで欲しいです」

「えっと」

 まさかとは思うけど、名前知ってるよね?

「そうね、小春さん」

「うーん」

「え、だめ?」

 不満が顔に出ていたらしい。

「さん付けじゃなくて」

「小春ちゃん?」

「もう一声!」

「なにそれ、面白いけど」

 どういうこと? と首を傾げる。

「小春って呼んで欲しいです」

「それはちょっと、どうかと思うんだけど」

「そうですか? 会社の人でも親しい人なら呼び捨てもあるんじゃないですか? もちろん仕事中はダメですけど。例えば、雛子さん部長にはなんて呼ばれてます?」

「部長? そうね、雛って呼ぶわね」

「ですよね?」

「わかったわ、善処するわ。こ、小春」

 あぁ、やばい。幸せすぎてだらしない顔になっちゃう。


「あ、そうだ雛子さん。この前イチオシの動画見つけたんです。もうメロメロになるやつ」

「どれ?」

 私はスマホを操作しつつ、雛子さんの隣へ移動する。

「これです」

 小さなスマホ画面を二人で眺める。

「はぁぁ、可愛い」

 愛くるしい仔猫たちが動き回る動画を小さなため息とともに見つめる雛子さんを、横目で盗み見する幸せ。


 これってもう、どっからどうみてもデートだよね、間違いないよね。

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