第28話

 結局1時間程の残業をしたが、その間ずっとモヤモヤしていた。胸騒ぎというかなんというか……気になる。

 楽しく飲んでいるのならばいい、そう、これは嫉妬ではなく、ただの老婆心。

 それでも気になるものは気になる。

 私は一本の電話をかけた。



「大丈夫ですから」

「やっ、今日は帰ります」

「本当に、大丈夫なので」

「ーー離して……」


 私の耳は彼女の声だけを拾っていた。


「どうかした? 山本さん」

「えっ、課長? どうして……」

「近くで打ち合わせがあって、今終わったの。それで、何かトラブルでもあった?」

 山本さんの向かいに立つ男性ーー確か生産部の社員で名前は……

「栗田くん、だったかしら? うちの子が何か失礼をしました?」

「いえ飯田課長、ちょっと飲み過ぎたので送って行こうかと思っただけで」

「そう、私には嫌がってたように見えたけど気のせいなのよね?」

 視線を合わせたまま一歩前へ出れば、彼は後退る。

「え……あっ」

「そうね、山本さんを1人で帰す訳にはいかないわね、どうする? 彼と帰るか、私と帰るか」

「課長と、帰ります」

「ですって、栗田くん」

「あ、はい」

 すっかり意気消沈している様子だから、これ以上圧をかけても仕方ないか。

「ではまた会社でね」

 そう言って山本さんの手を取ってさっさとその場を離れる。


「か、課長」

 か細い声が聞こえ我にかえる。彼女を見れば泣きそうな顔。

「ごめんなさい、早く歩き過ぎたわ。体調悪い?」

「ちがっ、そうじゃなくて」

 と、俯く。視線の先には咄嗟に繋いだ手。

「あぁ、ごめん。強引過ぎたわね」

 感情的になっていた、それは認める。ただ、あのまま見過ごして彼に連れて行かれたら……そう思ったら勝手に体が動いていた。


 タクシーを捕まえて乗り行き先を伝える。

 走り出した車の中は小さくラジオがかかっていて、気持ちも落ち着いてきた。

 とにかく、間に合って良かった。


 胸騒ぎに耐えられなかった私は、主任に電話をかけ、若い子が飲み会をするお店の心当たりがないかを聞いた。

「よく利用しているのはーー」

 と、快く教えてくれた主任には後で何か送っておこう。


 車中ではほとんど会話をせず目的地へ到着した。彼女の住むアパートだ。

「あの……」

 タクシーには待ってもらって部屋の中へ入るまで見届ける。

「しっかり戸締りしてね」

 まさかとは思うけど、彼が逆恨みしないとも限らない。用心するに越したことはない。

「あの、お茶でもーー」

 良ければ、と控えめに誘われたが。

 今日の彼女はずっと悲しそうな顔をしていて、私は貴女を……

「ありがとう、今日はやめておくわ。ゆっくり休んで」


 帰りのタクシーの車中で私は目を閉じ、今日の自分の行動を振り返る。

 彼女を悲しませたのは私かもしれない。

 嫌がっていたように私には見えたけれど、もしかしたらそうではなかったかもしれない、または私が割って入らなくても自分で断れたかもしれない。

 あの時彼女は何か言った? どんな顔をしていた? わからない。

 相手の事も考えず自分の気持ちだけで突っ走ってしまった、こんなこと今までにあったかしら。私の気持ち……誰にも取られたくないという、一方的な思い。嫉妬以外の何物でもないではないか。こんな醜い気持ち、彼女にだけは知られたくない。

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