第25話

「ごめんなさい、また遅れちゃって」

 食事の約束の日、やっぱり定時には終われなかったらしい。

 息を切らして私の元へ近づいてくる課長が可愛らしいから、私はこの待つ時間も苦痛ではないし、むしろ好きなのだが。

「ほんとごめん」

 両手を合わせて申し訳なさそうにしている。こんな課長をきっと他の社員は知らないだろうと思うと優越感に浸ってしまう。


 今回は課長の友人が働いているというお蕎麦屋さんへ連れて行ってもらった。

 手打ち麺に拘っているというお蕎麦屋さんの、おススメの鴨せいろを注文した。

「はい、こちらが田舎そばで、こっちが十割そばね」

 お店の人が説明しながらテーブルの上においてくれるが、お蕎麦の種類はよくわからない。

「あの、どう違うんですか?」

「粗くひいたそば粉で作ったのが田舎そばね、十割そばは小麦粉を混ぜずにそば粉だけで作った蕎麦ね」

 ニコニコしながら教えてくれた。課長にも笑顔で「ごゆっくり」と言う。


「あの方がお友達ですか?」

 課長の反応からも、そうかなと思った。

「そう、山本さんの先輩よ。5年前までうちの部署にいたのよ」

「そうなんですか?」

「優秀だったのよ」

「どうして退社を?」

 結婚でもしたのだろうかーー私には無縁だがーー今でも寿退社はよく聞く話だ。

 そう言うと課長は少し眉を寄せた。

「ご親戚に不幸があってね、このお店を手伝うことにしたんだって。あの頃は随分悩んでいたみたいだけど、今はあの通り元気に幸せそうにしてるから良かったなって思ってるの」


「お待たせしました、天麩羅盛り合わせです」

「あ、きたきた。ここは天麩羅も絶品なの、食べましょ」

「毎度ご贔屓にして頂いてありがとうございます」

 お友達ーー藤井さんというらしいーーは、丁寧にお辞儀をする。

「だって大ファンだもの」

「それはそれは……奥で蕎麦打ってる叔父さんも喜ぶわ」

 掛け合いからも仲の良さが窺える。

「会社の子?」

 私にも気さくに話しかけてくれる。

「はい、お蕎麦美味しいです。私もファンになりました」

「やだ嬉しい、こんな素直で可愛い子がいるなら復職しようかな」

 人見知りしない、カラッとした笑顔が魅力的な女性だ。

「でも先輩、会社の子連れてくるの久しぶりですね。前は結構来てくれてたのに」

 もっと連れて来てくださいよ、と小さく営業なんかして。

「そりゃ役職が上がるとね、無理に誘うとパワハラになるでしょ?」

「そっかぁ、偉くなるのも辛いね」

 ふと、藤井さんが私の顔を見た。

「あ、今回は私が強引に誘ったんです」

 決してパワハラなんかではないことを明言しておく、課長の名誉のために。

「ほぉ」

 と、嬉しそうな顔をしていたが、私はそれよりも別の事を考えていた。


 そうか、以前は部下を連れて食事に行っていたのか。私との食事もそれと同じで特別なことではないんだろうか。

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