遠い人

第9話

 その週末は、ずっと考えていた。いや、頭から離れなかったという方が正解か。ある一人の女性ーー飯田課長のことを。


 確かに私が軽率だったのかもしれない。つい欲望に負けてしまったのは認める。だけどあの夜あの瞬間は課長だって受け入れてくれていたと思ったのだ。

 それを、まるで何もなかったかのようにされるなんて。

 一夜だけの遊び? そういう事を課長がするとは思えない、そんな人じゃないーーと思いたい。

 でも、身体の関係を持ったからって、じゃあそのまま付き合いましょう、とはならないか。

 私なんて課長には相応しくない、釣り合ってないって、私自身も思うし誰が見ても思うだろう。

 もしかしたら本当に覚えていない、記憶にないのかも。その可能性もゼロではないよね、確率は低いけど。


 あれこれ考えていたらテレビからよく聞く音楽が聞こえてきた。ずっと昔からこの時間帯にやっている番組だ。実家にいる頃には父が「これを見ると明日は仕事かぁって憂鬱な気持ちになる」なんて言ってたっけ。私は早く明日になって課長に会いたいな、話せなくても遠くから眺めるだけでも幸せだ。

 課長も見てるかなぁ、いや子供向け番組なんて見てないか。

 今頃何してるんだろう、ご飯食べてるのかな、食べ物は何が好きなんだろう。そういえば課長の作ってくれた朝ごはん美味しかったなぁ。

 もっと課長の事を知りたい、知れば知るほど好きになる自信がある。私のことも知って欲しい、至らない点はいっぱいあるだろうけど好きになってもらえるように努力する、課長のためならなんでも出来る気がしている。

 そうだよ、今まで諦めていた恋とは違う。同性だろうが上司だろうが関係ない、たとえライバルがいっぱいいても諦めきれないこの気持ち。

 自分の気持ちに正直になろう、あの夜のことはなかったことにしても、また一から始めればいい。

 今までみたいに何もせずに後悔するより、口説いて玉砕する方がマシだ。いや玉砕はしたくないが。


 まずは私を知ってもらうために、食事にでも誘おうか。

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