G-22 そして世界は嘘をつく

 行き場を失った執念を吐く彼を、夕陽が黄色に彩る。


「先輩から受け継いだこの優勝旗、後輩に渡すはずだったのに」

「今日、か?」

「あぁ。バックレてきた。台無しだよ、全部」


 廃ホームに、色褪せた旗が転がっていた。十数年前に全国大会で勝ち獲ってから、エースからエースへ、代々受け継がれているという。眩しい話だ。


「今日で引退なのに、みんな笑って見なかったフリして……こんな執着してたのは、オレだけだったのかよ!」


 柵を軽く殴ると、勢いよく彼はホームへ腰掛けた。


「ごめんな。こんな話……オマエにはわかんないよな」


 その苦笑は俺を蔑む。


「まるで八つ当たりだな、こんなの。オレだけだったってのに…」


 その自嘲が俺を蝕む。


「……オマエは、幸せだよ」

「なんでだよ」

「文化部だから…ってのは言い方悪いな。でも、俺を見てみろ。こんな惨めな俺を。何もできずに潰されて、全部失った。そんなことになるよりはずっとマシだ。」


 1番ホームから出る札幌行きの電車の音を遠く聞く。

 ははは、と俺はから笑いした。


「は、笑えるよな。羨ましい」

「……なぁ」

「いや。笑うことすらできないこんな悔しさ、味わぁないに越した事ねえ」


 俺は奥歯を噛み締めて、たまらず線路へ飛び降りる。


「なぁ――さっきから、なんなんだよ」


 塗り潰された『月潟方面』の文字を背に。


「不幸自慢か? 結構なこった。同情してやる」

「……は?」


 一瞬困惑した雨龍も、俺の言葉を呑み込むと露骨に不快な表情をした。


「同情、だと。そんな軽いもんじゃねぇだろ。簡単にされてたまるかよ」

「でもそれで満足なんだろ。可哀想だね、辛かったね。顔も見えねぇ誰かからまでそんな声たくさん掛けてもらってるじゃねぇかよ」

「っ、お前……!」

「それ以上の何があるんだよ。俺たちには何もできねぇ。何もできなかった。」


 そこにあるのは耐え難い無力。本当にそれだけだ。


「知らないのに、舐めたこと抜かすなよ!」


 雨龍が怒鳴る。


「狂ったようにボール追っかけて、ずっとずっと、ずっと。この三年間。死ぬ気でやり続けたんだよ」


 プラットホームに置かれた拳が震えている。


「去年の決勝で、死ぬほど悔しい思いして。みんなで今年こそインハイ行くんだって。全部の青春賭けて、泥みたいに毎日。雨の日も雪の日も打ち続けた。絶対勝つぞってな。でも!」


 錆びたレールがひずむ。


「突然、全部奪われたんだよ」


 それで終わりか、俺はせせら笑った。


「そんなこと誰だって同じだろ」

「なわけあるかよ!」


 雨龍が俺を睨めつける。


「俺たちも奪われたんだよ。知ってるだろ?」

「はぁっ? 同列に扱うなよ」

「優劣なんて……ないだろうが」


 あっははは、と雨龍は笑い出す。


「インターハイは全高校生の夢なんだよ」


 ホームから飛び降りて、俺の前の線路に立つ。


「それを奪われた痛み――…文化部にはわかんねぇよ!!」


 怒鳴り声が廃線に響き渡る。あぁ。その言葉が聞きたかった。


「わかんねぇとも!」


 俺は叫ぶ。ずっと、ずっと言いたかった。


「何がインターハイだよ! ないのは今年だけじゃねぇか!」

「てめぇっ!!」


 襟首を掴まれる。けれども止まらない。


「ここに汽車は二度と来ないんだ!」

「オレ達の決戦だって、もう出来ねぇんだよ!」


 わかってる。一般的に価値があるのは後者のほうなんだろう。


「高校最後の夏だったんだよ……」


 知っている。一度しか来ないこの夏は、あまりにも理不尽に霧散した。斜めに俯いて唇を噛む雨龍を、ぐっ、と俺は突き放す。


「はっ。その無念、引き継いでやる後輩がいるだけマシじゃねぇか」

「……は?」

「俺らには引き継ぐアテもないんだよ」


 引き下がって、小石を弱く蹴った。


「インターハイの代わりにはならないだろうけどな。お前らが部員と最後の夏を、けじめをつける試合だって、機会も、その望みも、残されてんだろ」


 彼の両眼をまっすぐ見据えて、俺は言葉を継ぐ。


「俺ら……いや。俺には何も残ってねぇ。」


 ちゃんと言い直す。

 ずっと目をそらしてきたけれど、もう潮時だ。ここからはきっと会話じゃない。俺が、俺に言い聞かせる時間だ。


「今年はない。それは痛み分けとしても――来年も、再来年も、ないんだよ。インターハイと違って、俺らの町には二度と鉄道は戻らない。だから、この思いを継ぐ相手すらいない」

「はっ、笑わせんな」


 彼は鼻で笑って、レールを蹴飛ばした。


「そんなに電車に乗りたきゃ、札幌こっちにでも来ればいいだろ」

「っ」

「わざわざ田舎なんかに住んどいて、文句つけんなよ。大好きな電車、都会こっちじゃいっぱい走ってるぜ?」

「……そうやって、切り離されてくんだ」


 口をついて出た言葉は、明後日の方向へ飛び出す。


「北海道の人口減少は全国最悪だ。過疎化にコロナが追い打ちをかけて、地方の公共交通の維持は危機的なラインまで来てる」


 違う。もっと言うべきことがある。


「なのに無対策のまま放置されて、あまつさえ都会の無関心まで加われば……そうやって、やがて、東京以外の全てが死に至る――!」


 バシッ!


 視界がゆがむ。

 強烈な痛みを左頬に覚えた。勢いのままに線路の上に倒れ込む。


「んな、くっだらねぇこと、オレらの夢と比べんじゃねぇっ!」


 雨龍に殴られていた。

 怒ったように彼は踵を返す。

 枕木の上に這いつくばって、俺は唸る。


「都会っ子にはわかんねぇよ……ッ!」


 手を振ってくれる園児。

 一言交わしてくれる運転手。

 踏み込んでは来ない程度の距離感。

 たった一人の少女のためにあった駅。

 合理化を盾に、その全てを真っ先に切り捨てられる


「あれも、それも、どれも、ここにしかなかったのに…!」


 錆びた鉄の上に血を吐き捨てて、雨龍の足首を掴む。


「あのボロっちい駅も、板切れみたいな乗降台も、あいつらと毎朝並んで、待って、ふざけあって、飾り付けて!」


 線路脇で花火やって、乗降台の奥で笑って、駅の前で泣いて。この場所でたくさんの感情と巡り合って。


「あぁ。こんなクソありきたりな言葉でかたどるしかないのが本当に悔しいッ」


 振り返る彼に、面と向かって立ち上がる。


 雨龍。俺には、お前みたいな汗はかけなかった。

 けれど。

 もう掬い上げることも叶わないあの日々は。

 そこに流した俺たちの汗は、きっと。


「俺らなりに――青かったんだよ!!」



 とうに褪せた色なのに。

 世界は再び動き出したふりをする。







「うぬぼれんな」


 星の瞬く夜空に、声が鈍る。


「俺みたいな灰色の文化部だってなぁ、吐くほど悔しいんだよ。お前らとなんも変わらねぇ、ただひたすらに――無力だった!」


 ザク、と俺は砕石バラストを踏みしめた。


「あぁ……オレたちは、無力だとも。」


 歯を食いしばって、うつむく雨龍。

 俺は静かに呟いた。


「報道も、その共感の輪も、どこだってインターハイ一色だ」


 街灯でわずかに照らされた線路は、すぐ先で暗闇に途切れる。


「たくさんのアーティストが発表してる。ミュージックビデオを、小説を、アニメを、ドラマを。夢と青春を奪われた高校生たちの悲劇ってな。」


 出発信号機にはもう灯りもなく――『信号廃止』――紙きれが貼り付けられている。


「俺らのは……顧みられもしない」


 あのたった2件のコメントを回顧する。


「誰が振り返ったよ、札沼線さっしょうせんの廃止に、一言」

「……お前」

「あぁ、わかるよ」


 同情が欲しいわけじゃない。


「インターハイと違って、誰も興味も示さないし、関心もない」


 でも、何の差異があったってんだ。


「それってさ」


 そこに。


「誰からも必要とされなくなったってことだろ――?」


 吐き捨てるように天を仰ぐ。夕陽はとうに沈み、一面の星明りだ。

 北斗七星。カシオペア座があって、あぁ。あれが北極星か。


 北極星。地球から見た天体の回転軸で、常に真北にあるとはいうが、一万年後のそれはベガにあたるらしい。地球の傾きが変わるのだ。悠久不変に見える北極星すら――いつか必要とされなくなる。役目を終える時が来る。


 世界は無常だ。


「だからこそ」


 俺は雨龍に向き直る。


「お前にはまだ、やるべきことがあるだろ」

「……なんだよ」

「お前には意思を継ぐべき後輩がいる。お前の背中を継ぎたいと思ってる後輩がいる。そいつらの夢は、途絶えちゃいない。途絶えさせちゃいけない」

「っ」

「そいつらだってこの夏を奪われたわけだろ。なら――お前だけが逃げ出していい理由なんかにはならない」


 俺はまっすぐ、彼の瞳を捉える。


「果たして来い。先輩としての責務を」


 雨龍の眼が見開かれる。

 その碧色がかった眼から曇りが消えてゆく。


「……っ。」


 彼はしばらく固まったものの、ふと笑った。


「まさかオマエに諭されるとはな」

「だろ。俺だって人を諭したのは初めてだ」

「恥だな」

「あぁ、恥だよ。俺たちは恥の塊だ」


 俺と雨龍は二人で笑う。

 あぁ、こんなふうに笑ったのはいつぶりか。

 笑いすぎたのか、吹っ切れたか、雨龍の目元は涙を湛えていた。


「悪かった。……けど、礼は言わねぇ」

「あぁ。勝手にすりゃいいさ」

「代わりにだけどな。中ノ岱」


 雨龍は俺の胸元を、その人差し指で差す。


「オマエにも、やるべきことがあるんじゃないのか」


 俺は笑う。今更なんだってんだ。やることはやりきったじゃないか。

 そして、何も残らなかったじゃないか。


「ずっと目ぇ逸してるだろ。その柱から」


 雨龍の指した先。そこに何があるのか俺には見えなかった。

 嘘だ。首が動かない。他人を窘める体でここまで自分を諭してきたのに、身体が言うことを聞かないのだ。そんな俺に一歩近づいて、彼は呟いた。


「オレはもう逃げない。オマエは、どうする」


 それっきり、別れも言わずに彼は踵を返した。

 線路を越えて、国道の向こう側へ消えていった彼を目で追うこともなく。俺はただ、ひたすら固まっていた。


「俺は……」


 義務だの何だの偉そうに抜かしておいて、とんだ傲慢だったのかもしれない。この半年、ずっと、一番逃げてきたのは――。


「俺じゃねぇかよッ!」


 頬を自分で殴って、雨龍が指したほうへ向かい立つ。

 それは、月潟方面へ伸びる1番ホームの線路の少し先。


「っ」


 青色が息を吹き返さないように。

 二度と汽車がこの先に入れないように。


 月潟行きの線路の上。

 そこには――大きな鉄柱が屹立していた。


「ぁ……。」


 頬を一筋伝う何か。

 そうか。泣いているのは、あいつだけじゃなかったのか。


 札沼線。駅も線路もまるであの日のまま、ずっと残されている。

 それでも決定的に違うのは、むくろに突き刺さった剣のごとく、線路のど真ん中を貫く、この大鉄柱くるまどめだった。それは線路を切り裂いて、まるで生死の境界を別つように――あの場所へ続く線路を、絶つ。


 嘘でも夢でも幻でもない。


「さぁ……ここからは俺が向き合う番だ」


 涙を拭う。俺は一歩。

 二歩。三歩。

 そして大きく腕を振る。


 僅かな月明かりに照らされても答えない、光沢を失った鉄の上を。

 錆びた線路の上を駆ける。


「世界の、クソやろぉぉーッ!!」


 号哭とも似つかない、咆哮とともに。



 果たされなかった5月6日の約束――これが俺の、RUST RUNラストランだ。

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