居間の団欒

「ねえねひいらぎ、ひいらぎって、どれくらいつよい?」


 常闇之神社の居間。その日のお勤めを終え、神使連中がちらほら帰って来ていた。蕾花も最近はフルタイムで——最優先は魍魎退治であるが——勤務しており、また配置換えで倉庫の方で力仕事をしているらしい。

 そんな変化もありつつ、真っ先に帰ってきた菘が、執務を終えビール瓶の蓋を前歯で抜いた柊に、そんな質問をしたのだ。


「なんだ急に。妾は別に、疑う余地なく妖怪としては最強だぞ」

「それはわかるよ。でも、どうつよいのかわかんない」

「むう……なんて言えばいいのか……」


 柊は長い前髪の一房をいじりつつ、ビールに口をつけた。独特な苦味が喉を流れ落ちる。


「そうだなあ。妾の目は未来を見通す。来る争いに万全の備えを持てるわけだし、そもそもそれを上手く回避することもできる。菘の神眼と似た瞳術だが、種類が違うな」

「うん。わっちのめは、ほんしつをみるめだもんね。ひいらぎは、おっきくてひかってるきつねにみえるよ」

「そんなふうに見えるのか。まあよい。次に、神焔。これは、概念すら焼く。重力に従い落下する、という事象を焼き、妾は宙に浮かぶこともできるし、真空の宇宙に適応することも、隕石を受け止めることさえできる。それこそ、蕾花の不死身という概念を焼くこともできる」

「きつねのちからって、すげー!」


 菘が興奮気味に尻尾をぶんぶん振った。

 襖が開いて、蕾花が帰って来た。「たでーま」と言って、座布団を三枚も持ってきてその上に座る。その後竜胆が続いてきて「ただいまー」と言いながらモニターをつけ、ネットモフリックスを立ち上げる。


「何が凄いんだよ菘。兄ちゃんの足のにおいか?」

「げきしゅうのはなしじゃないよ」

「ん? じゃあ竜胆の夜の絶り——いってぇ!」

「妹に変なことを言うなよな。次、顔面狙うよ」


 竜胆は手にしていたリモコンで、蕾花の脛を打ったのだ。なんてやつだ、と蕾花は吐き捨てるが、弟が絶倫である話を身内にする方もどうかしている。下品な兄貴だ。


「相変わらずだなお主らは。……まあ、あとは妾が持つ模倣の術。これは、あらゆる妖術をコピーできるのだ。とはいえ、常闇様の万物反転や蕾花の劫闇怨煆のような因果を破る術は真似できんが」

「柊のイキリ自慢か?」

「なんだ、説教されたいのか」

「ちち、違うって。……なんの話なんだよ?」

「どうせ菘が柊の強さに疑問を持ったんだろ? 強いってのは僕も知ってるけど、戦ってるとこ見たことないし、まして菘はその噂さえ疑問なんでしょ」

「うん、かだいひょうかっておもってる」


 柊がむぐ、と黙り込む。


「まあ妾が飲んだくれのババアと思われる方が遥かに健全な世の中だがな。だが妾が強いことは、蕾花が今の悪口に乗っからなかったことが一番の証拠ではないか?」


 菘と竜胆は、確かにと思った。普通なら蕾花は、今の所で煽るようなことを言うはずである。

 彼は転移術を駆使し、厨房と繋いだ空間の穴に手を突っ込みフォクシカルゼロの缶を取り出す。


「俺が冗談言えないくらい強いって言えばいいか? 柊は常闇様と並んで俺を確実に殺せる妖怪だ。今の俺じゃ勝てないね」

「本気の兄さんなら?」

「引き分けかな。勝てないことは変わんないよ」


 プルを引き、暴力的な勢いで飲みこむ。味は、ライムのそれ。ガツンとくる強炭酸、妖怪向けのチューハイである。このペースで人間ががぶ飲みすれば、いかにアルコール度数四パーとはいえへべれけである。


「わかったろ、妾も蕾花も同じ九尾なのだ。本来、世界の敵として恐れられるほどの力を持つのだ」

「天下の邪神が今じゃフルタイムで入ってるアルバイターだぜ。この世界だからいいが、現世なら社会保険だのなんだのと頭抱えてるところだ」

「妾に言うな。妾だってこの世界じゃ一介の神職にすぎん」


 竜胆も同じである。言ってしまえば竜胆は事務職の平社員なのだ。それに引き換え菘は飲食チェーンの社長である。摩訶不思議なことだ。


「兄さんは広報部長ってのを忘れたの?」

「忘れちゃいないさ。兼業だけどな。って言うか俺、色々兼業してる割に……なんかこう、ありがたみないな?」

「ひごろのおこないでしょ」

「思い当たる節ばっかだったわ、そうだな、すまん」

「お主は普段どんな悪行を重ねておるのだ、全く」


 襖が勢いよく開く。菘がびくっと飛び跳ねた。


「たっだいまー!」「ただいまー」「待ちなさい桜花!」


 勢いよく襖を開けたのは万里恵だ。続いて桜花が入ってきて、椿姫が続く。


「馬鹿者襖が外れるわ。で、なんだ、随分機嫌がいいな」

「ロトフォックス当たっちゃった……!」


 万里恵がそう言って、猫のように喉をごろごろ鳴らす。桜花は菘の元に向かい、「すずねえ、ただいま!」と笑顔を向ける。菘もとろけたような笑顔で「むふー、おかえり」と顔を撫でている。隣で蕾花が「俺には?」と聞いている。竜胆は気を利かせ、桜花が好きなアニメ映画を流していた。


「あ、あれ? 思った以上にみんな興味ないじゃん」

「神使なんだから稼ぎには困らんだろうしな。で、何が当たったんだ」

「ああ、うん。大当たりってわけじゃないから大したもんじゃないんだけど、トイレットペーパーが当たった」

「むしろ下手な飾り物より役に立つではないか」


 柊は実際的な考えの持ち主だった。呪具や武具のコレクションが趣味であるが、それ以外では実生活に役立つ物しか求めない。宝飾品の類は、生前いやと言うほど献上されたので、飽きているのだ。

 桜花のそばに椿姫がやってきて、はだけていた着物を直してやる。ついでに、菘の襟の乱れも直す。


「姉さんはなんだかんだずーっと姉さんなんだね」

「ったりまえでしょ。あんたらがヨボヨボになったって私はお姉ちゃんよ」

「むふー、さすがわっちのそんけいようかい」

「ぼくもおかあさん、そんけいしてる。つよいもん」

「ふっふっふ、そんな強い椿姫でも、刀を持たない徒手格闘なら私の方が勝っちゃうのよ」


 万里恵がそう言ってしゃしゃり出た。蕾花が冷静に、


「武器を失う、取り戻す、さらに妖術、地形、天候込みで強さだろ」


 と突っ込んだ。武闘派神使筆頭の、らしさが微かに滲んでいた。

 椿姫と万里恵がジト目になり、


「いや、あんたってプロレスラーみたいな戦い方じゃん。攻撃は全部喰らって、全部当てるっていう」と椿姫。

「そうそう。私らはスマートに戦う忍者と侍だからさ」と万里恵。


「こう言う時はほんと息ぴったりなんだよなあ……竜胆、助けてくれよ」

「めんどくさい」

「せめて気の利いたツッコミをしてくれよ。なんでそんな……ほんとにめんどくさそうに……」


 竜胆は菘と桜花と共に、アニメ映画を見ていた。サイボーグの主人公が、悪徳警察に支配された近未来都市を舞台に戦う話だ。年齢層的にはそれこそ竜胆世代とかに向けたものな気がする。菘と桜花には早い気もするが、保護者は特に停めていないので、まあいいかと流した。


「ただいま。白熱してんな」

「おー、喧嘩か? 俺も混ぜろよ」


 燈真と光希が戻ってきた。仲のいい同年代コンビである。燈真は子持ちの妻帯者で、退魔師。もっと言えば、武闘派神使という激務をこなす立ち位置である。一方光希はイラスト講師をしていて、オンライン上で講義を行なっていた。彼は姉を説得し退魔師を引退し、画業で食っていくことを決めていた。


「喧嘩なんてしてねえよ。女連中が俺をいじめるんだ」

「はあ? 誰もいじめてないでしょ。これだからほんっと男は……」

「椿姫ってほんっとポリコレを逆行するわよね。そこがステキ」

「男の俺が逆らう方が面白いんじゃねえか……? なんでお前らの方が向かい風浴びるんだ」


 蕾花の方はといえば、創作を生業としているためむしろ配慮する側である。なので時々暴走する椿姫や万里恵は、のちのち音声ファイルや動画データを編集する際、頭を抱える悩みの種だった。


「椿姫が世間に中指立てんのは昔からだよ。言うて俺も反世間みたいな感じだったがな」

「妖怪と人間の常識は噛み合わねえからな。だから隠れ里を持ったりしてたんだよ」


 燈真が蕾花に頼み、ビールを取り出させた。光希は下戸なのと、フルーツ好きなのもあってオレンジジュースを出させる。空間を捻じ破ると言う、大妖怪にも滅多に真似できぬ術でドリンクを取り出した蕾花は、それらを燈真たちに渡す。


「俺はドリンクサーバーじゃないんだけどな」

「私、キャラメルマキアートホイップクリーム入り」

「えー、じゃあ私ねえ、いちごオレがいいかなあ」

「もうそれ取り出すとかの次元じゃねーじゃん! 旦那に作ってもらえよ!」

「燈真にホイップ搾らせるって拷問じゃん。そんな酷いことできないわよ」

「そうだそうだ。俺はアイスクリームとぜんざい以外の甘いもんはダメなんだ」

「むしろなんでそれは平気なんだお前は」


 呆れながら蕾花はひとまずいちごオレを出し、キャラメルなんとかかんとかは無理なので、適当に獣妖怪向けのコーヒー牛乳を取り出した。


「兄さんたち喧嘩しないでよ。いいおとながみっともない」

「くっそーなんかむかつく」


 ぞろぞろと、居間にいつもの神使が揃い始めた。柊の旦那である善三、三尾妖狐の稲原穂波に、彼女の旦那のオタクくんも。それから光希の姉である尾張秋唯が、旦那の美濃狐春という半妖狐を伴って現れた。そして、竜胆の妻である雪女の氷雨。氷雨が襖を閉めようとしたところで、狼雷獣姉弟の、大瀧真鶴と大瀧蓮がやってきた。

 化け狸の伊予が最後にやってきて、談笑に花がさく。夕飯は、今日は出前だ。料理班も、たまには休みたいのだ。


「ただいま」


 そうだ——最後にやってきたのは伊予ではない。


 菘の隣に、空間を破って現れたのは妙齢の美しい、四本腕の女性。肌の血色が悪いが、彼女は人間でも妖怪でもない。

 この幽世の主——常闇様が、化身した姿の夜葉よるはである。


「むふー、よるはちゃん」

「相変わらず可愛い子。今日はご機嫌ね、みんな」


 蕾花たちは各々、返事をした。


「おかげさまでな。久しぶりに、やっとこさ日誌をまとめられそうだ」

「本当に、どれだけサボる気だったのかしらね、あなたは」


 夜葉は滅多に怒りを露わにしないが、この時ばかりはムッとしていた。


「ま、よしとしましょう」

「今ちょっと怖かった。大瀧さん、抱きしめて」

「蓮、思いっきり帯電して抱きしめなさい」

「まかせろ今抱きしめてやる」


 蕾花が悪ノリすると、大瀧蓮の恋人である万里恵が余計なことを吹き込み、蓮も悪ノリした。


「やめろやめろ帯電ホールドはよくないってほんっと冗談だから」

「ったくお前は」

「私でよければ抱きしめてやろう」

「秋唯さんはダメだ、目が笑ってない」

「妾はどうだ」

「お前は論外」

「この野郎酒樽勝負するか?」

「お? やんのかコラ」


 またその流れかよ、と竜胆は呆れた。泥酔したバカ妖狐を介抱するのは決まって竜胆や燈真なのだ。

 夜葉はその様子を微笑ましく眺め、菘も嬉しそうに鼻を鳴らすのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る