魔王の娘


 ルトと名乗る、腹違いの姉さん。

 とつぜん現れた女性に、そんなことを言われても普通は信じられない。

 ……だけど、僕は自分でも驚くほどにそれが事実だと受け入れてしまっていた。

 目の前の黒髪の少女が、血を分けた姉であることが直感で理解できてしまう。

 この感覚は、いったい何なんだ?


「ふふ、近くで見ると本当に愛らしい顔ね」

「え?」


 いつのまにか、至近距離に彼女の顔があった。

 一切の気配も感じさせなかった。

 冷や汗が流れる。

 ……一瞬だ。

 ほんの一瞬で、間合いに入り込まれた。

 彼女は僕の顎にそっと白い指を添えて、ニコリと微笑む。


「あなたのお名前を教えて?」

「ロ、ローエンスです」

「ローエンス! いい名前ね。うん、顔立ちも私好み。魔力の質も充分……合格よ、ローエンス! 私、あなたを愛すると決めたわ!」

「え? 合格?」

「さあ、受け取って。私の愛。んっ」

「むぐっ!」


 口づけをされた。

 頬にではなく、唇同士が重なるキスだ。

 頭が混乱で真っ白になる。

 何で? 何でキス? 僕たち姉弟なんだよね?

 それとも、世の中の姉弟ってキスを当たり前のようにするの?


「……んんっ!?」


 唇の隙間から熱いものが差し込まれる。

 舌だった。

 ねっとりとした動きで、口の中を掻き回される。


「んっ♡ じゅる♡ んぅ♡ じゅるるるる♡ ぶちゅるるる♡」

「んぐ! んむむむむ!!」


 ジタバタと暴れても姉さんは僕を離してくれない。

 熱い抱擁で僕を拘束し、じゅるじゅると音を立てて濃厚なキスを続ける。

 違う! これ、絶対に姉弟でやるようなキスじゃない!


「んっ……ぷはぁ♡」


 ようやく唇を離すと、姉さんは恍惚とした顔で僕を見つめ、頬を愛しそうに撫でてくる。


「はあ、素敵♡ 弟に愛を与えるとこんなに満たされた気持ちになるなんて、初めての感覚だわ♡」

「あばばばば」


 何で? 何で会ったばかりの姉さんに、こんなディープな行為をされているの僕?

 ていうか初めてのキスが姉さん相手ってどういうこと!?


「んぅ♡ 私の中の血が、あなたを強く求めているのがわかるわ♡ やっぱり私の目に狂いはなかった! ローエンス! あなたこそ私のつがいにふさわしいわ!」

「はい? つ、つがい?」


 ……空耳かな?

 いま絶対に姉弟の間で出てくるべきでない言葉が出てきたような。

 ガシッと姉さんに肩を掴まれる。

 彼女の表情は、完全に発情していた。


「というわけで……早く城に帰って子作りしましょ♡ 一緒に最強の子孫を作りましょうね♡」

「何で!?」

「血の濃い相手と子作りするのは常識でしょ!? 近親相姦万歳!」

「そんな常識知らない!」


 拝啓、天国の母さん。

 とつぜん現れた腹違いの姉さんにキスをされた挙げ句、子作りを要求されました。

 僕はいったいどうすればいいんでしょうか?


「ローくんから……離れろ! 魔人め!」

「っ!?」


 横からの剣閃。

 姉さんを的確に狙った剣は……目にも留まらぬ動きで回避された。


「……無粋な娘ね。せっかくの感動的な出会いを邪魔しないでもらえるかしら?」


 一瞬にして距離を取った姉さんは、僕のときと違って冷ややかな目線を投げる。

 剣をふるったフィーユに。


「フィ、フィーユ……」

「下がってローくん! 魔人なんかの言葉に耳を貸しちゃダメ!」


 フィーユは僕を庇うように剣を構える。


「ヤツらは言葉巧みに人を惑わすんだ! アイツがローくんのお姉さんだなんて……そんなの嘘に決まってる! 目的はわからないけど、ローくんを連れて行くために騙そうとしているんだ!」

「ま、待ってくれフィーユ! 理屈はわからないけれど……僕、わかるんだ! あの人は間違いなく、僕と血の繋がった姉さんだって……」

「やめて!」

「フィーユ?」


 悲鳴染みたフィーユの叫び。

 よく見ると、彼女の体は震えていた。


「信じない……ボクは、信じない! アイツがローくんのお姉さんだって言うなら……ローくんは、魔人の血を引いているってことなんだよ!?」

「……」


 そうだ。

 魔人の証である、角を生やしたあの人を腹違いの姉と認めるということは……僕が、魔人の血を引いていることを意味する。


 母さん……あなたが、父親についてまったく語らなかったのは……その人が魔人だったから?

 母さんは、魔人との間に、僕を産んだの?


「そんなはずない……ローくんが、魔人とのハーフだなんて……嘘だ、嘘だ! ローくんみたいな優しい人が! ボクは絶対に認めない!」


 自らに言い聞かせるように、フィーユは叫んだ。

 彼女の握る剣に、雫が落ちる。


「……違うって、言ってよ」

「フィーユ……」

「お願いだから、否定してよ? じゃないと……」


 フィーユが振り向く。

 涙で濡れた顔を向けて。


「ボク、この先、どうやって君と話せばいいの?」


 進むべき道を見失った迷子のように、フィーユは言った。


「嘘も何も、その子は正真正銘、魔人の血を引く私たちの仲間よ?」


 無慈悲な言葉が、冷たくフィーユに向けられる。


「それも、ただの魔人じゃないわ。ローエンス? 私とあなたの父親は魔人の頂点に立つ存在だったのよ」

「魔人の、頂点?」


 それって、まさか……。

 日の光が雲に遮られ、森の闇が周りを包む。

 姉さんの口が、三日月のカタチに裂ける。


「私は魔人族の姫君、ルト──『魔王』の娘よ」


 空気が揺れる。

 心臓を鷲掴みにされそうな心地となって、体が震える。

 僕も、きっとフィーユも、顔を真っ青にして明かされる真実に絶望する。


「つまりローエンス。あなたも『魔王』の血を引く子どもなのよ!」

「僕が……魔王の息子?」


 枝から野鳥がはばたく。

 黒い羽が、不吉に僕の周りに舞う。


(……やはり、そうだったんですね)

(キャディ? 君は……)

(もしや、とは思っていました。ローエンス様の魔力の核は……明らかに異常な力を秘めていました。それこそ……魔王様と同等の)


 使い魔であるキャディの呟きに、耳を疑う。


(ローエンス様。あなたが魔王様の息子であるならば……すべて説明がつくのです。幼いとはいえ、サキュバスであるあたしを屈服させてしまうほどの膨大な魔力を持っている理由が)


 ジジジ、と音を立てて、脳が記憶の再生を始める。

 忌々しい村での出来事が、思い出される。


『不吉じゃ! その黒髪! 金色の瞳! すべてが不吉じゃあ!』


 村の誰もが僕を忌み嫌った。

 まるで化け物でも見るかのように。


 それは、あの村の中だけで起きた悲劇のはずだった。

 外の世界なら、僕の髪と瞳を忌み嫌う人はいなかった。

 だけど……。


『貴様の母親はどこぞ誰とも知らぬ者の子種で孕んだのだ! きっと悪魔の仕業じゃ! お前は悪魔の子どもなのだ!』


 僕が魔王の血を引く子どもならば……。


 僕は、本当に、忌み子じゃないか!


「……デタラメを、言うなぁ!」


 叫びと同時に、フィーユの剣に炎が纏う。


「ローくんが魔王の息子なワケない! ローくんは、心が綺麗なまっすぐな人だ! 和平条約を結んでおきながら、戦争を仕掛けた『最低の魔王』とは違う!」

「……『最低の魔王』ね。ええ、そうね。否定はしないわ。私のお父様は、歴代の魔王の中で間違いなく『最低』よ」

「え?」


 父親に向けるものとは思えない、実に冷めた表情だった。


「私は心の底からお父様を軽蔑しているわ。歴代の魔王の中でも最も強大な魔力を持ちながら、お父様はその力をちっとも振るわなかった。私たち魔人にとって、殺戮と支配こそが存在意義なのに、それとは真逆の方向に行こうとしていた。歴代の魔王に恥じる行為よ」


 さも、つまらなさそうに黒髪の姫君は語る。


「どういう、こと?」

「そのままの意味よ。お父様はね──


 ドクン、と心臓が跳ねる。

 ……知っている。僕は、なぜか知っている。

 魔王が、人間と和平を結ぼうとしたその理由を。


「私は、お父様を許さない。あの御方は、魔人の裏切り者よ? 死に別れたお母様のことも忘れて……あろうことか、人間の女と一緒になろうとしたんだから!」


 母さん。あなたは、やはり……。


『……ええ。私も、あなたが好き。愛してる……。身分とか種族の違いとか、関係ない。私、あなたの子どもを身籠もることができて幸せよ? だからどうか産ませて? きっとこの子が、あなたの夢を叶える架け橋になってくれるはずだわ』


 あなたは魔王と愛し合って、僕を産んだのか!?


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