3-11 白か黒か

 フェルディナンド様がお帰りになり、先程までの笑いと冗談に包まれた空間が、嘘のような静けさに成り果てました。


 私以外誰もいない塔の部屋。孤独とも、哀愁とも呼べるこの名残惜しさ。



「今日も床入りはできませんでしたね。ほんと、兄弟揃って身持ちが固い」



 フェルディナンド様に対しても、アルベルト様に対しても、それとなく誘いはかけているのですが、どちらも応じる気配なし。


 立場というものを弁えているからこその拒絶でありましょうが、男を悦楽の沼に沈め、精と銭を絞り上げる身としては、いつまで経っても釣り針に食い付かぬ大魚に、いささか残念に思います。


 白馬の王子は目の前に二人もいても、その馬上に相席する事は叶わない。


 あくまで、将棋盤を挟んだ仕事のやり取りと駆け引きの数々のみが、密事において交わされる色恋なき囁き。


 楽しくはありますが、嬉しくはない。男女のそれとしては、ですが。


 そんな事を考えつつ、私は目の前にある盤面上の数ある駒の中から、“黒”の女王クイーンを摘まみ上げました。


 先程、誉れ高き騎士ナイト様をたぶらかしました、悪い女にございますね。



「指し手は白でも、駒は黒。魔女わたしの本来の姿は、いったいどちらなのかしらね?」



 何気なくぼそりと呟き、黒の女王を指で弄ぶ。


 次いで白の女王も摘まみ上げ、それぞれをぶつけ合う。


 白女王わたし黒女王わたしが相争っておりますと、部屋の中にディカブリオが入ってきました。


 男爵自らの見張り役も、客人のお帰りと共に身軽となりました。


 ここへ足を踏み入れましたのも、塔から降りてこない私を心配しての事でありましょう。


 可愛い従弟おとうとですわね。



「のう、ディカブリオよ、お前は白と黒、どちらの女王クイーンが私だと思うか?」



 私は白黒の女王クイーンを差し出し、ディカブリオに手渡しました。


 しかし、ディカブリオはそんな二人の麗しい女王には目もくれず、二人を机の上に置きますと、代わって摘まみましたのは“黒の兵士ポーン”。


 これが私だと言わんばかりに、差し出して参りました。



「ほほ~う。お前の視点からだと、私は“黒の兵士ポーン”に見えますか。して、その意は?」



「姉上は変幻自在。相手次第で、孔雀にも毒蛇にもなられてしまいます」



「兵士の昇格プロモーションか」



「それと相手が動いた直後、即座に反撃に出る残像狩りアンパサンもまた、実に姉上らしいお姿かと」



 この一言にはさすがにクスッっと笑ってしまいました。


 将棋スカッキィの特殊ルールに、残像狩りアンパサンと呼ばれるものがございます。


 兵士ポーンの横をすり抜けようとした駒を、次の手番で横撃を加えて討ち取るというものです。


 現実の世界であれば、すり抜けようとした相手の“影”、すなわち“残像”に攻撃して、本体を討ち取るというまさに魔術のような技。


 あるいは魔女に相応しいやり口なのかもしれませんね。



「それに足は遅くとも、着実に一歩ずつ進んでいく様も、姉上の手堅さを表しております」



「そして、“腹黒さ”の黒というわけか、“黒の兵士ポーン”を選んだ訳は」



「いいえ、違います。“黒”を選んだのは、“後手”だからです。姉上は基本的に相手の出方を見てから動きますので」



 ここで再び笑ってしまいました。


 私は常々自分の事を“腹黒い魔女”だと称しておりますのに、黒を選んだ理由が後手を好むからだとか。


 まあ、私は確かに自分からは積極的には動かず、相手の言動をよくよく分析し、その上で反撃の一手を加えるように動きます。


 ゲームでは先手の方が有利と言えますが、現実においてはそうとも限りません。


 拙速は遅巧に勝るとは申せど、それはあくまで場の流れ、主導権を握っていればこそでございます。


 魔女の三枚舌に引っかけられ、まさかの場面で逆転を許す。


 それを最も間近で見てきたディカブリオだからこその答えと言うわけです。


 分かりやすい見た目や表面的な情報に惑わされることなく、物事の本質を突く。


 これはディカブリオの美徳でありましょうね。


 そうでなければ、わざわざ男爵家の当主という爵位持ちの御貴族様が、貧民街の娘を娶ろうなどとは考えない事でしょう。


 見た目、見栄えよりも中身、さらに言えば秘されている情報に目を向ける。


 よいぞ、ディカブリオ。その視点は最も持つべきものです。


 それを備えているのは喜ばしい限りです。



「さてさて、“最上の上客”との逢瀬も無事に終わった事だし、今夜はこのまま付き合え、ディカブリオ」



「逢瀬ではなく、打ち合わせの間違いでは?」



「お~、そうじゃそうじゃ。何かと近頃物騒でな。お前にも伝えておかねばならん事もあるし、意見も聞きたい。さあ、久しぶりに将棋スカッキィでも指しながら、酒でも酌み交わすとしようかのう」



「酒も将棋スカッキィも強くはないのですが……」



「だからこそ、おちょくり甲斐があるのじゃよ、“熊男爵バローネ・オーソ”」



「もういい加減、その呼び方は止めましょうよ」



「お断りじゃ。ああ、でも、将棋スカッキィで勝てば、止めても良いぞ」



「今まで334戦して、全勝ちしている相手にそれを言いますか」



「無論じゃ♪ さあ、今宵も勝ち星を寄こすが良い」



 そして、今宵は相手を変えて、再び将棋スカッキィに興じる事となりました。


 ディカブリオは私を“黒”だと言いましたが、結局のところは変幻自在、有為転変。


 相手次第で、白にも黒にもなります。


 しかし、私の被る仮面には、イメージと言うものがございます。


 魔女は黒で、娼婦は白。


 誰かが定めたことなどではございません。


 それは勝手なる思い込み。もしやすると、逆なのかもしれません。


 花を手折る殿方の前では仮面を被りてしおらしく、心を秘めたる娼婦はあるいは“黒”か。


 魔術を操り皆をだまして己の欲を満たす、心をさらけ出したる魔女はあるいは“白”か。


 それはお話を聞いてくださいました皆様のご想像にお任せするといたしましょう。


 しかし、皆様方、努々お忘れなきようお願い申し上げます。女子クイーンは迂闊に動かぬのが定石にございますが、生き残った女子クイーンは誰よりも早く、誰よりも強くなるということを。


 長年連れ添われた伴侶のことは、どうか大事になさいませ。物言わぬ秘めた方ほど、棘が鋭いやもしれませぬ。


 名残惜しくはございますが、今宵はこれにて終わりとさせていただきます。


 寄らば大樹の陰と申しますが、私は誰かに寄り添い生きねばならぬ哀れな樹木。宿木やどりぎにございます。


 今宵は私の寄り添う大樹のお話でございましたが、まだまだ伸びていかれるご様子で、寄生するものとして安心いたしました。


 先程までいた大公陛下も、今目の前にいる従弟も、どちらもまだまだ大きくなっていきそうです。


 どうか、私が太陽に触れるまで、神の御許に辿り着くまで、存分に大きくおなりませ。私もそれに乗じて大きく高く上り詰めれますゆえ。


 大層な物言いでございますが、私はあくまで高級娼婦。


 業突く張りな魔女で、神に救いを求めて天を目指す哀れな一本の宿木やどりぎでございます。


 さてさて、次のお客様はどちらの方になるでしょうか。




       ~ 第3章『盤面の駒』 終 ~

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