3-10 部屋を出ないお見送り

 塔の部屋の中だけの魔女わたしと大公陛下の関係。


 決して部屋の外には持ち出さないという、暗黙の了解の下に成り立つ“遊び”。


 昔馴染みが顔を合わせ、誰はばかることなく他愛無い会話に華咲かせ、時にまつりごとや社交界の暗部について謀議を交わす。


 誰も知らないからこそできる、秘密の逢瀬。


 それも今宵の分はこれにて仕舞い。


 意地悪くも魔女が大公相手に将棋スカッキィにて連戦連勝。


 殿方がすっかり拗ねてしまわれました。



(大人気ない。私も、あなた様も、ね)



 この部屋の中だけは、在りし日の少年少女に戻れるのでありますから、それもまた楽しくはありますわ。


 互いに、国や家を背負ているわけでございますから、“素”を出せる場所と時間など限られてございます。


 そして、“素”をさらけ出し、互いに気兼ねなく味わえる相手もまた、ほんのごく少数でありますから。



「……さて、これで大丈夫ですわね」



 部屋に入って来た時とは真逆。


 部屋に入って変装を解き、出るときには変装を施す。


 あくまでこの部屋を訪ねてきたのは、プーセ子爵アルベルト様であって、ジェノヴェーゼ大公フェルディナンド様ではございませんので。


 金髪は黒毛のかつら・・・で隠され、右手には“死神の黒い手”を封印する二重の手袋、そして、顔を隠す仮面。


 これで完璧。どこからどう見ても、アルベルト様の立ち姿でございますね。



「では、お見送りを」



「不要だ。私と魔女殿はこの部屋の中だけの関係。外には決して持ち出さぬ」



 これもいつものやり取りです。


 普通のお客様であれば、玄関先までお出迎えをし、帰るときは馬車が走り去るまでお見送り。


 これが普通なのですが、フェルディナンド様はこの部屋の扉でそれを済ませてしまうのです。


 決して見せない、私との二人だけの姿。私とフェルディナンド様の関係はこの部屋の中だけ。


 粗相があってはという思いでお出迎えはしますが、お見送りはいつも拒絶なさいますのが、二人のいつものやり取りなのでございます。



「この部屋の中だけと仰る割には、舞踏会に私をお呼びくださいますわね」



「男爵の姉君、という名目で招待しているからな。娼婦や魔女として呼んでいるわけではない。なにより、煌びやかな舞踏会には華がいくつあってもよいではないか。凛と咲く白薔薇は美しい」



 美しさをお褒め頂くのは喜ばしいことですが、白薔薇は好みではありません。



「陛下、白薔薇の花言葉は“純潔”でございますよ? 魔女にして娼婦たる私には、最もふさわしくない花にござまいます。なにより、薔薇には棘がありますゆえ、うっかり触ると痛い目に会われますよ」



「薔薇には棘のない種類もあるぞ。なにより、美しけれれば、むしろ棘などそれを引き立てる飾りのようなもの。美しいだけの花よりも、余程刺激的でよい。毒さえなければな」



「まあ、それでは必死で毒を隠さねばなりませんわ。ですが、私の花は薔薇ではなく、野薊のあざみでございますわよ」



「結局、棘のある花ではないか!」



 思わず私もフェルディナンド様も笑ってしまいました。棘があろうと愛でてやる、とは嬉しいお言葉ではございますが、やはり痛いものは痛いのでございますね。



野薊のあざみもまた味わいのある花ではあるがな。花言葉はたしか、『素直になれない』であったか?」



「その下に『恋』が添えられております」



「おお、『素直になれない恋』か。棘が邪魔して、誰も摘んではくれぬ。棘が邪魔して、自分から抱き締めに行くこともできぬ。はてさて、魔女殿はどなたに対して素直になれないのであろうかな?」



「私はいつでも素直で正直に生きてございます」



「嘘をつくな、嘘を! その三枚舌で、何人の男をたぶらかしたやら」



「聞きたいですか? 今まで何人の男を誑かしてまいりましたか」



「数えているのか!? こいつはとんだ性悪な魔女だ!」



 私の冗談に対して、フェルディナンド様は嘲ってきますが、その顔は笑っております。


 魔女との言葉遊び、それを楽しんでいるかのごとく。


 もちろん、私もそれに乗って、更に言葉を重ねます。



「お褒めに与り、光栄にございます、陛下。次の機会には、是非とも棘の事など気にせずに、野に咲く花を手折ってくださいまし」



「そういうところだぞ! やれやれ……、野薊のあざみは“あざむく”が語源とも聞くが、まさに魔女を表すのに最も適した花か」



「左様でございます」



「手を伸ばせば届くと言いながら、実際は棘だらけではないか!」



「おや? 美しい花の棘は刺激的だと、陛下御自身が述べておられましたが、あれは偽りでありましょうか?」



 意地悪く私が返すものですから、フェルディナンド様は頭をかいて誤魔化すしかございません。


 魔女相手に舌戦を挑むなど、将棋スカッキィ以上に勝ち目はございませんわよ。


 この国で二番目に性悪であると自負しておりますので。


 もちろん、一番の性悪は亡き大魔女グランテ・ステレーガ、私のお婆様。


 あの人にはまだまだ追い付けません。



「では、忠告と申しますが、最後に今一つ……。奥方様の下へお帰りくださいませ、陛下。お世継ぎが生まれて日も浅いと言うのに、女遊びは関心致しませぬ。気分転換は必要でしょうが、どうか奥方様を大切になさいませ」



「言われんでも分かっている。だからこうして早帰りをするのだぞ」



「負け戦の撤退の理由としては、落第点でございますね」



「言ってろ! 次こそ魔女の泣きっ面を拝んでやるからな!」



「期待せずに、お待ち申し上げます。せいぜいそれまで、悪い女に引っかかりませぬよう、お気をつけくださいませ」



「うむ、心しておこう。悪い女子に引っかからぬよう、今後は気を付けるとしよう。例えば、目の前の白い魔女のような女に、な」



「大公陛下、すでに悪い女子に引っかかってございましたか! それは失礼いたしました。しかし、私は白ではなく、黒でございますよ。腹の色が、ですが」



「ハッハッハッ、全くだ! この腹黒性悪女め! ではまたな、魔女殿」



 最後の最後まで砕けた態度を崩さぬ私に、陛下もまたニヤリと笑って返して来ました。


 そして、軽く手を振りながら部屋を出ていき、パタンと締まる扉の音が、名残惜しさと共に心の中に残りましたが、それもまたいつもの事。


 楽しいひとときでありましたが、あなた様が楽しまれたように、私もまた幸せなひとときでございましたよ。


 誰も拝めぬ大公陛下の緩んだお顔を見る事が出来る、私だけの楽しみ。


 窓に歩み寄り、眼下を見下ろしますと、中庭に停めてありましたる馬車に乗り込むフェルディナンド様のお姿が見えました。


 また振り返って私のおります塔の上の部屋に軽く手を振り、私もまた手を振って返しました。


 そして、ササッと馬車に乗り込み、御者が馬に鞭打ちますと、車輪と馬の足音と共に走り去っていきました。


 今宵のお仕事はこれにて終了。


 気分は上々、首尾も上々。まず満足できる結果でございました。


 ふと振り返りますと、先程のままの将棋スカッキィの盤面がございました。


 意思なき駒が指し手の差配でぶつかり合い、盤面から消えていく。


 先程の盤面はそのまま。


 女王クイーンに釣られて飛び出した騎士ナイトが、裏をかかれて僧正ビショップ王様キングの寝首をかかれるドロドロした盤面。


 ああ、現実でこのようなことが起これば、さぞや大騒ぎとなることでしょう。


 ですが、それすら起こりえるのが、人の世と言うもの。


 欲望に果てはなく、それを満たす手段も様々。


 殺してでも奪い取ろうとする輩の、なんと多い事でありましょうか。


 盤上の世界もまた、この世を疑似的に表したものやもしれません。


 そして、私は明日もまた、そんな世界を歩んでいくことでしょう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る