3-9 奇麗な月には手が届く

「ホホッ、フェルディナンド様、これで私の四連勝にございますわね!」



 少々意地悪く笑いかける私。


 フェルディナンド様は詰まって盤面を睨み付け、腕を組んで唸る有様。


 いくら睨んだところで、意思の無い駒は勝手に動いたりはしませんよ。



「ええい、まったくもって不甲斐ない我が手勢達め……」



「戦において兵の多寡も重要ではありますが、より重要なのは指揮官の采配でございますよ。まして、戦略的要件をいじくりり様の無い将棋スカッキィにおいてはなおの事でございますわ」



「そりゃ全くもってその通りだな」



 四連敗という現実に降参の意を示してか、フェルディナンド様は参ったと両手を上げてを手をヒラヒラさせ始めました。


 条件がほぼ同じ(先手後手の差はある)である以上は、指し手の優劣が勝敗に直結いたしますからね。


 本来の戦場であれば、私などは一兵も指揮した事の無い机上の空論を、述べるだけに終わりましょう。


 兵が指示通りに動いてくれるなど、あり得ないのですから。


 兵の健康状態や士気、あるいは天候や地形的要因で、勝敗は左右されます。


 そんな事を考えずに、ただ意志の無い駒を動かす魔女も、百戦錬磨の指揮官となり得るのですからね、目の前の遊戯盤の上では。


 頭脳と、先読みの視野さえ持っていればの話ではありますが。



「はぁ~、いかんな~。打つ手、打つ手が裏目に出るな。どうも今夜はツキ・・に見放されたようだ」



「そうでございましょうか? 月はしかと出ていますよ?」



 窓越しには月が夜空に輝いているのが見えます。


 そちらをしっかりと見ますと、満月よりほんの少しだけ欠けているのが分かりますね。


 他の星々を圧倒するほどに輝けど、満ち足りてはいない。


 人の欲望には果てはなく、業突く張りな魔女であるからなおの事でございます。


 今こうして楽しいひとときを過ごしてはいても、いずれは時の流れと共に夜風に牽き散らされてしまう。


 名残惜しい事でありますが、朝日を拝む事を考えますと止むなき事。


 朝日は魔女のかかった魔法を解くための、重要な要素なのですから。



「そうだな、目の前の魔女殿のように、白銀に輝く美しい宝石だ」



「まあ、お上手ですわね」



「本心だよ。今宵の月は本当に奇麗だ」



 まあ、確かに闇夜に浮かぶ銀の帳を下ろす月は、奇麗でございますわね。


 ですから、少しばかり意地悪をしてしまいましょうか。



「しかし、フェルディナンド様、いけませんわね。私の事を月にたとえ、しかもそれが奇麗だなどと」



「人目を気にせんでいい時に、いちいち嘘や方便は言わんさ」



「フフッ、それはまことに恐縮でございます。澄んだ夜空に浮かぶ月、確かに奇麗でついつい手が伸びてしまいますわ」



 わざとらしく窓の外に浮かぶ月に向かって手を伸ばし、掴みかかろうとする私の白い手は、虚しく空を舞うばかり。


 届かないからこそ、手を伸ばしたくもなる。


 届かないからこそ、欲したくもなる。


 人の営みの歴史において、夜空の月を掴もうと、何人もの人の手が伸ばされ、掴もうとしてきた事でしょうか。 


 近くにあるようで遠く、はっきりとしているようで、虚ろの海に浮かんでいる。


 欲しい、掴みたい。


 太陽と違って直視できるからこその悩みであり、願いでもありましょう。


 

「しかし、手を伸ばせば、届く月もございますのよ?」



 更なる追い打ちとばかりに、ほんの僅かに視線を逸らし、向けたる先には整えられました大きめの寝台が一つ。


 一組の男女が邪魔者が一切いない密室にいて、ただ将棋スカッキィを興じるだけではいささかさみしいと感じるもの。


 まして、女の方は“金さえ払えば”後腐れの無い商売女。


 そこはその道の玄人プロフェッショナーレでございますから、懇意を良い事に愛人やら寵姫になどになったりはいたしませんよ。


 あくまで、この部屋の中だけの関係でございますから、扉の向こう側へは出したり致しません。



(月が奇麗で、手を伸ばせば届く位置にいる。私はいつでもよろしいのでございますわよ)



 魔女にして娼婦である私の微笑は、抗い得ぬ魔力もある事を理解しております。


 並の御仁では、ついつい手を伸ばしたくなるはずです。


 それが享楽の請負人たる高級娼婦コルティジャーナなのですから。



「いかがでしょう。場所を変えて、もう一合戦と参りませんか? 気持ちの切り替えと厄払いを兼ねまして。……以前、戦場にて、見事な槍捌きにて奮戦なさったと聞き及んでおります。ぜひ、こちらの戦場でも私に披露していただきたいものですわ」



 いささかありきたりな誘い文句ではございますが、これで十分。


 と言うより、「月が奇麗だ」と陛下の方から仕掛けてきたのでありますから、ここはしかと“男”を見せてほしいものです。


 そして、再び視線をフェルディナンド様に戻しまして、少々わざとらしく顔を赤らめ、乙女のごとき恥じらう姿勢を見せ付け、そして、瞳と瞳を交わらせます。


 いたずらっぽく、微笑みかける姿は、さながら月明かりに照らされたる妖精か。


 いやいや、私は魔女でございます。


 妖精などと可愛らしいものではございません。


 それをもちろん、陛下は御存じでしょうが、はてさて、どう反応するのでありましょうか。



「う~ん、今日はどうも流れが悪い。潔く撤兵するとしよう。戦場を変えたところで、負け戦になりそうな流れだ」



 この返答である。


 ええい、陛下はとんだヘタレ・・・でございます。


 奇麗な月は手を伸ばせば届くと言っているのに、手を伸ばそうともしない。


 残念ながら、今日もフラれてしまいましたわ・・・・・・・・・・・・・・


 ならばと意趣返しに、今少し意地悪をして差し上げましょう。



「あらあら、それは大変でございますね。戦場にて負け知らずの陛下が、よもや得意の槍捌きにて女子に後れを取ったとあれば、末代までの沽券にかかわると言うもの。無理な戦は避け、兵を安んじるのも名将たる資質にございますわ」



「はっは、よく言うわ! その名将相手に一方的に打ち負かした魔女が、ここいらに住んでおるぞ!」



「まあ、怖い。私、その方とお会いしたことがございませんので、是非お引き合わせくださいまし」



「鏡を見ろ、とだけ言っておこうか、魔女殿」



 さて、これで今夜はおしまいにございますか。


 いささか物足りない感じは致しますが、成果は十分でございました。


 チロール伯爵家の遺産相続に関わる話の顛末、そして、その裏に潜む影の部分も話の摺り合わせが出来ました。


 そして、陛下の好印象は稼いだことでありますし、我が家も引き続き懇意にしていただける旨も確認が取れました。


 ここで床入りを成していれば完璧ではありましたが、さすがにそれは欲張り過ぎでありましたね。


 なにしろ、私は若かりし日の陛下の筆おろしをして以降、一度も同衾した事がございませんので。


 本当にあれだけこっきりな関係でございます。


 扉のこちら側では、ただの話し相手と遊び相手。


 扉の向こう側では、特に正式な役職を戴いているわけではございませんので、影の参謀にして工作要員。


 ほんのそれだけの関係。


 床入りに関しては、まあ次の機会といたしましょう。


 あくまでお客様を楽しませるのが私の務めでございますから、自分の興味や欲望は二の次でございます。


 そして、帰り支度を整えるため、私は席を立ち、陛下に再びの変装を施すのでありました。

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