3-6 魔女と大公の密議 (2)

「陛下、伯爵家の相続について、いささか気になる事がございまして」



 盤面の駒を見ながら、私はフェルディナンド様に尋ねました。


 フェルディナンド様も質問を聞きつつも、視線は駒から動いておらず、若干の唸り声を上げております。


 なにしろ、自軍の情勢がまたも劣勢に立たされつつあるのですから。



「気になる点とは?」



「推察の域を出ないのですが、例の伯爵家を托卵で乗っ取ろうとした双子の姉妹、あれの“背後関係”についてです」



 コツンッ!



「それについては、こちらも色々と調べているが……。ヌイヴェルよ、まずはお前の推察とやらを聞いておこうか」



 ここでフェルディナンド様の“心の枷”が取り外されました。


 こうして二人で遊びに興じている時は“魔女”と冗談交じりに私を呼びますが、政治の話、特に“謀議”寄りの話になると“ヌイヴェル”と名前で呼んできます。


 昔馴染みの“二つ名”ではなく、“本名”で呼ぶのは、対等な友人から君臣の間柄に切り替えるため。


 その予備動作のようなものであり、私もまた思考をさらに研ぎ澄ませました。



「率直に申し上げれば、ネーレロッソ大公の影がチラついて見えます」



 私のこの一言に反応し、フェルディナンド様の眉がピクリと吊り上がりました。


 ロムルス天王国という緩やかな連携の中にあるこの世界。


 その中で特に力を持つ頭だった存在を“五大公”と呼び、目の前におられますフェルディナンド様もその一人。


 ジェノヴェーゼ大公国アーメンオーデン家の当主でございますね。


 そして、今し方、私が述べましたネーレロッソ大公もまた、五大公の一人。


 はっきり申しますと、ジェノヴェーゼ大公国とネーレロッソ大公国は、控えめに言っても“犬猿の仲”と呼んで差し障りがない程に仲が悪い間柄。


 五十年は昔になりますが、全面戦争一歩手前まで事態が悪化したほどです。


 一触即発な状況でしたが、教会の法王聖下が仲立ちをされ、最悪の事態は回避されたとの事。


 しかし、遺恨は残ります。


 全面戦争にはならないものの、互いの境界を挟んでいざこざは絶えず、いかに相手を出し抜いてやろうか、あるいは足を引っ張ってやろうかと、牽制や小競り合いが絶えないのが今の状況なのでございます。



「ヌイヴェルよ、ネーレロッソ大公が絡んでいるという根拠は?」



「まず、例の双子姉妹の出身の村落が、ネーレロッソ大公との境界線から程近い場所にあるという事。つまり、策を弄しやすく、篭絡するのも容易だという事です」



「ふむ……。他には?」



「チロール伯爵家の分家筋への脅迫が、あまりにも鮮やか過ぎた事です」



 なにしろ、あの騒動の時、一族の一人を殺し、周囲に警告を与え、相続権を放棄させたのがジルとか言う女官上がりの者だったのです。


 普段、継嗣であったヨハンの生母として、威張り散らすだけの女が、あそこまで手際よく事を運べた時点で、あまりにも怪しい雰囲気がしていました。


 そう、それは“玄人”の仕業である、と。



「ジルという女が動いたにしては、その後の展開も含めて優秀過ぎます。殺しから、その後の脅迫に至るまで……。誰かに指南されたか、あるいは腕利きの“仕事人”でも借り受けられたのか……。どちらにせよ、何かしらの“後ろ盾”がいたのではと、状況証拠は告げております」



「なるほど。その後ろ盾がネーレロッソ大公であった、と」



 コツンッ!



「はっきり申し上げますと、もしあのまま計画が進んでいましたらば、チロール伯爵家はネーレロッソ大公に通じた獅子身中の虫となっていた事でありましょう。非常に嫌な位置に内通者を抱えた事になりますし、こちらも相当な痛手を受けたかと」



「もっともだ。だからこそ、それを未然に防いでくれた魔女殿の功績は大きい」



「いえ、私よりも、むしろ亡きハルト様にこそ功があるかと」



 あの御老人、のほほんとしていて、色々と手を打たれていたご様子。


 当時は全く気付かなかったですが、後々聞いたり調べた範囲においては、とんでもない老獪な策士であったと背筋を震わせたほどです。



「恐らくではありますが、ハルト様はドラ息子・・・・がご自身の子供でない事を薄々勘付いていたと思われます。そこから逆算し、誰がそれを仕組んだのかと、考えたのでありましょう。そして、ネーレロッソ大公の影に気付いた」



「しかし、妻や親しい友でもある執事を失い、気力が萎えていたと聞いているが?」



「その二人の死が、実は何者かの手による暗殺であろうとしたらば? 奥方の方はともかく、執事の方はあまりにも見計らったような時期でしたので……」



「なるほど。ハルトへの牽制、気力の減衰に繋がるというわけか」



「推察の域を出ませんが、それが一番しっくりくるかと。後釜の若い執事があれこれ知っていたのも、そうした裏事情を引き継いでいたのかもしれません」



  コツンッ!



「げ、嫌な一手を打ってくるな……。話しながらだというのに、意識が全然散漫になっておらん」



「魔女は頭と口が別の生き物なのでございますよ。……しかし、ハルト様は萎えたふりをして事態を見守りつつ、逆転の種を仕込み、状況が好転するのを待ちました」



「その切っ掛けが、ヌイヴェルが出したという見舞いの手紙か」



「これ幸いとばかりに、しっかりと巻き込まれたのは、我が身としては痛恨の一事。されど、方々に張り巡らせていた人脈が一気に活性化し、事態の収拾に向かうよう作用した、という感じでございましょうか」



「だな。実はこちらもハルトから密書が届いていてな。『内々に処理するゆえ、伯爵家の家督をユリウスに回したい』と言って来ていた」



「ああ、そちらにもやはり行動を起こしていましたか。アルベルト様がいきなり出張って来たので、少し奇妙に思っていましたが、これで納得しました」



 あの時は本当に焦りました。


 普段は滅多に動かないアルベルト様が、いきなりの横槍でしたからね。


 何食わぬ顔で相続問題の首を突っ込んでいましたが、裏では想定以上のはかりごとが動いていたと、後で気付きましたから。


 やはり事前に教えておいていただいた方が、より効率よく動けたでありましょう。


 まあ、芝居ではなく、素の方が相手を引っ掻けやすい。


 事前に知らせなくても、魔女殿ならうまく立ち回るという信頼感。


 信を寄せられるのは嬉しくもありますが、勘弁してほしいものです。



「ハルトの思惑では、伯爵家の相続問題をわざと・・・発生させ、そこに潜む“影の尻尾”を掴むつもりであった、と」



「掴む役を他人に押し付けましてね。ほんと、あの御老人はどこまでも迷惑な御仁でございました」



「しかし、その“影の尻尾”を掴むには至らなかった」



「用済みになって、しかも失敗した双子姉妹。まんまと“トカゲの尻尾切り”で逃げられてしまったというわけです」



「ふむ……。さすがだな、ヌイヴェル! こちらの掴んでいる情報を、自身が知り得た情報からの推察のみで、ほぼ正解に辿り着くとは!」



「お褒めに与り、光栄にございます。……その口ぶりですと、あの双子姉妹、たっぷりと分からされた・・・・・・という事でございますね?」



「無論だ。アルベルトの拷問で、口を割らない奴はいない。姉妹仲良く、あと豚も一緒にな。“痛み”という感覚を持って生まれた事を後悔した事だろうよ。激痛にのたうちながら泣き喚いて、吐かせるだけ吐かせた。今は親子水入らずで“土の中”だ」



 フェルディナンド様も事も無げに言い放ちますが、さすがにえげつない。


 まあ、宿敵であるネーレロッソ大公が絡んでいると入れれば、熱の入れ様も違ってくるというわけですね。


 その点は、兄弟揃って勤勉な上に容赦のない事でございます。



「とまあ、それはそれとして、d2キングで」



 コツンッ!



「ゲッ! あ、それは……」



千日手パーペチュアルチェックも封じましたので、こちらの女王クイーンを阻む事はできませんよ」



「んんん~!?」



 盤面を凝視しているフェルディナンド様ですが、もう答えなど出ていますよ。


 女王クイーンは迂闊に動かすな。されど、終盤まで残っていれば、邪魔する者もいなくなり、盤面を支配できるのです。



(と言っても、私の女王クイーン生贄サクリファイスで退場し、今いる女王は“叩き上げの兵士”が扮する昇格プロモーション女王クイーン。時に犠牲を厭わぬやり方もまた、勝利への近道でございますよ)



 要は損害と利益を天秤にかけ、その損害が許容できるかどうかという話。


 将棋チェスは究極的には、キング以外はすべて“駒”。王の首級を取らせなければ、何人死のうが問題にすらならないのでございます。


 もちろん、我々の王とは、目の前のしかめっ面の男の事。


 この身に代えましても、お守り申し上げますわ。



「あ~、また負けた! やってくれたな、この魔女め!」



「お褒めに与り、光栄の極み」



「ええい、もう一回! もう一回だからな!」



「あらあら、まだお続けになりますか」



 重要な話をしつつも、この部屋では遊び心を忘れぬ私と陛下。


 さて、今宵は何度討ち取れば、心を折れることやら。


 そこまではいくらでもお相手させていただきますわ♪

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