3-5 魔女と大公の密議 (1)
「そうそう、言い忘れておったわ。チロール伯爵家の件は、随分と骨折りさせてしまったな。礼を言っておこう」
ここでフェルディナンド様は話題を他愛無い世間話から、政治的な話へと切り替えました。
これもまた、密談ならではの相談事というわけでございます。
いささか傲慢に聞こえるかもしれませんが、私は大公陛下の“参謀”を自認しております。
無論、何か形のある役職を持っているわけではございませんが、“絶対に裏切らない”という保障があればこその秘密のお役目というわけです。
秘密の遊び相手であり、相談役。大公陛下の御相手をするのも楽ではございませんが、実入りもありますので、何ら不満はありません。
「事前にご相談くださればよかったのですが……。私としても、今少し上手く立ち回れたはず。老人一人の悪戯に、皆が振り回され過ぎでございます」
コツンッ!
「そこは、ほれ、あの老人の最後の悪戯ということでな。受けてやるのが人情というやつよ」
コツンッ!
「やれやれ。お婆様にしてやられた腹いせを、孫の私で晴らそうなど、とんだ御仁でございますね。御老人の置き土産、とんでもない大火事でございました」
コツンッ!
「まあ、魔女殿がその大火事を適切に処理してくれた。おかげですんなりユリウスに家督を回す事が出来た。あやつは男爵号を新設してやったが、領地なしの“部屋住み”状態であったからな。今後の事を考えると、ちゃんとした領地をと考えていたところに、今回の伯爵家の騒動だ」
コツンッ!
「それはようございましたね。事前の根回しもなく、巻き込まれたこちらとしては、陛下に追加料金を請求したいところでございますわよ」
カチッ、コツンッ!
「あ~、それは悪かったと思っている。ほれ、だから途中からアルベルトを加えてやったではないか」
コツンッ!
「信頼の証としてですね。ですが、魔女は業突く張りですので、名誉よりも“山吹色のお菓子”を食べたいのでございますよ」
まあ、あの時の金貨百枚でも十分な稼ぎではありますが、すり減らした神経の事を考えますと、今少し色を付けていただきたいというのが本音です。
今にして思えば、何の準備もなく伯爵家の家督相続に巻き込まれ、思った以上に早く相手の弱味を掴み、どうにか収まるべきところに収める事が出来ましたが、危うかった場面があったのは事実。
(
目の前の盤面、
縦横無尽に走り抜け、
されど、その“高すぎる機動力”が、却って仇となるのが
調子に乗って深入りしすぎて、ポロッとやられてしまうのが、半人前の打ち手が良くやらかす失策です。
ゆえに、ここぞという場面以外では動かない、動かさないのが
「まあ、あれだ。骨折りしてくれた分は、ちゃんと報酬は用意する。その点はちゃんと確約しておこう」
コツンッ!
「そうですか。それは嬉しい限りのお言葉。期待してお待ちできるというものです。では、
「んん~!?」
フェルディナンド様は身を乗り出され、舐めるように盤面を眺められております。駒の位置やこれから考えられる駒の動きを指で確認し、そして再び椅子に腰かけられました。
「あぁ~、これはいかん。詰んでる! ちっ、また負けか!」
フェルディナンド様は降参とばかりに両手を上げ、天を仰いで悔しそうに叫ばれますが、その声を私以外が聞く事はありません。
そうした生の感情を剥き出しにできるからこそ、この部屋を遊び場に選んでいるのですから。
「では、これで通算、私の1491戦の1485勝6分けでございますね♪」
「いちいち数えるな! そして、わざわざ声に出すな!」
「おほほほ! 陛下、嘆かれる前に腕を磨かれてはいかがか?」
ここぞとばかりに意趣返し。
面倒な仕事を押し付けてくれました、その仕返しでございますよ。
手元に置いておりましたグラスの葡萄酒をスッと一口。勝利の美酒のなんと旨い事でありましょうか!
気分上々ですわ。
ああ、陛下がヘタクソとか、そういう事はございません。
陛下自身、かなりの指し手でございますが、私がさらにそれを上回っているだけの話です。
なにしろ、私は
ちなみに、“一番手”は今は亡きお婆様で、“二番手”はジュリエッタでございます。
お婆様には一度も勝った事がなく、ジュリエッタにも彼女が娼婦稼業を始めた辺りから抜かれて、それ以降は勝っていません。
ここがジュリエッタの人気の裏打ちの一つ。
彼女と
挑戦料として金貨を一枚差し出す事になっておりまして、それがどんどん積み増しされ、今ではゆうに千枚を超えております。
勝てば全額払い戻しという事にしていますが、積み上がる金貨が増える一方で、ジュリエッタの勝利と共に挑戦者の客が机の突っ伏するのが、店のホールでよく見られる光景です。
こうした“寝技”以外の特技もまた、高級娼婦には必要なもの。
足繁く通ってもらう“理由”にもなるというわけでございます。
「性悪な魔女め、もう一回! もう一回だ! 今度こそ退治してくれようぞ!」
フェルディナンド様は人差し指をピンと立てられ、私に再戦を促されました。
まるで無邪気な子供のようでございます。
普段は張りつめた空気の中、魑魅魍魎渦巻く宮中や、血飛沫が舞う戦場を渡り歩いておられるのがフェルディナンド様なのです。
唯一安らげるのが、
もちろん、少し意地悪しながらも、応えて差し上げるのが私のお仕事です。
「またでございますか。まあ、また私に勝ち星を捧げてくださるのでしたらば、一向に構いませんが」
「ええい、勝ち逃げは許さんぞ! 今宵こそ、勝つぞ! 絶対に勝つぞ! 今宵は勝つまでやるぞ!」
むきになって勝負を挑む姿が、なんとも微笑ましく思えます。
フェルディナンド様は三十歳と若いながらも、立派に大公国を切り盛りなされ、政治、軍事にも精を出されるお方。当然、敵も多く、隙を見せまいと毅然とした態度でいついかなるときでも応じられております。
しかし、この部屋の中だけは別。まるで純真無垢な少年のような瞳で、楽しい一時を過ごしていただけて、私としては仕事冥利に尽きるというもの。
手早く駒を初期位置に戻される姿は、本当に楽しそうでございます。
「よし、今度はこちらの先番で行くぞ! ほれ、
さて、先手後手を変えまして、勝負が再び始まりましたが、まあ、また私が勝つでしょう。
むきになって突っ込んでもろくなことにならないのが、世の常にございますれば。
事を急いては仕損じる。冷静さこそ寛容でございますよ、陛下♪
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