第3章 盤面の駒

3-1 符丁

 どうも皆様、お久しぶりでございます。


 高級娼館『楽園の扉フロンティエーラ』に務めております、ヌイヴェル=イノテア=デ=ファルスでございます。


 さて、以前お話した事ではございますが、当店は“完全予約制”を採用してございます。


 敷居の高さを物語るものではございますが、これもお客様各々の好みや性格を把握し、完璧なる奉仕を目指しております当方と致しましては、やむを得ない事でございます。


 急な来客では、女はともかく、好みの酒や料理をご用意できない場合がございますので、事前の予約が必須なのです。


 ご不便やもしれませぬが、これも一切の隙なく、完璧を期するがゆえの措置であると考えていただければ幸いでございます。


 とはいえ、何事にも“例外”というものはつきものでございまして、今日もまた“特別なお客様”がやって参りました。



「え? 今夜でございますか?」



 その時は書類仕事に追われておりました私。


 今は現役の娼婦でございますが、すでに齢は三十代半ばに差し掛かろうかという年頃でございます。


 そう遠くない未来においては娼婦を辞め、何かしらの別の仕事に就く事になりましょうが、その第一候補が“取り持ち女”というもの。


 要は娼館のまとめ役であり、所属する娼婦の管理運営を行う年配の女性という事でございます。


 高級娼館『楽園の扉フロンティエーラ』は代々イノテア家が、その経営に携わっており、歴代の支配人及び取り持ち女は全てイノテア家の血筋の者が就いております。


 今目の前におります“取り持ち女”のオクタヴィア様もまた、イノテア家の血筋。


 と言うより、私の叔母であり、従弟のディカブリオの生母でもございます。


 支配人は名目上、叔父のヴィットーリオでございますが、こちらはユーグ伯爵家の次男坊で婿養子として、我がイノテア家にやって参りました。


 紆余曲折を経て、イノテア家は“ファルス男爵号”を授与され、貴族の仲間入りをしたわけですが、そうなれたのも亡き祖母カテリーナお婆様の活躍と、ヴィットーリオ叔父様の“血筋”があればこそ。


 とはいえ、かつては「伯爵家のボンボン、男爵家へ落ち、今や娼館の呼び出し係」などと揶揄されたものです。


 まあ、次男坊でありますので、そのまま伯爵家に残っても貴族位が授与されるわけでもございませんし、イノテア家は裕福な家でもありますので、当人は全然気にしておりませんでしたが。


 今は男爵の地位も息子のディカブリオに譲り、町の名士としてあちこちの会合に顔を出し、娼館の経営は実質オクタヴィア叔母様に任せて、方々を走り回る忙しい日々を送っております。


 その娼館の実質的支配者であるオクタヴィア叔母様からのお声掛かり。



「ええ、そう、急な依頼なのよ。先方から『ようやく時間が取れたから、是非にも魔女殿にお会いしたい』とね」



 今でこそ齢六十に達した老婆でございますが、かつてはカテリーナお婆様の生き写しとまで言われたほどの美貌の持ち主。


 オクタヴィア叔母様の立ち振る舞いは、私も見習いたい優雅そのもの。


 老いてなお“金銭欲”はますます盛ん。


 上物の客引きには余念がないご様子。


 このような言い回しの時は、ほぼ確実に二種類に分類されます。


 一つはどうしても繋ぎ止めておきたい“一見様で上得意になりそうな客”。


 この手の客は支配人おじさま取り持ち女おばさまが、どこからともなく引っ張って来て、私に回してくる事が多いですね。


 場数を踏んだ百戦錬磨の娼婦の“談話”と“寝技”を持って、完璧な御奉仕にて満足していただき、以降も当館に足繫く通ってもらうためです


 そして、今一つの客は“私の最上の得意客”の事でございます。



「予約は“プーセ子爵様”からのものです。よろしくね」



 プーセ子爵はもちろんよく知る御貴族様です。


 プーセ子爵家は代々ジェノヴェーゼ大公家にお仕えする密偵頭を務める家柄。


 大公陛下が最も信頼なさっている、と言っても過言でもない家です。


 そして、その現在の子爵家当主はアルベルト様。


 大公フェルディナンド様の異母弟にあたられる方で、家督相続の際にもめないようにと、アルベルト様はプーセ子爵家に御養子に出され、その当主に収まっているというわけでございます。


 しかし、これは世間で言われている話でございまして、ごく一部の者のみが知る秘密な事なのでございますが、実はフェルディナンド様とアルベルト様は腹違いの兄弟などではなく、“双子”という厄介な存在。


 異母兄弟以上にもめる原因になるため、上流階級ほど双子への忌避感が強く、アルベルト様も生まれて間もなく、処分されかかったそうでございます。


 それを不憫に思ったお二人の御生母が、相談役であったカトリーナお婆様に相談し、方々に手を回した後、アルベルト様を“双生弟”ではなく“異母弟”ということにして、プーセ子爵家に養子として出す事が決まったのです。


 そのプーセ子爵からの予約。


 しかし、そこには秘密を知る者だけに伝わる“符丁”が潜んでおります。


 私と叔母様は、その秘密を知る数少ない側の人間で、その意味を理解して、会話を続けました。



「では、“十三号の部屋”を使いますが、よろしいですか?」



「ええ、そうして頂戴。お客様優先。書類仕事は放り出していいから、そちらの準備をよろしくね」



「畏まりました」



 私は執務机から立ち上がり、了承の意味を込めて軽く会釈。


 やって来るプーセ子爵家の御当主様の出迎えの準備に取り掛かります。


 しかし、当館はご用意できる部屋が“12”しかございません。


 今述べた“十三号の部屋”など、存在いたしません。


 “当館”にはありませんが、“別館”にそれに該当する部屋がございまして、そこはかつてお婆様が最期を迎えられた、“魔女の館わたしのおうちの尖塔の上の部屋”の事を指しています。


 そして、“プーセ子爵”と言うのも真っ赤な嘘。


 もしアルベルト様がお越しの場合は“プーセ子爵アルベルト様”とお呼びしますが、今回は“プーセ子爵”とだけ伝えてまいりました。


 これもまた符丁。


 名前を付けずに爵位だけで呼ぶ場合は、それは“別人”の意味。


 そう、本日のお客様は、アルベルト様の双子の兄である大公フェルディナンド様。


 この二人、双子である事を利用して、時々入れ替わったりしているのでございます。


 基本的には弟のアルベルト様が“影武者”として、兄フェルディナンド様の代理で方々に出向くというパターンが多いのですが、たまにこうして兄の方が弟に成りすまして、密かに会いたい人物の下へと出向くのです。


 今日はそのパターン。


 さてさて、本日はどんな厄介事を持ってきますことやら。


 そんな事を考えながら、私は準備のために部屋を後にして、別館の方へと向かうのでした。

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