2-24 未来を紡ぐ
そして、話は冒頭まで戻ります。
私の触診を終えましたアゾットは、いつもの不愛想な顔。
今少し主人に対して、愛想よくしても良いでしょうに、未だにその辺りの機微はなし。
まあ、それだけ互いに信頼して、愛想を振りまく必要はなしとも言えますが。
「文句の付けようもないくらいの健康体です。いつもながら、三十代半ばとは思えぬ肌艶、衰えを見せぬ美貌、何か秘訣でも?」
「なぁに簡単なことじゃ。やるべき事と恋をする事に熱中しておれば、自然と体は若々しくなるものじゃて」
「生贄とかの“まじない”の類いでなくて、安心いたしました」
「アホウ。そんな非科学的な事をする訳なかろう。魔女を何だと思っているのか」
まあ、本当に生贄で若さを維持できるのであれば、やってみたくはありますがね。
しかし、そんな都合の良いものは無いとも、十分理解しています。
あの
さて、定期の健康診断が終わりまして、いそいそと服を着ておりますと、そこへ一組の男女がやってまいりました。
ディカブリオとラケスでごさいます。
「おお、熊と猫のご夫婦のお出ましじゃ。ラケスや、赤子はどうじゃな?」
そう、まだ少しではありますが。ラケスは腹が膨らんでおります。
ようやくにして、待望の男爵夫妻の子供でございます。
長かった。というか、ディカブリオの“朴念仁”ぶりには、ほとほと苦労させられました。
いざともなれば、金と権力と暴力でいかようにでもできるのに、背中押せども引っ込むだけの臆病な熊!
むしろ、逆に猫の方をけしかけて、煽ってやりましたとも。
そして、ようやくの結婚でございました。
長かった。本当に長かったですわ。
計画を思いついたのが十年前。
アゾットとラケスの兄妹を引き取り、兄は医者に、妹は
(まあ、出会った当初が十七歳と八歳でしたからね。ディカブリオ視点で言えば、本当に妹のようなもの。真面目なこやつでは、猫を襲えませんか)
時間はかかりましたが、計画通りには行きましたし、ヨシとしましょう。
あとは今回の初産を皮切りに、どんどん子を成して行けば、賑やかな大家族になる事でしょう。
もちろん、そのための金銭は私が工面いたしますよ。
可愛い
「お気遣いいただき、ありがとうございます、ヴェルお姉様。私も、お腹の御子も、平穏無事でございます」
ラケスはにこやかな笑みで返してくれました。
出会った頃は好奇心旺盛にはしゃぎまわる仔猫でございましたが、今や熊と結婚し、立派な親猫となっていくでありましょう。
実に微笑ましい事です。
「そう言えば、本日は店もお休みですのに、ジュリお姉様が見えませんね?」
「ジュリエッタは出張の仕事が入っておる。この前、チロール伯爵になられたユリウス様の
「なんですか、それは?」
「ユリウス様はチロール伯爵家の家門を継がれ、しかもあの若さで礼部の次官補にまでなっていますからね。大公陛下の甥っ子でもありますし、いずれは宰相にも手が届くほどの位置にいます。そして、独身な上に婚約もなされていません」
「そうなると、その席を巡って、熾烈な競争が発生しますね」
「その通り。そのため、後見人でもある大公陛下も慎重になっており、思わぬ“抜け駆け”をされぬようにと、何かしらの宴の席などでは、その脇を“埋めてもらう”女性がいてもらうとよいのじゃよ」
「それがジュリお姉様というわけですか」
「まあ、私もその手の仕事で“仮想恋人”を演じた事もありましたが、ジュリエッタにそのお鉢が回って来たというわけです」
ここで重要なのが、その恋人役の女性があくまで“仮想”の域を出ないようにしないといけません。
本気の恋にはしない。あくまで、役目柄としての恋人。それを割り切って仕事に当たらないと、色々と面倒になりますので。
その点、ジュリエッタは最適というわけです。
容姿端麗にして、才女と呼んでも差し障りのない作法と知識を身につけております。
しかも、“娼婦”でありますから、恋人役を演じるくらいお手の物。
また、私からの紹介でもありますので、大公陛下も問題なしと太鼓判を押しております。
まさに“都合の良い女”と言ったことろでありましょうか。
「まあ、身分の差はありますが、ユリウス様とジュリ姉様、お似合いだとはお思いますが、やはり結婚は無理ですか?」
「娼婦は結婚しないし、してはならんのじゃ。なるとすれば、娼婦を辞めねばならん。法律上、“姦通罪”があるからな。夫婦以外の営みは原則禁止。娼婦だけは例外として“黙認”されておるのが実状」
「なるほど。伯爵夫人、いずれは宰相夫人になられるユリウス様の奥方ですし、ジュリお姉様のその位置を占めてしまいますと、対外的に体面が悪いというわけですか」
「さすがに大公陛下の甥の嫁が娼婦というのは、騒動の火種になりかねませんからね。“恋人役”が精いっぱいというわけじゃ」
とは言え、目の前に身分差を越えて結婚した夫婦もおりますけどね。
ラケス自身、今でこそ、知識と教養を身につけ、男爵夫人を名乗っても障りはございませんが、元は貧民街の出身。
本来なら貴族の家に降嫁する身ではありません。
(まあ、我が家が新興の貴族である事、ディカブリオが身分云々を気にしない性格である事、そして何より、私が欲した事によって、熊と猫は結ばれた。男爵と貧民娘、世間の目を気にしなければ、引っ付けるのもそこまで難しくありませんでしたわね)
当初は身分違いな結婚も、色々と揶揄されたものです。
やれ、「貧民の娘を娶るなど、貴族の面汚し」だの、「成り上がり者の家には、むしろお似合いだ」などと。
しかし、それを払拭したのが、他ならぬアゾットでございました。
以前の刃傷沙汰の治療以来、我がイノテア家に名医がいると評判になり、最初は富裕層の市民相手に進んだ医療を施し、実績を得ていきました。
そして、決定的となったのが、大公妃への治療にございました。
大公の御妃様は先頃、無事に男児を出産なされ、国中が大いに盛り上がったのですが、産後の障りがあったのか、体調を崩されてしまいました。
何人もの医者にかかるも平癒せず、そこへすかさず私がアゾットを紹介したのでございます。
すると、たちまち平癒してしまいました。
まあ、今までの医者が発熱に対する解熱ばかりしていたのに対し、アゾットは解毒と食事療法で対処して、それがピシャリとハマったのでございますが。
以降、貴族の間でもアゾットの名声は高まっていき、我が家の男爵夫妻への風評もピタリと止みました。
「天下の名医をお抱えにするために、その妹と結婚したのか」とね。
まあ、実際、“その通り”なのでございますけど。
名医の卵を見つけ、妹共々抱えたというのが今回のお話。
十年近い歳月を費やした長きにわたる計画も、想定以上に実りがあったという事でございます。
「まあ、ラケスや、元気な赤子が生まれるように、アゾットにはしっかり診てもらうのじゃぞ。この点では、ディカブリオが全くあてにはできませんので」
「姉上、そのお言葉はいくら何でも酷いです!」
「何を言うとる! お前なんぞ、私が背を押してやらねば、いつまで経っても、ラケスをものにできなかったではないか!」
「ほんのちょっとだけ、押してもらっただけではございませんか!」
「旦那様、“九割”はほんのちょっととは申しませんよ」
このラケスの台詞に大爆笑。ディカブリオは顔を真っ赤にして恥ずかしがり、私、ラケス、アゾットは大笑いでございます。
「フフフ……、嫁御に好き放題に言われておるぞ、“
「まだそれを言いますか!」
「いつまでも言ってやるとも。せめて猫にいい様にあしらわれぬ内はな!」
「いやはや、ヌイヴェル様、普通、熊と猫が相争えば、熊が勝つのが道理でありますが、ここではそうではない様子」
「アゾット! お前!」
ここで再び大爆笑。
やれやれ、この巨大熊は、本当にからかい甲斐がある。
「なぁに、ここは“魔女の館”じゃ。世間の常識は通用せぬ。科学の探究者として、常識にとらわれてはいかんぞ~」
「魔女が科学について講釈してまいりますか」
「おお、そうですとも。何しろ、私は魔女ですから」
魔女こそ、連綿と受け継がれし科学の申し子。
迷信の中に潜む、真実を見出す探求者でもあるのですから。
「時に、我が従者にして科学者アゾットよ、やはり“
「はい、まさにその通りかと」
「姉上! また鰻尽くしの食卓にするつもりですか!」
「旦那様がだらしないからでございますからです! 一体、私がどれだけ待っていたかお考えになってください!」
「いいぞ、ラケス、もっと言ってやるが良い! 私が許します! そして、お産が終わったら、すぐに“次”を仕込むが良いて」
「姉上ぇぇぇ!」
焦るディカブリオに、ラケスが笑い出し、それに釣られて私とアゾットも笑い出す。
ああ、なんの楽しいことでしょうか。家族と過ごす団欒のひととき、何物にも勝る至福の時間にございます。
ディカブリオよ、ラケスよ、しかと未来を紡いでいくのですよ。
私もその一助となりますゆえ、ね。
さて、これにて今回のお話は終幕といたしましょう。
私はアゾットを見て、苗木の段階から巻き付いてしまった、せっかちな
でも、それをバカげたことだと笑わないでほしいものです。
どうか皆様方には、大樹の苗を見て「小さい奴だ」と罵るような真似はしないでください。
気が付けば、あなたの背丈を追い越してしまうのですから。罵る相手と寄り添う相手はしっかりと見定めますよう、私からの忠告にございます。
大層な物言いでございますが、私はあくまで高級娼婦。魔女で、男爵夫人で、神に救いを求めて天を目指す哀れな一本の
さてさて、次のお客様はどちらの方になるでしょうか。
~ 第2章『名医になる予定の男』 終 ~
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