2-23 魔女の従者は科学の信徒
目に見える事だけが真実に非ず。
光差し込まぬ闇の中にも、真実が潜んでいるようなものです。
それを解き明かすのが魔女の役目。
まあ、純然たる“知識欲”に寄り添ってはいますがね。
「まあ、結局のところ、病気をもたらす澱んだ空気、すなわち“瘴気”をいかに払うのかという事が肝心なのですよ、怪我や病気の治療には。訳の分からない薬と使い回しの包帯、これでは空気が澱む。それを使うくらいならば、水で清めて、奇麗な布を巻き、後は放っておくのが一番です」
「いえ、ヌイヴェル様、それは違います」
「なぬ?」
「この世界には、そもそも“瘴気”などと言うものは存在しません。怪我や病気を悪化させる、あるいは発病する原因は、“微生物”という存在に求められます」
何やら聞き慣れぬ言葉が出てきて、私は少し前のめりにアゾットを覗き込みました。
純然たる知識欲、魔女としては未知と言う名の闇に挑みかからねばなりません。
「通っておりました大学において、最近の事ではございましたが“顕微鏡”なる物が導入されまして、目に見えない小さなものまで見る事が出来るのです」
「ほほう。まさに“小人の世界”を覗ける魔法の道具というわけか」
「“魔法”などではありません。“科学”の道具です。言ってしまえば、この世界はすべて“科学”によって成り立っており、その方程式を解き明かすのが科学者なのです。医者もその端くれであると自認しております」
なんとも目をキラキラさせておりますアゾット。
知識欲は新たな知識を得る事のみならず、それを語らい、広めていく欲求とも対となる場合があります。
今のアゾットがまさにそれ。
学び取った最先端の医療を、これ見よがしに語りたいようでございます。
もちろん、知識欲もまた図太い私にとっては歓迎すべき事ですわね。
「それで、“微生物”とやらは、どういった存在なのか?」
「まだ、顕微鏡を用いて見るだけの存在であり、具体的な事は言えません。しかし、大学の教授の一人が『これこそ病をもたらす死神の姿だ!』と興奮気味に語っておられ、随分と熱心に微生物を覗き込んでおられました」
「なるほど。まだ仮説の段階か。見えざる者を見てしまった以上、それに対しての考察を行うのは当然か。……で、アゾットもその説を信じていると」
「その通りです! 在学中に実験してみたの事なのですが、生肉を瓶に詰め、一つには蓋をして、もう片方には蓋をせずに放置しましたが、蓋をした方には
「結果があるのは、そこに元となる原因がある、という事じゃな?」
「左様でございます。必ず両者を繋ぐ方程式が存在する。神や悪魔の悪戯ではなく、世界の真理がそこにはあるのかと」
「ふふふ……、神の上位に真理を置くとは、異端として火炙り待ったなしじゃな。一昔前であれば」
「事実を述べただけです。しかし、迷信がまだまだはびこっているのも事実! 今回の騒動もまた、それに根差したものなのですから」
熱く語るアゾットの意見には、私も大賛成でございます。
あのヤブ医者を見て、その奥に潜む“真実”を覗けばですが。
「それで、先程の瓶詰の肉の話に戻りますが、しばらくの放置の後、蓋無しの方は蠅がたかってきました。また、蓋をした方も肉が腐っていきました」
「つまり、蠅に触れていない方には見えざる微生物の作用があった、と」
「まだ仮説の段階ではありますが、おそらくはその通りかと。蓋をする前の空気の中に漂っていたのか、あるいは肉の中にすでに潜んでいたのか、それは分かりませんが、そうなのだと思います」
「うむ、なかなかに面白い事じゃ! アゾット、やはりお前を従者にして正解でしたわ! 魔女の従者が、魔術を否定しかねない“科学”という新興宗教の信徒であったなんてね!」
「あるいは我々が“瘴気”と呼んでいるものの正体は、目に見得ざる“微生物”なのかもしれません」
「正体不明の存在を暴く。今は便宜上、“迷信”や“魔術”の領域に属するものも、いずれはその“帳”を外され、姿を見る事が叶うのかしらね~。実に興味深い」
実に晴れやかな気分です。
長らく続いてきた魔女、魔法使いの時代。
迷信の恐怖から火炙りに処されてきた魔女の解放。
しかし、その矢先に“科学”という新興宗教がはびこり、魔女を駆逐しようとしているのだと、肌で感じてしまいました。
“科学”がいずれ“魔術”を駆逐し、世界を改変してしまうのではないかと。
迷信と魔術は消え去り、実験による再現と技術としての確立。
そんな時代がやってくるのかもしれません。
(そうなれば、魔女は廃業ですかね~)
滅び去るのであれば、それもまたよし。
せいぜい可憐に、華麗に散ってみせましょう。
そして、目の前には魔女を概念ごと殺してしまえる男がいる。
迷信と魔女を滅ぼし、実験、実証を元にした“科学”のはびこる世界へと、いずれ変えていくのかもしれません。
嬉々として語る科学の信徒にして、“名医になった男”が。
そう、無様に足掻くことなく何もせず、世界の変わりゆく姿を見ていく事に致しましょう。 成長したアゾットを見て、強く思いました。
(見えざる者を捉え、世界の闇に光を照らす。迷信と言う名の帳もまた消え去り、それと同時に魔女もまた消えゆくもの、か)
もちろん、私はそれを受け入れるつもりです。
世界がそれを望まれるのでしたらば、ですが。
なにしろ、私が見出し、成長させたアゾットが、それを成す可能性を持っているのですから。
「ときにアゾットよ、あの重症患者をいかにして治療した?」
「蜂蜜を使いました」
「蜂蜜? おお、そういえば、良質の蜂蜜をボロンゴ商会で買ったな。ディカブリオとラケスを冷やかすために」
「はい。そして、蜂蜜には再上皮化を促進させる効果があるのです」
「なんじゃそれは?」
「人間の自己治癒において、表面の皮、すなわち上皮に傷が生じますと、元の状態に戻ろうとする作用がございます。最初は血が凝固し、“かさぶた”になりますが、その後に皮が引っ付いていきます。その作用を促進させるのが蜂蜜でして、傷口に適度に塗りますと、皮膚の再生を促進させるのです」
「ほほう、そのような効果があったのか」
「あとは、増血作用の強い食事を与えます。今回は
ま~、そこから捲くし立てるように喋る、喋る!
知識の信奉者は、得た知識を広める事にも熱心なご様子で。
もちろん、私もジュリエッタも真剣に聞き入りました。
まさにそれは“呪文の詠唱”のようなもので、理解の及ばぬ点も多々ありましたが、実に興味深い話ばかり。
我らもまた、目の前の男のように知識に関しては貪欲でございますから。
まあ、私の魔術の大半は“偽物”。
情報の抜き取り以外は、話術と詐術で“魔術”に見せかけているだけですからね。
そういう意味においては、“詐術の種”として、この従者の知識や技術は使い勝手が良さそうです。
魔女の従者が科学者、実に滑稽で、それでいて理に適った組み合わせになりそうですわね。
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