2-20 抜け落ちた危機感
帰りの馬車の中、しばし嫌な沈黙が続きました。
私は平然と座っていたのですが、ジュリエッタは随分と不機嫌な様子で、対面して座っているアゾットを睨んでおりました。
アゾットの表情を見ますに、「なんで睨まれているのか?」と言いたげなのは一目瞭然。
まあ、気付いていないという事ですわね。
「ヴェル姉様! やっぱりアゾットの奴、全然気づいていないみたいですよ! さっきの危機的状況について!」
「まあ、そういきり立つな。それはおいおい修正しますから」
まあ、ジュリエッタの心配は当然の事。あの場にいたのが私でなければ、最悪、処分されていてもおかしくはなかったのですからね。
危機感のなさ、それに至れる知識、作法の欠如、大学の
(医者のしての技量と、貴族への応対は別物。しかし、これから貴族相手の応対も増えて来るでしょうし、早めにどうにかしておかないとね)
あまりよく分かっていないアゾットは困惑しておりますが、それをきっちり教えておかねばな。
「アゾット、お前が医者としての本分として、人の命を救った点はよしとしましょう。しかし、時期や状況を弁えねば、面倒事になるわよ?」
「と、仰いますと?」
「よいか? あの場面は言ってしまえば、“決闘”を行っていたようなもの。それも自分の主人がね。しかし、お前はあの場で、決闘後の勝利の余韻に浸る主人に対し、それ以上の医術を用いて、捨てられた怪我人すら治してしまった。それは間違いなく、主人の顔に泥を塗る行為じゃぞ」
決闘を行う。そして、勝つ。この流れは良い。
しかし、その後に従者が主人以上の技術を披露し、公衆の面前で「主人より俺の方が凄ぇんだぞ!」とやってしまったようなもの。
決闘に水を差す上に、主人の面目を潰す行為。
体面を重んじる“貴族”であれば、憤激必至の空気の読めていない行動です。
「よいか? 貴族という生き物は、
「ヴェル姉様の近場にいる貴族は、まあ、割と緩い貴族、寛大な貴族が多いけど、そうじゃない連中の方が多数派なの! あの場はヴェル姉様だからこそ笑って流したけど、決闘の対戦相手が貴族だったら、体面を傷つけられた、決闘の雰囲気に水を差したって言って、斬られる可能性すらあったのよ!」
「貴族の視点では、従者、庶民の命というものは軽い。しかも、私は一応“男爵夫人”を名乗っていますが、ディカブリオの好意だけでそうなっているようなもの。それこそ、“本物”の貴族相手となると、その立ち回りは慎重にならざるを得ません」
「だから、アゾット、あなたもその辺の機微を身につけておきなさい! こっちまで最悪、巻き添えを食らうんだからさ!」
私とジュリエッタにこうまで言われて、ようやく事の重大さに気付いた様子。
アゾットは申し訳なさそうに頭を下げてまいりました。
「まあ、今回の件は許しましょう。あなたの実力をしかと見る事が出来ましたし、この国の医術以上の魔術を私が見せ付け、同時に魔術以上の医術をあなたが見せたのですからね。私の
そう、今回は私が目の前の医者の行き過ぎた行為を咎めなければ、簡単に収まりの付く話。
危うい部分に釘を刺し、それで今回は良しと致しましょうか。
「フフフ……、それにな、何かの本であったか、泥を顔に塗るのは美容にも良いといったからのう。たまには“血飛沫”と“罵声”以外のものを浴びるのも、まあ一興じゃて。お前の主人が魔女で良かったな、アゾットや」
「……以後、気を付けます」
「それでよい。お前は医者の本分を全うした。しかし、それを理解せず、体面のみを重視する輩が多いのも、社交界というものじゃ。お前の技術が素晴らしかろうとも、より理不尽な力でねじ伏せに来るバカが、本当に多いのじゃ」
なんちゃってな貴族の私には、それは嫌という程に分かっていますからね。
そんな私が社交界を闊歩できるのも、あくまで“大公陛下と懇意にしている”という、後ろ盾があればこそ。
あとは財力。爵位こそ男爵ではありますが、領地からの上がりに加え、商会、娼館等からの利益もありますし、我が家の稼ぎは一族全体で伯爵級に匹敵するほどでございます。
私個人の稼ぎにしても、気前よく方々に振る舞っておりますので、付き合いのある方々からは好印象を稼ぎ出しています。
そうした
もし、それがなければ、今頃我が家は潰されるか飲み込まれるかのいずれかを選択させられていた事でしょう。
(まだまだお婆様には遠く及びませんね)
爵位を持たない状態でも、そんな面倒な連中と互角以上に渡り合ってきた祖母の実力が、透けて見えてくるというもの。
本当にあの人は規格外。
神すら出し抜いた、最高の
一応の決着がついた事と、予定通りに腕の立つ医者を従者にできた事は喜ばしい事ですが、まだまだ前途多難。
欲の皮の突っ張った連中がうようよおります社交界。それを渡り歩くのはまだまだ苦労しそうでございます。
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