1-25 おやすみなさい、初めての人
チロール伯爵家の別邸で起こった騒動から一週間後、私は改めてハルト様の墓前へと参じました。
もちろん、伯爵家で起こりました事の報告でございます。
あれから、実に手際よく相続の手続きが成されました。
ユリウス様が次の伯爵家当主となり、分家筋の方も渋々ながらそれを認めたというわけでございます。
「さすがに大逆罪で一族郎党まとめて処罰されるのがいいか、それともユリウス様を新当主として認めるのか、などという選択を迫られましたら、どうしようもございませんわね」
そして、私はハルト様の墓石に持ってきた花を捧げました。
遺書の中身から、この老人はこの展開を読み、そうなるように仕組んだことは間違いありません。
どこでこれを思い付き、実行に移そうと考えたのかは分かりませんが、周囲はまんまとしてやられた格好です。
私を含めた大勢を巻き込み、混乱させ、結局は最後の遺書の通りの結末を迎える。
もちろん、その最中に流血沙汰はありましたが、それも陰謀渦巻く社交界ではありがちなもの。
今更、朱の湖に数滴の血が加わったところで、如何ほどの事がありましょうか。
そして、その中に“自分の息子”が含まれていたとしても。
「もしかしたらば、気付いていたのかもしれませんね。自分の息子が血の繋がりの無い赤の他人である、と」
そうでなければ、息子のヨハンが破滅する未来を用意するはずがございません。
まあ、当人が墓の下では、答えを聞く事も叶いませんが。
「魔女殿~!」
私を呼ぶ声がしましたので、そちらの方を振り向きますと、花束を持って歩み寄って来るユリウス様の姿が見えました。
今やこちらの方がチロール伯爵家の新当主。お若い伯爵様ではございますが、むしろ才覚の点では申し分ないと思っております。
「これはこれは、新たなる伯爵様、ご機嫌麗しゅう」
私も当然、伯爵相手に相応しい挨拶で応じます。
私の半分ほどしか生きてはいませんが、位はユリウス様の方が圧倒的に上。
礼を尽くすのは当然でございます。
「今回の件では、本当に世話になりました。いずれ改めて礼を述べに参ろうかと思っていたら、こんなところでばったり会うとは!」
「これもハルト様のお導きでしょうか」
「かもしれんな。いやはや、チロール伯爵家の家督を継げと陛下からお達しがあったときは、ひっくり返る思いだったぞ。まったく、とんだ置き土産であった」
そう言いつつも、顔がニヤついておりますよ、ユリウス様。
まあ、伯爵家の門地と財産を引き継いだのですから、リグル男爵の時に比べて格段に“箔”と“財”を得た事になります。
今はそれに浮かれておりましょうが、いずれは相応しい風格も備わってまいる事でしょう。
それが一日でも早い事を願っておりますわ。
「魔女殿には表に裏に、色々と動いてもらったようであるし、こちらにできる事があったら何でも申し出てくれ」
「では、お言葉に甘えて、一つお願いしてもよろしいでしょうか?」
「うむ、なんだ?」
「これからも私のお店に通われまして、ジュリエッタをご指名なさってください」
「はっはっはっ! 何を言ってくるかと思ったら、そんな事でしたか! そんな事は言われずとも、ジュリエッタとは仲良くしますよ!」
豪快に笑うユリウス様を見て、私は安堵すると同時に、どうにも寂しく感じてしまうものです。
娼婦と贔屓の客の組み合わせ、
足蹴く通ってくださるのは娼婦冥利に尽きるというものですが、付き合いが長い分、パタリと足が途絶えるとグッとくるのも
しかも、それが死出の旅路に赴かれたとなるとなおの事。
今、この墓の下で眠る御老人と、何度肌を重ねてきましたやら。
なんとも言い表せぬ気分になります。
「……ユリウス様は御存じないかと思いますが、実はですね、私が娼婦として駆け出しの頃、ハルト様には良くしていただきました。と言うより、私が最初に取った客というのが、ハルト様だったのでございます」
「ほ~、そうだったのか! まあ、男女問わず、最初の相手には何かと感傷的になるとは聞いたが、魔女殿もその例に漏れなかったと言うわけか!」
「お恥ずかしい事ながら」
今にして思えば、私が魔術に目覚めたのも、ハルト様と“致した”時でしたものね。
急な事でしたので、随分と頭が混乱して、ハルト様には失礼な振る舞いをしてしまいましたが、笑って流していました。
そして、最近再会した後も「あのころと変わらぬ
いくら娼婦として十数年の研鑽を積もうと、あの祖母と張り合っていた方の前では、私もまだまだ初心な乙女と言う事でしょうか。
「まあ、私も“童貞”を捧げたジュリエッタに首ったけであるからな! 魔女殿の気持ちも分からんでもない!」
「そうでございますね。……ですが、ユリウス様、チロール伯爵家を継がれ、その内に方々から縁談も参る事でありましょう。その際はまずもって、奥方様を大切になさいませ。我ら娼婦は享楽の請負人ではあっても、未来を紡ぐ者ではございませんので、その点は努々お忘れなきよう」
「縁談か~。考えた事もなかったが、その内に来るだろうな。叔父上……、大公陛下もあれこれ考えているだろうし、良縁である事を祈っておくか」
「陛下のご紹介、仲人であれば、間違いないかと」
「うむ、そうだな。時に、魔女殿は結婚を考えておらんのか?」
「私が、ですか?」
これは意外な質問。
まあ、私も歳が歳でございますし、じきに娼婦も引退となるかもしれません。
その先に待っているのは、娼館の管理役、すなわち
それとも、何かお店でも開きましょうか。
色々な未来がある事でしょう。
(でも、まあ、三十代半ばの行き遅れ、貰ってくれる方はいるのでしょうか?)
自分が結婚して、家庭を持つ姿だけはなかなか思い浮かべることができません。
ましてや、子供を産んで育てる光景なんて、夢の夢でありましょうか。
「どうにも想像いたしかねます。家庭を持つというのが、遠い世界の話のようで」
「そうかね? 魔女殿は誰よりも優しく感じるのだがな」
「魔女に優しさなどは不要でありますわ」
「逆ですね。優しいからこそ、魔女を堂々と名乗れる。自身が血飛沫を浴びようとも、身内の栄達には余念がない。ディカブリオの家庭は順風満帆だが、それもこれも魔女殿の気配りのおかげだろう?」
「まあ、嫁と引っ付けるのに、随分と苦労はしましたが」
「そういう事だ。やはり魔女殿は優しい。身内限定ではあるが、その魔女の腕の中に入れた者は、幸せだろうな」
返り血で手足が真っ赤な私に抱かれ、幸せかどうかは判断しかねますね。
まあ、私が身内と認識する者には、それなりの差配をしてきたつもりではありますが、それが“優しさ”の表れかどうかは分かりません。
何しろ、私は嘘つきで気分屋な魔女でございますから。
「さて、ハルト様への報告も終わった事だし、こちらは引き上げさせてもらうよ。伯爵になって領地のあれこれが増えた上に、礼部の仕事も色々あってね。今少しのんびり話したかったが、いずれまたお会いしよう」
「はい、ユリウス様。ジュリエッタ共々、あなた様のお越しをお待ち申し上げます」
「うむ。ではな、魔女殿」
ユリウス様は踵を返して元来た道を戻っていき、私は丁寧にお辞儀をしてお見送りをしました。
足音と気配がなくなり、顔を上げ、そして、改めてハルト様の墓に視線を向けました。
「ハルト様、あなた様の目利きは確かなものだと思います。あの闊達として飄々とする様は、お元気だったかつてのハルト様を彷彿とさせます。血は遠くとも、心はあなた様に一番近いのかもしれませんね」
残された『チロール伯爵家の遺産』は、才気あふれる若者の手に渡った。
奪い合い、血を見る事になった呪われた遺産も、魔女の活躍によって収まるべきところに収まった、と言う事にしておきましょうか。
もちろん、そうなったのはハルト様の遺言状のせいではありますが。
まんまとそれに私も、皆も、踊らされただけの事。
何の事はない。散々出来の悪い息子を放蕩者と嘆いていましたが、一番の放蕩者はハルト様ご自身でございますわよ。
生前、自分がしっかりと跡目について手を打っていれば、ここまでこじれなかったかもしれません。
それこそ、事情を陛下に奏上し、ユリウス様との養子縁組をしておく等、やりようはいくらでもあったのですから。
そんなろくでもない放蕩者の墓石を、私はペチッと叩きました。
「おやすみなさい、私の初めての人。あなた様にとっての最後の人に私がなってしまったのも、これまた何かの縁。どうぞあの世であなたが遺した『チロール伯爵家の遺産』がより輝いていく様を、のんびりと眺めておいてください」
より大きく、より輝かしく、伯爵家が栄えていくことは私が保証いたしますわ。
なにせ、私の店の上得意なのですから、影ながらお支え致しますもの。
そして、私は帰路に就き、ようやく今回の騒動に区切りが付いたのを実感しながら、ハルト様の御前より引き上げましてございます。
遺産相続の後始末などと言う厄介事をこなしましたが、私はあくまで
そして、魔女であり、男爵夫人といういくつもの仮面を被る都合のいい女。
神に救いを求めて天を目指す哀れな一本の
寄る辺がなくば、伸びる事さえ出来ぬ者。
そして、今日もそれを待つ。絡み付ける大きな柱を求めて。
さてさて、次のお客様はどちらの方になるでしょうか。
~ 第1章 チロール伯爵家の遺産 終 ~
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