1-15 甘い罠

 取っ組み合う私とジルとか言う女。


 周囲は勢いや雰囲気に押されて、唖然、呆然、身も心も引いております。


 豚野郎ヨハンさまに至っては、呆けた顔で私を母を見やるばかりで、何もできないウドの大木。


 列席者も困惑するばかりで、女二人の戦いを見守るばかり。


 唯一、司祭様だけが、相も変わらず私に熱視線を向けてきます。



(ほんともう、この人は! キラッキラした視線を送る暇があるなら、仲裁に入りなさいよ、変態坊主!)



 肉体的にはまだまだ余裕でしたが、精神の方はさすがに気だるさが出てまいりました。


 今日一日でどれほど消耗した事か!



(ハルト様、お代は高くつきますよ? あなた様のとんでもない遺言状のせいで、こうまで自体がこじれたんですから、払いはたっぷり頂戴しますからね!?)



 ほんと、満ち足りた死に顔が腹立たしい限りです。


 ここでユリウス様が再び割って入り、さらにようやく従弟のディカブリオまで飛び込んで私とジルの間で壁となるように動きました。



(取っ組み合いなんて、淑女のやりようではありませんね。まあ、私は魔女ですから、その限りではありませんが、それより何より……)



 そう、私は相手の腕を掴んだ。つまり、“お肌の触れ合い”による情報収集です。


 私の魔術【淫らなる女王の眼差しヴァルタジオーネ・コンプレータ】によって、必要な情報は抜き取りました。


 会話の端々から“必要な情報を抜き出しやすい”ように、相手が脳裏に思い浮かべやすく誘導し、そして、事を成した。



(思った通りだったわ。今までは得た情報による“仮説”に過ぎなかったけど、直接本人から無理やり問い質すことによって、“仮説”が“確定情報”に変化した。あとは数日分の時間を稼げれば、全てをひっくり返す事が出来る)



 らしくもなく、取っ組み合いをやった価値はありましたね。見事に状況をひっくり返せる材料が整いました。


 もう目の前の豚と猫をどうするかは、私の手を離れた、と判断できますね。


 あとは“あの御方”のご高配に期待すると致しましょう。



「あの、ユリウス様、よろしいでしょうか?」



 一応、興奮したままの風を装い、息を荒げて質問します。


 演技を続けるのも、楽ではありませんね。



「ヌイヴェル殿、何か?」



「仮に相続の手続きが順調にいった場合、どの程度の時間がかかりましょうか?」



「そうですね……。役所各部での手続きと、あと大公陛下の承認もありますので、諸々含めて一週間ほどになります」



「そうですか。分かりました」



 手続き完了まで一週間。それだけあれば十分。


 目の前のバカ二人に地獄へ追い落とす算段は、すでに立てております。


 あとはその手続きが終わる直前に、“現実”を突き付けれやれば良いのです。


 ああ、今からこの二人、いえ、“三人”の顔がこれ以上に無い程に歪むのを拝むのが楽しみで仕方がありませんわ。


 まあ、今は“その時”が来るまで大人しくしているつもりですし、それまでは相手を安心させておきましょうかと、私は豚と猫の前に改めて立ちました。



「御二方、こちらから提案があるのですが、よろしいでしょうか?」



「ふん! 魔女が提案できる立場だと思っているのか!?」



「いえいえ、そちらにとって良い提案でございますよ、ヨハン様。なぜなら、こちらが提示する条件を飲んでいただければ、私は遺産の相続放棄をいたしますので」



「相続放棄ですって!?」



 ほら、食い付いた。単純極まりない。


 二人揃ってそんな目をキラキラさせて、みっともない事この上なし。


 そんな事では、どの道、魑魅魍魎の跋扈する社交界では長生きできませんよ。


 その辺りの処世術や交渉力がないのが丸分かりですわ。



「で、その条件って何よ!?」



「条件は二つ。一つは、私は遺言状によって相続人の一人に指名されておりますので、相続に関する事を見届ける義務がございます。例え、相続放棄すると宣言したとしてもね。ですから、相続の最終確認の手続きに際しては、必ず私の臨席の下で行っていただきます。もちろん、その場で相続放棄に関する書類等に署名捺印いたしますので、その点はご安心ください。必ず“伯爵家の正統な後継者”に私が相続する分もお渡しいたします」



 まあ、その“伯爵家の正統な後継者”が誰なのかは、知りませんけどね。


 継承権をお持ちの方は、何もヨハン様だけではないのですよ。


 その辺りは“御身内”でお話し合いくださいませ。



「まあ、妥当と言えば妥当な条件ね。もう一つの条件は?」



「相続放棄に関する諸手続きの経費として、金貨百枚をお支払いください。これが二つ目の条件でございます」



 決して安い額ではありません。中流くらいの庶民の三年分相当の収入ですからね。


 事務手続きの費用としては高い。


 しかし、比較対象が“チロール伯爵家の遺産”の半分であると、むしろ端金はしたがね


 金貨にして、万枚は余裕で超える内の百枚ですから、破格も破格。


 飲まざるを得ない条件。


 さあ、どうなさいますか、お二人さん?



「……あなた、何が狙いなの?」



「狙いも何も、今回の相続に関して言えば、完全に寝耳に水なお話なのです。うっかり取り過ぎて、あちこちから妬まれるのはごめんなのですわ。私の財布には重過ぎる額ですしね、伯爵家の遺産なんて」



「本当にそうなの?」



「むしろ、大変なのは、相続を放棄する私よりも、相続権を持つ人達と“お話合い”しないといけないお二人の方なんですよ? 遺書にも記されているように、財産を受け取るのは“伯爵家の後継者”なんですから。そして、その後継者のお名前は記されていません。私は相続人としての立場を失う代わりに、その面倒臭い話し合いから解放される上に、金貨百枚と言うおこづかい・・・・・までいただけるのですから、むしろ気が楽なんですよ」



 まあ、せいぜい頑張ってください。誰がその後継者の座に腰かけようが、私の知った事じゃないですから。


 いただく物をいただいて、さっさと退散する。


 あまり欲を突っ張らない事が、社交界このせかいで長生きする秘訣ですよ。


 それを学び取れる時間があれば、ですけどね。



「……いいわ。その条件、受け入れましょう」



「母上、よろしいのですか!?」



「伯爵家の財産を考えれば、金貨百枚で引き下がってくれるのであれば安いものです。むしろ、この魔女の言う通り、他の一族との調整の方が重要」



 まあ、当然ながらその考えに行きつきますよね。


 そうなるように、わざとらしく口に出して思考誘導・・・・したのですから。



(これでこちらも動きやすくなった。一週間分の時間、有効利用させてもらうわね)



 お二人とも、魔女の二枚舌を信用なさってはいけませんことよ。



「という事で、ユリウス様、このように両者の間で取り決めがなされたわけですが、あなた様が証人となり、そのように話を進めていただいて宜しいでしょうか?」



「まあ、それで良いなら、役所での手続きは行っておこう。大公閣下からの承認も、私が責任を持ってお伺いを立てておく」



「はい、ありがとうございました。では、よろしくお願いいたしますね」



 これにて“表向き”は一件落着。


 私が相続を放棄して、伯爵家の遺産は伯爵家の“誰か”が受け取る事になるでしょう。


 ですが、この場にたった一人だけ、そうは考えていない者がおります。


 従弟のディカブリオでございます。


 何しろ、私の“裏仕事”の件を知っている数少ない人物ですからね。


 ゆえに顔に書いてありますよ。



「姉上、また何かをやらかすおつもりですな」



 ええ、その通りでございます。


 また、派手にやらかしますとも♪

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