1-14 魔女の挑発

「そんなもの、納得できないわ!」



 まだ聞き分けの無い者がおりました。ヨハン様の生母ジルでございます。


 息子の方は官職持ちのユリウス様の説得を受けて、渋々ながらも引きつつあるというのにこの女ときたら!


 ほんと、人としても、女官としても、最悪の部類です。


 空気の読めないのもいただけませんが、女官として上流階級の流儀や作法の心得までないご様子。


 本当に“泥棒猫”なのでございますね。



(まあ、順当に事が運んでいれば、ハルト様の唯一の直系男子である息子のヨハン様に家督や財産が渡りましたからね。当然、生母である自分もそれに浴する事が出来る。それが目の前で崩壊しつつあるのですから、長年の“苦労”も無駄になりかねない。取り乱すのも無理ないですわね)



 と言っても、同情は一切ない。


 そもそもの原因として、この無礼な女官が子供を産んだのが問題なのでございますから。


 もし、ハルト様に子がなかった場合、おそらくは一族の誰かを後継に指名して、そちらの方が次期当主となったでありましょう。


 実際、六十手前まで子供が生まれなかったのですから、自分こそが次期当主だと考えていた身内もおりましょう。


 それがパッと出の女官が孕み、まんまと男児を出産して、描いていた未来図が書き換えられたのです。


 フフフ、今この場にいらっしゃる一族の顔を見ても、まだ相続に与れる機はあると、考えているようなご様子。


 ユリウス様のご指摘通り、誰が相続すべきかを、遺書には書き記されていませんからね。


 あくまで書いてあるのは、次期当主が財産を相続する事ですから



(しかし、直系男児である以上、ヨハン様が最有力候補である事には変わらない。であれば、これを崩して、当主の資格なしと一族を納得させればよいですわね。その上で私が相続を放棄すれば、まあ新当主との関係修復にはなりましょう)



 放蕩息子の醜聞なんていくらでも転がっているでしょうし、生母ジルもこの体たらくでは、人望の類も一切ないはず。


 これを崩すくらいわけないですが、それでもなお“血”は重い。


 “直系男児”という金看板は、なかなか崩す事が難しいと言わざるを得ない。 


 まずはそこを崩すのが常道ですわね。



「まあ、お気持ちが分かると言うものですわ、ジルさん。折角主君のお手付きとなり、運よく“命中”して子を成したというのに、実りがないのはね~」



 我ながら、随分とあくどい顔をしている事でありましょう。


 何しろ、今の私は“魔女”ですからね~。


 女一人挑発して、怒り狂わせるなど訳はない。


 ああ、普段すまし顔で威張り散らしている者をおちょくるのは、何と清々しい事でありましょうか。


 まあ、これもハルト様からの依頼でありますし、後ろめたさも一切なし。


 それはそれで面白いお仕事でありますわ。



「ええい、うるさいわね、魔女が! 下賤な者が伯爵家の事に口を出すなんて!」



「あ~ら、下賤な者というのであれば、。あなたがそうではありませんか? おおかた、ド田舎の“おのぼり”娘が、運よく伯爵家で働き口を見つけて、しかも半ば強引に老齢の君主とまぐわい、財を掠め取ったのですから。まさに今の私と一緒!」



「へ、変な事言わないでよ!」



「事実を指摘したまでですわ。分かりましたか、泥棒猫さん♪」



 ああ、たっぷりと言い返してやりました。


 気に食わないバカをおちょくるのは、最高に楽しいですわ。


 見てくださいな、あの怒りでプルプル震える顔や腕を!


 まさに気分爽快ですわ。



「一緒にするな、魔女め! 私はちゃんと子を産んだし、卑猥な術で男を篭絡するしか能の無い“魔女娼婦プッターナ・ステレーガ”と違って、ちゃんを実を結んだわよ!」



「結んだ実が豚ではね~。ちゃんと貴人を……、せめて人間を産み落として欲しかったですわ」



「どこまで無礼なのよ! とにかく、あんたの相続なんか認めないから! 銅貨一枚だって譲らないわよ!」



「譲るも何も、あなたにその権限はないですわよ。なにより、遺書に記されていた名前は、“ジル”ではなく“ヌイヴェル”である点をお忘れなく。……ああ、そう言えば、ハルト様も嘆いていましたわね。最近、あなた様にお夜伽を求められて、断られたって! そりゃ親身になって老体をいたわる方を選びますわよ」



 最後の最後で詰めを誤りましたねと、これ以上に無い罵声を浴びせてやりました。


 伯爵家の方々のみならず、他の参列者からも唖然とするような視線が私に向けられております。


 ああ、これがまた良い。魔女の魔女たる所以は、魔術の行使に非ず!


 その嫌われっぷりにありますから。


 もっとも、それを飛び越えて親しくなろうという方が多いのも事実。


 それを見抜けるからこその、魔女の友人であり、あるいは上客なのですよ。



(が、それが見抜けないからこそ、バカなんですよ! おのぼり・・・・娘の頃からの気質が変わっていない、単なる世間知らずの無知蒙昧な輩!)



 気勢を上げながら私に掴みかかって来るのがいい例ですわ。


 ジルとか言う女が、私の首元目がけて掴みかかりますが、そこは手早く両手を繰り出し、相手の手首を掴みました。


 公衆の面前で女同士が取っ組み合いの喧嘩など、下品極まりない。


 お上品な“男爵夫人”の私には、実に似つかわしくないですわ。



「いや~、お止めいただけませんか、ジルさん。女同士の取っ組み合いの喧嘩なんぞ、下町のメスガキではございませんか。いい歳した淑女のやり様ではありませんね!」



「あんたがいなけりゃ!」



「別に焦る事、何一つないではありませんか。ハルト様の直系男児の母親なんですから、ドンと構えて余裕の態度を見せていればよろしい。他に兄弟もいらっしゃいませんし、ヨハン様が家督を継がれる可能性は高いのですから」



「ああ、ムカつく! この娼婦風情が! 淫蕩な魔女が! 私の邪魔すんな!」



 私の首を絞めようとするジル、その手首を掴んでさせまいとする私。


 互いにプルプル震える腕でございますが、私には余裕があります。


 おバカですね~。高座にふんぞり返ってあ~しろこ~しろと命じるだけのあなたと、美を損なわない加減で体を鍛えている私とでは、腕にこもる力と意志が違います。


 なにより、これで完遂。挑発に乗って踏み込んできて、私に腕を掴ませましたね・・・・・・・・



(我が秘術【淫らなる女王の眼差しヴァルタジオーネ・コンプレータ】からは、決して逃れられませんよ!)



 術の発動を同時に流れ込んでくる女の記憶の数々。


 ああ、なんという醜悪な姿でありましょうか!


 ハルト様の仰る通り、この女には貴人に相応しき振る舞いの一切を見出す事が出来ません!


 人を顎で使い、面倒事は全て他人に丸投げ!


 ろくに文字すら読み書きできず、ゆえに書物からも知識を仕入れることができない無能!


 ただ“子を孕んだ”というだけ、“息子を産んだ”というだけで、まるで女王気取り!



(見るに堪えない記憶だわ。でも、これで一つ外堀が埋まった。見えている人々のうんざりとした顔は、ハルト様のそれを覗き込んだ時と変わりなし! 苛立ちと、それ以上の蔑みを以て、家中の人々はこの女を見ている!)



 人望の欠片、一切なし!


 ゆえに、“処分”しても特に問題がないという事!


 目の前の取っ組み合う女が、私の中で“処刑”が決まった瞬間でもありました。


 ああ、この女を火炙りにするのが実に楽しみですわ♪

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