1-12 魔女、動く
前に進み出た私を待ち受けていたのは、当然のごとく罵声の嵐でございました。
「この魔女めが! 亡き御当主様を
「ハルト様に甘言を弄して、遺書を無理やり書かせたに決まっている!」
「五体満足で帰れると思うなよ! 魔女らしく火炙りだ!」
困ったものです。私は完全に巻き込まれた口なのですけどね。
別に伯爵家のお財布に手を出す気など毛頭なく、むしろ厄介事を押し付けられたのですから。
あなた方の真ん中にいる肥えた“豚”に掣肘を加える。ハルト様からの御依頼でございますよ。
まあ、引き受けたくもないお仕事ですけどね。
こうも敵意剥き出しで来られると、交渉の余地などなさそうでございます。
こちらとしても、面倒な仕事をやらされるよりかは、さっさと相続放棄でもして、素知らぬ顔を決めたいのですから。
伯爵家の遺産には興味はなくとも、ヌイヴェルと言う一人の女としての矜持が、売られた喧嘩を買えと頭の中で響いております。
財産目当てではなく、掣肘を加えてギャフンと言わせる。そちらの方に比重が動いているのを感じている次第です。
(いいでしょう。やはり、やってやりますか。
私もいよいよ臨戦態勢。貴婦人を装うための優雅さをポイと放り投げ、“魔女”としての“下品さ”を前面に出して差し上げましょうか。
「雁首揃えて、グダグダうるさい事ですわね。女一人相手に恥ずかしいとはお思いになりませんか?」
「黙れ、黙れ! 魔女ごときが出しゃばりやがって!」
そして出てくる、歩く肉の塊。ハルト様のご子息ヨハン様です。
まあ、本当によく肥えた豚さんだこと。歩くたびに、顎や頬の弛んだ肉がたぷんたぷん動いていますよ。
これはちゃんと引きしてめて差し上げないといけませんわね。
「すいませ~ん。どなたか豚語に心得のある御方はいらっしゃいませんか? 私、ブヒブヒ話されても理解できませんので」
「ぶ、無礼な!」
「無礼も何も、豚に豚と言っただけでございますわよ。それにいつから“豚”が伯爵などと名乗れるようになったのかしらね? 貴族というのはもっとこう、優雅で洗練された気高き御仁のはず。食い散らかすだけの存在は、豚以外の何だと仰られるのか、是非ご教授願いたいものですわ」
これ以上に無い相手を逆上させる台詞。
実際、顔を真っ赤にしてお怒りなのは一目瞭然。
まるで茹でた豚のように真っ赤になっていますわよ。
そして、また揺れるたぷんたぷんのお肉。顎から零れ落ちないものかと、ひやひやものですわね、あの揺れ方は。
「魔女風情が! 無礼も大概にしなさい!」
そして、出てくる一人の女性。こちらはハルト様の生母、名はジルとか言いましたか。
伯爵家に仕える女官で、以前ハルト様のお手付きとなり、その際にヨハン様を身籠ったとお聞きしております。
妾の腹から生まれたとはいえ、六十手前でようやく授かった子供ですからね。ハルト様が“豚”と“泥棒猫”に大甘になってしまうのも無理からぬ事。
(さて、逆転の一手はすでに頭の中にある。後はそこまで一手一手、詰めていけば良いだけ。盤面の駒を動かし、
と言っても慢心は致しませぬ。獅子はウサギを狩るのにも全力を尽くすものですからね。
本日の獲物は“豚”でございますし、それはそれとして食べ応えはあるのかもしれません。
そして、戦を始める前にまずは
いや、本当にムカつくくらいに安らかな顔で棺の中でお休みになられて、本当に腹立たしいものです。
ここ最近、何度も
肉の弛んだ新当主が相手とは言え、伯爵家とやり合えと言う事でございますからね。
娼婦としてではなく、魔女として、ご依頼お引き受けしますと会釈。
それが合戦の合図にございます。
(では、ハルト様、ご依頼のお仕事、始めさせていただきますね。無論、それはあなた様の望んだ結果であるとは限りませんが、すでに支払いを終え、契約が交わされた以上、それは“絶対”であります。お婆様ほどではありませんが、魔女の後釜である私ヌイヴェル=イノテア=デ=ファルスのお手並み、とくとご覧あれ)
商売人にとって、契約とは神聖不可侵。決して破る事も、あるいは破らせる事もあってはならない。
それが祖母の教えであり、長らく商家として営んでまいりましたイノテア家の矜持にございます。
さあ、魔女の宴の始まりでございますわよ!
豚と猫にぎゃふんと言わせて差し上げましょう!
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