1-11 開封されし遺書
そうこうしておりますと、壇上に一人の男が上がって参りました。
チロール伯爵家の新任の執事であり、参列の芳名帳のところで案内や挨拶をしておりました。
眠る主人に頭を下げ、次に列席者にお辞儀をして、壇上にあった机に何やら厳重に封印されている箱を置きました。
「え~、御列席の皆様、本日はチロール伯爵家当主ハルト=ドウラ=デ=チロールのお見送りにお越しいただき、私では僭越でございますが、心よりお礼申し上げます。我が主も皆様に見送られ、安らぎと安堵の内に天へと召された事でございましょう」
閉めの挨拶としては可もなく不可もなく。ありきたりな文言でございますわね。
早く切り上げて、この欲望という名の“腐臭”漂う場所とはおさらばしたいものです。
しかし、そんな私の思いとは裏腹に、あっさりと裏切って来ました。
「それで異例ではありますが、主君よりの遺言により、葬儀の席にて、遺書を公開せよと指示を受けておりますので、この場にて開封させていただきます」
おや、意外な展開が。
遺書の開封となると、これは相続の問題になるのが常。
一族の揃う中で開封するのが常でありますのに、血縁でない部外者が大勢いる中で開封するとは、あの御老人、何か妙な事を考えておりそうですね。
(あ~、あれかしら? あの放蕩息子に掣肘を加えるとか煽った件、もしかしたらその仕掛けかも……。はてさて何が飛び出すやら)
周囲も意外な展開にざわつき、例の放蕩息子やその生母も「聞いてないよ!?」と言わんばかりの驚いた表情になっております。
良いぞ良いぞ、もっと困らせてやりなさい。
生前出来なかった掣肘を、どのような形で打ち込むのか、興味はありますわね。
そんなこんなで、執事は厳重に封印されていた箱を開け、中から遺言状と思しき封書を取り出しました。
そして、封書の中から手紙を取り出し、それを開くと、執事が目を丸くして驚きました。
余程の事が書かれていたのでしょう。
「ねえ、さっさと読み上げなさいよ!」
焦れた放蕩息子の生母、名はジルと申しましたか。その女性が急かして叫びました。
まあ、遺言状の中身次第で今後の運命が決するようなものですし、気持ちは分からないではありません。
若干取り乱し気味であった執事も、ジル婦人の声で正気に戻り、わざとらしく咳払いを入れ、勿体ぶる様に手紙の中身を読み上げました。
そして、それは『チロール伯爵家の遺産』をとんでもない方向に吹っ飛ばすに十分すぎる威力をもたらしました。
曰く!
「我が伯爵家の財産は次期伯爵家当主と、我が
私が伯爵家の財産を掠め取る泥棒猫になった、いえ、
ハルト様が遺された遺言状、それは嵐を引き起こすのに十分すぎる内容でした。
威力は絶大!
息子に遺産を相続するのは当然にしても、パッと出の愛人(普通に娼婦と客の関係)と
しかも、他の一族、縁者には一切の言及なし。
そして、私に突き刺さる目、目、目。
(まあ、当然と言えば当然だわ。完全に悪役だもの、私。
いやまあ、確かに金子はいただきましたが、それはあくまで
全て込々の料金でございますから。
意図的な物損や娼婦への過ぎたる“おいた”が発生した場合は別ですが。
「姉上、これはどういうことで!?」
隣に立っていた
ただ、伯爵家一門の視線を遮るようにサッと立ち塞がる姿勢は、相変わらずの姉上至上主義ですわね。
嬉しくはありますが、あまり矢面に立ってはダメですよ。
あなたまで目を付けられてしまいますからね。
間もなく生まれる子供のためにも、嫁や一門のためにも、下手に騒動に首を突っ込まぬ方が良い。
「どうもこうもないのう。あの御老人め、まんまと
そう言って、私はディカブリオを退け、前へと進み出ました。
もちろんその足取りは重いですわよ。
これからの面倒事を考えますと、正直頭痛がしてきます。
(最後の最後で、とんでもない置き土産! それも嬉しくない部類のやつ! とんだ
四方八方から注がれる視線が痛いのは、まあ許容しましょう。それだけの面倒事が現在進行形で起こっているのですから。
ただ、物理的に痛いのは勘弁願いたいですわ。
例えば、拷問とか、拷問とか、拷問とか。
白い肌が傷物になってしまっては、商売に差し障りますからね。
(放蕩息子に掣肘を加えろとは申しましたが、まさかその役目を血縁でもない私に回して来ますか!? 早く帰りたい。でも、帰れない)
無言で立ち去るのは論外。
戦場において、敵に後ろを晒すのは悪手の中の悪手。
背中から刺せと言っているようなものです。
ならば、一旦敵陣に斬り込み、相手の行き足を殺してから下がるのが定石。
ゆえに、私は前に出ます。
(問題があるとすれば、こちらにある手元の材料で、相手の敵意を削ぎ切れるかどうか、という点でしょうかね。沈黙は死……。雄弁でもほどほどでないと恨みを買って終了! そうなれば、屍を晒すは必定! 難しい舵取りですわね)
参列者をかき分け、壇上に進みながらも、急速に状況整理と、打開のための策を構築していきます。
優雅に、それでいてゆったりと、自信に溢れ、臆する素振りは一切見せない。
見せては全てが台無しです。
なぜなら、今の私は、冷徹で、冷酷な、血の通わぬ“魔女”なのですから。
(“娼婦”として歓待し、“魔女”として治癒を施し、“男爵夫人”としてお見送りするも、最後の最後で選んだのは“魔女”ですか。ハルト様も、平和的な解決をお望みではないという事でしょうかね)
とまあ、言っても詮無い話です。
その依頼主は棺桶の中でお休み中ですから、文句も言えません。
精々、後で憂さ晴らしにハゲ散らかした後頭部に“
(半分とは言え、伯爵家の財産など、私の財布には重過ぎる。行き過ぎた富の偏在は人々からの憎悪を産むし、精々僅かばかりの手間賃を差っ引いて、伯爵家にお返しするのがいいでしょうね。もちろん、相続問題が解決し、私の体が、もしくは“放蕩息子”のそれが無事ならば、という前提ですが)
状況は悪い。
なにしろ、指をパチンと鳴らされれて、衛兵に斬らせればそれで片の付く話。
“庶民”の女の命など、お貴族様からすれば、安いものでしょうしね。
“男爵夫人”の肩書も仮初のものであって、本来の私の看板ではない。あくまで自称であり、
(まあ、それが分かっているからこそ、ハルト様は身内だけの集まりの中で遺書開封という事はさせず、大勢の前で開封させたのでしょう。ここで私を斬るには、いくらなんでも人目が有り過ぎる。とぼけた顔をして、考える事は考えてらっしゃったご様子。手間賃、高くつきますよ)
私も壇上に上がる頃には、すっかりやる気モードに切り替わっておりました。
“男爵夫人”の仮面を外し、今や“魔女”の仮面を身につけてございます。
さて、久方ぶりに“全力”を出すとしますか。
あらゆる手段を用い、あの醜く弛んだ肉の塊に、掣肘を加えてやるとしましょう。
お覚悟なさいませ、新たなるチロール伯爵ヨハン様。
“魔女”の私は“娼婦”の時ほど、甘くはございませんわよ。
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