1-9 寂しい別れ

 あの日以来、ハルト様は度々店に足を運ばれるようになりました。


 おおよそ、一週間か、十日に一度くらいの頻度でございますね。


 店に足を運んでは、放蕩息子や家中の揉め事について愚痴をこぼしては酒で喉を潤し、邪気を出すだけ出したら、そのまま床入り。


 もちろん、私を抱き枕にするために。


 僅かにたぎる情欲を熱量の切り替えては体を温め、その翌朝は強張る筋肉を按摩あんまほぐし、朝日と共に帰路につく。


 あの日と同じ工程を、幾度となく繰り返されました。



「ジルに同じことを頼んでみたのだが、にべもなく断られた。今やワシにとっての安らぎはこの部屋の中だけなのじゃよ」



 幾度目かの訪問の際、ハルト様の口より、このような言葉が漏れ出ました。


 ちなみに、“ジル”というのは、件の放蕩息子を産んだ女官の事です。


 ハルト様の奥方様が亡くなってから、傍若無人な振る舞いが一層見られるようになり、家中の空気が益々澱んできているのだとか。


 しかも、口には出さないものの、早く息子に全部譲ってしまえという雰囲気が、如実に出てきているのだそうです。


 生きる希望はこの部屋の中だけであり、魔女殿だけが頼りだと泣き付かれる始末。


 その都度、あやしているのですが、なんともいたたまれません。



(いやまあ、全ての原因はハルト様、あなたに起因しているのですよ。うっかり女官に手を出さねば、放蕩息子で悩む事もなく、その生母に振り回される事もなかったのですよ。そうでなくとも、養育をしっかりしていれば、放蕩者になる事もなかったのですからね)



 言いたい事は色々とありますし、喉まで出かかったりもしましたが、そこはグッと堪えました。


 安らぎを求めて魔女わたしの住処に足を運んでいるわけですから、それに応えない訳にはいきません。


 対価を受け取った以上、報酬に対して誠心誠意お仕えするのがお仕事ですからね。



(とはいえ、掣肘を加えろと煽ってみたものの、一切の効果なし。やはり、家中を立て直すのには、気力も体力も足りませんか)



 寝入る老人の横顔を見ながら、家も、この方も、もう長くはないなと感じてしまいました。


 もちろん、そこで関係は打ち止めでございます。


 その日が来るまで老人から金子を搾り取り、それできれいサッパリさようなら。


 他家の揉め事に首を突っ込む気など、更々ございませんよ。


 面倒臭い上に、命に係わりますからね。


 金、土地、宝石、そして芸術品、相続される遺産は数知れず。財豊かな伯爵家なのですから、相当な量になるはずです。


 ですが、放蕩息子とその母が全部持って行き、食い潰してしまう事でしょう。


 嗚呼、哀れ! この老人の“生”は何であったのか?


 そう思わずにはいられません。


 そんなこんなで幾度かハルト様をお出迎えしては、ご満足いただけるように奉仕し、そして、お見送り。


 それを幾度か繰り返しておりますと、とうとうその日がやって来ました。


 そう、ハルト様がお亡くなりになったのでございます。


 普段は御貴族様の訃報などと言うものは、娼婦の耳にはなかなか入っては来ませんし、偶然耳にする場合もずいぶん遅くなるものですが、今回は別です。


 馴染みの客でありましたし、知らせておいた方がいいだろうと、リグル男爵ユリウス様が店でお会いした際に知らせてきたので参ります。


 そして、話を聞いた翌日に葬儀があると聞き、実際に葬式への招待状も届けられましたので、それに参列する事を決めました。


 娼婦が馴染み客の葬儀に出るなど、先方の家中の者から何を言われるか分かったものではありませんが、それでも出ると決めましたのは、一種の“ケジメ”だと考えればこそです。


 お節介ながら、「息子に掣肘を加えましょう」等と煽った手前、どういう状況になったのかを見ておかねばならないと考えたのでございます。


 まあ、魔女として面罵を受ける可能性もありましたが、それは甘んじてお受けいたしましょう。


 いつもの事ですから、慣れっこでございますよ。


 そして、葬儀に参列する際は、“娼婦”でも“魔女”でもなく、“男爵夫人”として出ればいいのです。


 そのための貴婦人の仮面なのですから。


 さて、そうと決まれば準備だ、急げと忙しなく動き始めたのでございますが、葬儀の席で想定をはるかに上回る大事になろうとは、この時は考えてもいませんでした。


 よもや“あの御方”まで動かれる事態になろうとは、人生とはかくも波乱に満ちているなと、後に従弟いとこに述懐したものでございます。

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