1-8 魔女の褥

「ヴェル姉様、あの御老人に何かやりました?」



「ん~?」



 お互いのお客様をお見送りし、控室で朝食後のひととき、ジュリエッタが不思議そうに尋ねてまいりました。


 ああ、豆茶カッファが美味しい。良い豆が手に入ったので、一緒に飲んでおりますが、舌を通じて全身に伝わる苦みが、目を覚まさせてくれますね。



「いや、何と言いますか、昨日、ちらりと姿を拝見しましたが、本当に枯れた老木という印象でした。ところが、先程見たときには、随分と生命力に満たされているという印象をに変わっていました」



「まあ、そうでしょうね。昨夜は“娼婦”としてではなく、“魔女”として床を同じくしたゆえに」



「あ、何かの魔術でしたか。さすがはヴェル姉様! 国一番の性悪にして、魔術の使い手だと評判なだけはありますわ!」



めてるのか、けなしているのか、どちらなのかしらね~」



 まあ、ジュリエッタに限らず、親しい者は魔女である事をいつも茶化して来ます。


 もっとも、私の魔術はその大半が“偽物”ですけどね。話術と詐術で、魔術であるかのように誤解させる事こそ、私の魔術なのですから。



「いい、ジュリエッタ? 娼婦と言うのは、殿方から搾り取る・・・・のがお仕事ですが、それだけでは芸がありません。熱き白汐しらじおを、悦と享のうちにほとばしらせるのは当然としても、時には捧げるという事も必要だという事です」



「まあ、あの御老体では、出るものも出そうにありませんからね」



「それゆえ、昨夜は秘術【処女同衾の呪アヴィシャ・シュネム】を用いたのよ」



 途端に、ジュリエッタが豆茶カッファを吹き出し、むせ始めました。


 そんなに今のが面白かったのか?



「ヴェル姉様、それは無理があります! 姉様は処女でありましたか!?」



「そんな訳なかろう。私は娼婦として二十年近く勤め上げているのですよ。それで処女なら、とんだ怪物ですね」



「ですよね!? 何ゆえ処女を主張なさるのか、分かりかねたものですから」



 まあ、気持ちが分からんでもない。三十代半ばの歴戦の娼婦が「私は処女です」では、何の冗談かと思うのが普通です。


 “処女”などと言う価値の無いものは、とうの昔に捨てておりますよ。



「まあ、分かりやすく説明すると、これは古代の王様に用いられた呪法なのよ」



「へ~、古代のおまじないなのですか」



「ええ。その昔、老いたる王が病を得て、凍える寒さの内に震えていた。服を何枚着ようと、決して温もりを得ることができなかった。日の昇っている内は良かったのだけれども、夜を迎えると一層凍えてしまい、まともに眠る事すらできなくなってしまった」



「うへぇ~。そりゃ大変。健康によろしくないですわね」



「ええ、その通り。病を得る前は聡明で闊達な名君であったのが、みるみる内に老いさらばえてしまったそうです」



 そう、私も昨夜見ましたからね。


 ハルト様のお姿と言えば、元気であった頃のもの。昨日お会いした時は、別人かと思ったほどです。


 “老い”という病は、それほどまでに恐ろしく、逃れられぬものなのですから。



「そんな王様を見かねて、家臣の一人がこう述べたのだそうです。『若い娘と同衾なさいませ。女子を抱けば、かつての力を取り戻せます』と」



「いやいやいや、ご老体に若い娘を当てがったって、逆に干からびるだけでは!?」



「いいえ、そうではないのですよ。娘は抱けども、精の活力を外に出さなければどうなると思いますか?」



「……あ。活力が体内を循環し、熱き白汐が溢れんばかり溶岩のごとく内にこもる。それが熱量を生み出す源になる、という事ですか!?」



「そういう事! 外に出せは力を削がれる精の活力も、溜め込んでしまえば欲望として渦巻き、それが熱量に切り替わるというわけです。老王は温かい“抱き枕”を得て、介抱したというわけです」



「あ~、なるほど。ヴェル姉様は同じ事をやったというわけですね!?」



「それが【処女同衾の呪アヴィシャ・シュネム】という魔術のからくりです」



 そう、なんのことはない。要は、老年により低下しやすい体温を、文字通りの意味で“人肌で温めた”までの事。


 下がった体温を人肌で温め、元の健康体の体温に戻してやれば、身体の調子が良くなるのは必然。


 老いてしぼんだとは言え、僅かばかりに残った“スケベ心”もちょうどいい塩梅です。


 白汐を出さずに体内で循環させれば、それは熱量となって籠る。


 私が昨夜、ハルト様に施したのは、そんな単純極まる魔術なのですから。



「ですが、ジュリエッタ。この呪法は多用してはなりませんよ」



「なぜですか?」



「恐ろしく体に負担のかかる魔術であるからです。先程の老王の話ですが、呪法を用いて活力を取り戻したものの、結局は二年ほどでお亡くなりになられました。まあ、死の数日前までは割と元気でしたそうですが」



「呪法、ちゃんと効果あったんですね」



「ですが、呪法である以上、時にそれは“呪詛返し”にも通じます。老王は呪法を用いて活力を得ましたが、肝心の“衰弱”はどこへ向かうと思いますか?」



「……ああ、その呪いは同衾していた娘さんに行きますね!?」



「そういう事です。その同衾していた生娘は、十七の時に王の側女となり、毎晩同衾していました。そして、王が亡くなってから実家に戻りましたが、久方ぶりに家族と再会すると、家族全員が驚いたそうです」



「呪詛返しで何かあったのですか?」



「ええ。何しろ、帰ってきた娘は四十手前には見える程になっていたのですから」



「うえぇぇぇ!? だって、十七から二年間って事は、実家に戻った時は十九って事ですよね!? 実年齢の倍は老けたって事ですか!?」



 驚きあきれるジュリエッタですが、まあ、当然の反応ですわね。


 要は、毎日“氷”を抱いて寝ているのですから、娘の体内から活力が吸い上げられるのは当然の事。


 老王の活力の代わりに、娘から若さを奪ったというわけです。


 ほんと、多用する魔術ではありませんわね、これは。



「ヴェル姉様、そんな魔術を用いて大丈夫なのですか!?」



「毎晩と言うわけではありませんから、大丈夫ですよ。王の命に従わなくてはならない側女コンコビーナと違い、私は高級娼婦コルティジャーナですからね。毎夜の夜伽を命じるには、無限に等しい金子が必要」



「たまに、ならよいと?」



「然り。よい金づるだとは思いませんか?」



 ここでジュリエッタが腹を抱えて大爆笑。


 いささかはしたない姿ではありますが、お客様の前でなければ咎めたりしません。



「クフフ! これだから、ヴェル姉様は“魔女”なんですよ!」



「最高の賛辞ですわね」



 そして、少し冷めた豆茶カッファを飲み干し、朝のひとときを終えました。


 ハルト様、どうぞまたお越しくださいね。


 精は搾りませぬが、金子は絞らせていただきますゆえ。


 いつでもお越しをお待ちしておりますわ♪

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