47. 売られた喧嘩は魔女も買う


 やられた。シュヒアルもラギスも、そしてイヴァラディジですらそう思った。形式だけ見れば魔法の行使ではあるが、これは魔法陣を使った誘拐だ。

もしも屋敷内に予め陣が置かれていれば、事前に察知出来ただろう。例えばの話だが、魔力を宿さない只人が魔石を用いて、魔法陣を展開したとする。その場合発動の予兆はなく、魔物であっても探知出来ない。


 俯いたまま顔を上げないタスラと、それを気遣うように寄り添うキサラ。魔法を扱う生物が、三者とも出し抜かれたのだ。


 また、妖精種であるタスラやシーラも「予兆」を感じ取れなかったことを踏まえると、さながらこれは「回避不能の術式展開」である。


 魔物たちがそれぞれ目線を動かし室内を見渡す中、タスラは弱々しく呟いた。


「シーラが、消えちゃった」


 目の前で。


 キサラは、タスラの震える体を抱き締めた。そうしている内、自分の顔から血の気が引いていくことを自覚する。

噂は現実になったのだと誰もが理解した。それも、最悪の形で。


「捜索の手配は既に終えています。情報は常に共有すると、お約束致しますわ」


 パドギリア子爵夫人は僅かに目を伏せた。他領貴族への情報共有など、先のシュヒアルが示した通り、異例の事態だ。破格の待遇と言って良い。

とにかくまずはタスラを落ち着けるべきだと、夫人はマリーナに「お茶を」指示した。そして自らは、「新たな警備体制について確認して参ります」と退室して行く。


「タスラくん。シーラちゃんが『消えた』とき、タスラくんもその場に居たのよね?」

「うん。どうして、僕が無事で、シーラだけ」

「責めているわけではないのよ。タスラくんが無事な理由がわかれば、対策の立てようが」


 あるわ。と続くはずだったシュヒアルの言葉に、悲鳴が被さった。廊下から聞こえて来たのは、今客室を出て行った夫人のものである。しきりに「マリーナ」と叫ぶ声が続く。


「まさか、マリーナもなの?」


 シュヒアルはラギスに目を向けた。ラギスは目礼で「魔法陣が展開された」ことを示す。対してイヴァラディジは、一人獰猛な笑みを浮かべていた。


「あ。ねぇ、タスラくん。シーラちゃんが消えた時、彼女鞄は持っていたかしら」

「鞄? 持って居なかったと思う。ほら、あそこに置いてある」

「だとするとシーラちゃんが消えてタスラくんだけが残ったのは、ただの偶然でも怖い話でもないわね」

「何かわかったの?」


 縋るように見上げて来るタスラに向け、シュヒアルは指を一本ずつ立てながら要点を挙げる。

一、対象が明らかに選別されていること。二、警戒心が強く、身体能力が高い半成が逃げられなかったこと。三、侵入が困難な場所ですら、瞬く間に連れ去ってみせたこと。


「誘拐方法はまず間違いなく“魔法陣”の行使よ。そしてタスラくんが無事だった理由は、その鞄」

「鞄?」

「正確に言うと、中身の方ね」


 わからないのは目的だ。いくら半成が「奴隷として高値で売買される」とはいえ、魔法陣を持ち出すのは割に合わない。例えば半成を十数人程確保したとしても、入るであろう利益に対して出費の方がはるかに大きい。


 そういった事情から「通常の警備」で事足りると思ってしまったわけだが。シュヒアルは苛立ちを隠すために、扇子で口元を覆った。


「夫人にもお話を伺いましょう」


 シュヒアルは廊下へ出ると、取り乱す夫人の手を取った。


「ご協力いただけるかしら」

「ええ、ええ、勿論です。あの子が戻って来るのなら私、何でも致します。どうか、どうか、あの子を、魔女様」

「落ち着いてくださいまし。まずは何をご覧になったのかワタクシに教えてくださいな」

「ええ、ええ、そうですわね。マリーナと話をしていたら、突然、目の前から消えてしまって……!」


 夫人によると、マリーナが消えたのは廊下である。客室から出てたった数歩程度の距離だ。当時使用人たちは、パドギリア子爵の指示が一度に通るよう、広間に集められていた。そのため、マリーナが消えた瞬間を目撃したのは、夫人だけなのだ。


「不審な物音は無し、人影すらなかった、と」

「マリーナの声も全く聞こえなかったわ。何か魔法陣の媒体となるものが、廊下に堂々と置いてあったとは思えないし」


 それで言えば「遠隔で魔法陣が展開された」ということになる。……なるのだが、果たして只人にそれは可能なのだろうか。


 キサラはイヴァラディジに「魔法陣で確定なのか」と確認した。「その通りだ」と回答を得ると同時、イヴァラディジが笑っていることに気が付く。


〔悪魔の目の前で魔力的干渉が行われたんだぞ? 野放しにするわけねぇだろ、この俺が〕


 尻尾は強く噛んである。と牙を覗かせた凶悪な悪魔が、この時ばかりは頼もしい。問題は夫人への、引いては協力者全体への説明になるが。

キサラが目配せをすると、シュヒアルはうっとりしてから頷いた。


「夫人、少々試してみたいことがありますの。よろしいかしら? タスラくんだけが無事でいる理由も、これで実証出来ますわ」


 こうして夫人は促されるまま外へ出た。目的地は、現在使用されていない古い焼却炉の前である。

焼却炉とはいっても、耐火性の煉瓦が三方向に積まれただけの簡素なものだったが、今回はこれで充分だ。ラギスは恭しくその中央に椅子を設置した。当然、シュヒアルの私物である。


 椅子の上にはタスラの形をしたぬいぐるみが置かれた。こちらは言わずと知れた、シーラの持ち物である。


「お呼びと聞いたが」

「あらちょうど良いところにいらっしゃったわ。ぜひご覧になってくださいまし」


 現れたのは、使用人から伝言を受け取ったパドギリア子爵だった。夫人の目撃情報も同時に共有されたが、魔力的干渉による誘拐で間違いないと睨んでいる。魔女の忠言はとても貴重なため、最優先で現れた。

しかしこの場にあるのは椅子に座らされたぬいぐるみである。何か怪訝そうに眉を寄せはしたが、馬鹿馬鹿しいと一蹴することはなかった。シュヒアルが信頼しているのは、そういうところである。


「おいキサラ、もうちょい前に出ろ」


 イヴァラディジが口を開くと、パドギリア子爵と夫人は揃って驚きに目を見開いた。兎のフリを貫くものだとばかり思っていたキサラも同様であるが、とにかく前に出る。


(あれ、膜がある)


 薄い膜のようなものがぼんやりと見えた。椅子を囲うようにして張り巡らされたそれは、監獄塔で見た“結界”によく似ている。ただし、一か所だけ穴が開いているようだ。ちょうど、イヴァラディジの顔と同じ高さで。


「わっ!?」


 突然、キサラの腕から火が放たれた。正確に言えば、抱えているイヴァラディジが火を噴いたのだが。そしてそれは穴へ吸い込まれるように踊り、膜の中を勢いよく満たしていく。


「ご心配には及びませんわ。こちらには結界が張ってありますから、皆様は安全です」


 兵士たちが動くのを見て、シュヒアルは断言した。パドギリア子爵も、消火活動に移ろうとしていた私兵を手で制す。視界には轟々と炎が揺らめくばかりで、中に置いてあるものがどうなっているのか、全く見えない。

やがて眩しい程の炎が収まると、椅子は燃え尽きてぬいぐるみだけが取り残されていた。


「ご覧になられましたかしら。手に取ってよろしくてよ」


 こればかりは、と兵士が安全を確認した後、すぐさまパドギリア子爵の手にぬいぐるみが渡った。あれだけ激しく炎を浴びたというのに、焼け焦げた跡もなく、無傷である。


「これは一体」

「今見ていただいた通りですわ。こちらは、魔法の干渉を一切受けません。タスラくんはこれと同じ物を、鞄に入れて持ち歩いておりました。だから彼は、無事だったのです」

「ではやはり、魔法が使われたと」

「ええ。正確には魔法陣、ですけれど」

「魔法陣……」


 魔石を持っていれば、只人にも使用可能だ。なので犯人は、魔女や魔物とは限らない。


 一方燃え残ったぬいぐるみを見て一番驚いたのは、何を隠そうキサラである。フロムレアの花を素材に使ったのは「気持ちを落ち着かせる」効果を狙ってのことだった。加えて本には「魔法を無効化させる」なんて記載もなかったので、このような作用を知るはずもない。


「しかし、これではタスラさんが無事だった根拠にならないのでは。現に、椅子は跡形もない」

「タスラくんがぬいぐるみの恩恵を得られたのは、彼が『生きている』からですわ。守りの効果は総じて、対象指定でもしない限り『持ち主』へ向かう」

「対象指定とやらをしていないから、椅子は燃え尽きた。そう仰るのか」

「ええ、その通りです」

「ではこのぬいぐるみは魔導具なのですか?」

「いいえ。縫い合わせの糸に色硬糸が使われていますのよ」

「色硬糸……」

「フロムレアから精製される糸ですわ」

「フロムレア? 確か、希少性の高い花と聞いた覚えがあります」

「よくご存知ですわね夫人。使い方次第であらゆるものを寸断する硬さを持つ。これが色硬糸の由来ですが、どういうわけか“魔力”の流れまで断ち切って見せました。魔物の炎に焼かれなかったのが、その証左でしょう」


 シュヒアルの説明を聞きながら、キサラは首を傾げた。「魔力的干渉及び魔法•魔術術式の妨害効果」が確認されたのであれば、本にも記載がありそうなものだが。

それとも自分が作ったものだけ効果が違うのか。けれど製法は、図書館の本に書いてあった手順通りだ。特別なことは何もしていない。


 思い返してみても、魔力的要素が絡む工程はなく、熱したり伸ばしたりといった過程に、魔術的な動きは一つも無かった。更にフロムレアを育てていた頃に遡ってみても、水やりに使ったのは何の変哲もない井戸水である。


「これを持っている限りは簡易的結界として作用するでしょう。ただ、『魔力を伴わない炎』であれば、普通に燃えてしまいます」


 あくまで魔法、或いは魔術に対してのみ有効である。つまりこのぬいぐるみを持ち歩いていれば、シーラも「無事」だった。


 パドギリア子爵は納得し、重々しく頷いた。今この瞬間より、人が消えるという「噂」は正式に「事件」として取り扱われることになる。


「この色硬糸とやらは買い取れるだろうか。屋敷内にもまだ、半成が居る」

「どう? キサラくん」

「少しならあります」

「ではワタクシは町にいる半成に配ろうかしら。ついでに、被害の確認も兼ねておきます。配布分の記録はラギスに任せるわ」

「かしこまりました」

「しかし」

「只人が半成を見つけ出すのは困難ですわ。それに、こちらも滞在させていただいた恩がありますから、対価はもういただいておりますのよ」

「魔女の恩返しだなんて、心強いですわ。ね、旦那様。ここはシュヒアル様に任せましょう。私たちは、私たちの出来ることをしなくてはなりません」

「……ではお願いしてよろしいか、シュヒアル嬢」

「ご期待なさってよろしくてよ。ここからは『魔女』の領域ですもの」


 シュヒアルもラギスも、イヴァラディジと同じ気持ちだ。

一時的なものであっても、自分たちの「縄張り」で魔法陣による術式が展開され、まんまとシーラ、そしてマリーナを連れ去られたのが「気に食わない」。


 怖気がする程の殺気に、キサラはビクリと背筋を震わせた。ちょうどそこへテイザが駆け付けなければ、キサラはその場を逃げ出していただろう。


「こんなところに居たのか」

「兄さん、シーラとマリーナのことは聞いた?」

「さっきな。兵士たちは何をやっていたんだ? 貴族の屋敷に不審者が侵入した挙句、まだ見つからないなんておかしいだろう」

「魔法陣が使われたんだって」

「……転移陣か。厄介だな」


 外を固めたところで、直接中に干渉されたら意味がない。魔法陣が相手なら後手にも回るか、とテイザは息を吐いた。


「魔法相手なら、俺に出来ることもそう多くはないか」

「僕も、何か出来れば良いんだけど」

「何言ってるんだ、キサラは充分役に立っているだろう。持たせておいた『お守り』が効いたんだ。誇って良い」

「……だとしても、これからのことだよ」

「なるほど? それなら俺も一つ、役に立つか」

「何をするの?」

「『預言者の弟子』だ。まぁ最初に奴自身を探し当てる必要はあるが、何もしないよりはマシだろう」

「あ、そうか。ファリオンさんなら、僕を見つけた時みたいにシーラやマリーナを見つけられるかも」

「そういうことだ」

「だとしてもお前、土地勘ねぇだろ」

「あの見習いを連れて行く。同じ屋敷の同僚が消えたんだ、道案内くらいはするだろう」

「なら、派手に動かねぇことだ」

「善処する」


 颯爽と歩き出したテイザを見送り、キサラは自分も何か、と頭を悩ませた。


「あ、そうだ。『何かを探す集団』!」


 消える方ではなく、増える方の「噂」だ。何かを探し続ける姿が何度も目撃されているということは、この一帯をずっと見て回っているということでもある。もしかしたらタスラやパドギリア子爵夫人のように、人が消える瞬間を目撃しているかもしれない。


「キサラ、行こう。何かわかるかもしれないなら、僕も行きたい」

「でもタスラは屋敷に残った方が」

「どこに居たって同じだよ。それに、そもそも僕が手を離さなければ、シーラだってここに居たかもしれないんだ!!」

「何言ってやがる。見てただろ、作用する範囲は限られてんだ」

「でもっ」

「あの糸は効果を及ぼす対象を『識別』してやがんだよ。お前が手ぇ繋ごうが離そうが、結果は同じだ。自惚れんなよ、タスラ。この世の不幸の起点が、全部お前一人のもんであるはずねぇだろ」


 タスラはハッと目を開いた。イヴァラディジは明確に、「タスラ」のせいではないと切って捨てたのである。


「イヴァ……」

「で、例の集団とやらだが、行ったところで意味ねぇと思うぜ」

「え、どうして?」

「誰にも悟られず半成を攫えるんだ、わざわざ目立つ必要ねぇだろ」

「まぁ、それは確かに」

「隠れて転移陣を展開した奴が居るとして、『目撃』されるようなヘマをするとは思えねぇ。あの子爵とかいう奴も、『噂の集団』による直接的な関与を疑っちゃいねぇようだしな。現に見ろ、外に調査へ出た奴が一人でも居るか?」

「だ、だったら余計僕らが調べた方が、効率的だと思う。ね、タスラ」

「どうせ他にすることもないし、危ないことはしないから!」

「いやお前が外出るだけで危ねぇだろ。半成が狙われてるっつー自覚を持て」

「ついでにお肉でも買おうかな」

「何してんだ早く行くぞ」


 イヴァラディジは露店で買った肉をあぐあぐと咥えながら、「どうなっても知らねぇぞ」と忠告した。



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