46. 瞬きの後


「まぁ何が起こっていたか把握したところで、こちらに情報の共有はしてくれないでしょうけど」

「でも、さっき同じ派閥だって」

「同派閥である以前に、ワタクシは他領の貴族だもの。領地内の問題に深入りはさせないものよ」

「じゃあ、真偽はわからないけど、『人が消える村』は近寄らない方が良いってことだね」

「そういうこと。消えるという『噂』の『適用範囲』もわからないのだし」

「仮に人攫いの仕業だと仮定して、対処法は?」

「常に誰かが傍に付いていれば、問題ないと思うわ。念のため人が多いところは避けましょう」

「食糧の買い出しには僕らだけで行った方が良いかな」

「そうね。万が一があっては困るわ」


 パドギリア子爵は私兵を抱えているので、お屋敷の警備は厳重だ。下手に連れ歩くよりも、屋敷内の方が安全である。早速シュヒアルは振り鈴を鳴らし、使用人に外出の申し出をした。


「ちょうど料理長が町へ買い付けに行くところなのです。ご一緒にいかかでしょう」

「ん? 食材は屋敷に直接搬入するものじゃないのか?」

「ええ、普段から商人が運び入れてくださいます。けれど料理長は直接市に出て、掘り出し物を探すのがお好きなんですよ」


 市場であれば、当然たくさんの物が売られている。保存が利く食材や、新鮮で質の良いものを見分けるには、ここでの経験が役に立つ。料理長は度々見習いを連れて行き、それらの知識を教えているらしい。ついでに教わってはどうか、と侍女は微笑んだ。


 こうなってくると問題は、何と言ってタスラやシーラに留守番を頼むか、である。しかしマリーナが機転を利かせ「屋敷内を探索しませんか」と二人を誘った。やや遠慮がちに頷いたものの、今やささやかな冒険に夢中である。


「……いいところだね、ここは。シュヒが魔女として振舞っても、皆驚かなかったし」

「確かにそうね。もしかしたら、他にも魔女の知り合いが居るのかもしれないわ」

「僕たちの住んでいたレフェイア領とは、随分違うみたいだ」

「領土が違えば領主も違う。直接目にする為政者の違いが、領民の意識にも反映されているのかもしれないわね」


 パドギリア子爵邸は、キサラたちの暮らしていたレフェイア領の隣、ハパトギロニアという領地にある。


「同じ国でも領地ごと、或いは都市ごと、街ごとに条例があって、それぞれ村の単位でも競争が発生するでしょう? 領地とは、さながら小国のようなもの。大都市や主要都市には関所が置かれ、通行料が取られる。なんだか小さな外交のようね。ハパトギロニア領はレフェイア領のお隣だけど、まるで違う国に来たみたい」


 シュヒアルがふわりと扇子をはためかせると、空中にハパトギロニア領とレフェイア領の地図が浮かび上がった。その綴りを見て、キサラはハッと息を飲む。


「気が付いた? パドギリア子爵と、ハドロニア様、家名の綴りが似ているでしょう。どちらも土地名に由来するのよ」


 キサラたちのような平民の大半は家名を持たず、「どこの村の、何の職業に就いている誰」、「どこの家の誰の子供」などの情報で個人を判別する。

 バルセルゲン・ハドロニアのように、武功を讃えられ戴く例や、腕利きの商人が家名を買う例もあり、平民階級が家名を持つことはそれなりにある。平民の中にも、名家と呼ばれる由緒正しい家系というのは存在し得るのだ。


「平民が家名を与えられることはあっても、領地名から綴りを戴くことはほとんどないわ」


 バルセルゲンは「ハドロンの槍」と呼ばれることもあるが、これもまたハパトギロニア領の領名から派生したものだ。この国では、領地名がそのまま領主貴族の家名に使われることはほとんどない。

肌身離さず持っている手記が、ズシリと重みを増していく。


「不安にさせてしまったかしら」

「ううん、ようやく危機感が持てたよ。ここ数日で肩の力が抜け過ぎてたみたい」


 牢の中に比べ、快適過ぎる程の待遇。割り振られた客室は上品で、洗練されたものだった。

調度品には怖くて近寄れず、寝台に身を任せるのさえ緊張して気が休まらなかったキサラだったが、それも初日の話である。今や椅子に慣れ、深く座れる程度にはなったのだ。


「あら、もう着いたみたい。お喋りしているとあっという間ね」


 ラギスがスッと扉を開き、優雅に降りる。シュヒアルはお忍びの恰好だと言っていたが、明らかに貴族とわかる装いだ。周囲の視線は全て「ご令嬢だ」と見抜いていた。


「なァおい、肉は買わねぇのか?」

「長持ちしないから却下で」

「生だから駄目なんだろうが。干し肉にでもしろ」

「ちょ、ちょ、暴れないで」

「ねぇ、貴方人間の姿に化けたりは出来ないの?」

「何言ってやがる。俺は元々人型だ」

「今なら誰も見ていないし、変身するならどうぞ?」

「ハッ、戻り方なんざわかんねぇよ」

「そんなに胸を張って言うことかな……」


 今は腕に収まる程の小さな体をしているが、イヴァラディジはよく食べる。だというのに、太りもしないし重くもならない。悪魔とは不思議な生き物だ。


「お肉は無理だけど甘い果実だよ~」

「お前こんなもので誤魔化されるとでも思っ、ガツガツガツ」

「ウワ、汁と破片がッッッ!!!」


 頼むから上品に食べて欲しいと言い聞かせていると、料理長と料理人見習いの二人が何やらお目当ての食材を見つけたようだ。


「さて、この食材の特徴はどこにあると思う?」


 料理長が手に取った果実は、表面がボコボコとしている。端に薄く緑が入っていて、全体的に黄色い。


「煮ると表面が柔らかくなって、甘さが出ます」

「そうだ。他には?」

「焼くと辛いのよね。切り目を入れておかないと果皮が硬くなって、中の果肉が取り出せないはずよ」

「まさしくその通り。おい、バノ。追加でこれ買い足しとけ」

「料理長、どれだけ買えば気が済むんだ。俺はもう抱えきれないんだが」

「なんだテーザ、このくらいで音を上げてたら買い出し役なんぞ務まらんだろう」

「テイザだ」

「さてお二人さんよ、見ての通り新鮮なものはより黄色みが強い。同じ実でも味の幅が広がるからな、覚えておくと良い」

「はい!」


 それなりに知識を持っていたキサラとシュヒアルを気に入り、料理長はあれもこれもと様々な食材について語った。一言だけ役立つ情報をポロッと零すこともあれば、どのように刃を入れれば良いか、具体的な調理例などを熱く語ることもある。


「バノ、料理人は知識を持って初めて半人前、技術を磨いて一人前だ。しっかり励めよ」


 キサラとシュヒアルの知識量を見てか、見習いのバノは何度も頷いた。勉強不足の自覚が、ようやく芽生えたらしい。


「こんなのアンタらの村じゃ出回らないだろうに、よく特徴がわかったな。ここら一帯でも滅多に食べないぞ」

「調理法、あまり広がっていないんですか?」

「ある程度知られてはいるんだが、難易度が高い食材として避けられる傾向にある。調理工程を間違えば、途端に苦くなるんだよ。ああなると食えたもんじゃない」


 ゲェ、と味を思い出したかのように料理長の顔が歪む。調理法を試す過程で、口にしたことがあるようだ。


「で、さっきからそんなにキョロキョロしてどうしたんだ? どうも露店を見てるわけじゃないな」

「あ、ええと、変な集団が居るって聞いて。ここには居ないのかなーと」

「んー、噂ってのはいい加減だからなぁ。どこでどう話を盛ろうが聞く側にゃわからんだろ?」

「じゃあ、何かを探しているっていう人たちは居ないんですね」

「いーや、居る。不思議なことが起こってるのは確かだ」


 料理長は鋭く目を細めた後、ハッとして辺りを見回した。それからちょいちょい、と指で手招きし、顔を寄せた三人に語り出す。


「半成だけ消えるって話はもう聞いたかい」

「マリーナから」

「消えるって言ってもな、半成の連中は別の町へ移るとき、わざわざ別れを切り出す方が珍しい。意図的に行方をくらますことも多いだろ? 俺たちも最初、いつものことだと流していたんだが」


 屋敷の使用人がまさに、消えるという噂の発端である。友人の中に動物種・牛の半成が居た使用人は、不思議な光景を目にしたのだ。


「通りがかりに家を訪ねたらしいんだが、中には誰も居なかった」

「それのどこが不思議なんだ?」

「今まさに『消えた』としか思えなかったんだと」

「それは、どういう……?」

「火にかかったままのスープ、切り分け途中のパン。食事の準備をした状態のまま放置されてたんだよ」


 使用人が火を見て慌てて駆け寄ると、スープは焦げてもいなかった。ちょうど出来上がりの状態で、そこにあったのだ。


「え、ちょ、やめてよ! 怖い話じゃない」

「へぇ、魔女でも怖い話は苦手なのかい。悪魔だかなんだかの方が気味悪くないか?」

「それとこれとでは話が別よ」


 家の中を探し回ったが、争った形跡はなく、誰かに無理矢理連れて行かれたという目撃情報もない。


「自分から出て行ったっていうには状況が変だろ? 日常から忽然と消えたとしか思えない。それに、似たような話は幾つも出てる」


 性別、種族、年齢も異なるが、ただ一つの共通点がある。それが、「半成」であるということ。


「旦那様も監獄塔の憲兵隊に訴えを送っているんだが、返答がないようでなぁ」


 パドギリア子爵の調査依頼先は、カレディナ監獄塔だった。当時バルセルゲンもバゲル騎士も魔人の捜索に注力しており、“穢れ”になった騎士たちもまた、この話を聞いて動いたとは思えない。今現在に至っても、この事態を把握し、対策を練っているとは考えられなかった。


「暗い話はこれぐらいにして、今日はもう切り上げよう。バノ、テーザを連れて食物庫へ行ってくれ」

「テイザだって」


 食材を乗せた馬車には見習いのバノとテイザが乗り、料理長はキサラやシュヒアルと同じ馬車に乗って屋敷に戻った。移動時間はそう長くなかったが、その間も美味しい調理法についてあれやこれやと語り合い、大変に充実した時間を過ごしていた。のだが。


「何だ? 屋敷が妙に騒がしいな」


 私兵が鎧を鳴らしながら駆けている。どころか使用人や侍女も、慌ただしく動いていた。


「誰かに話を聞いて……っと、危ないなマリーナ。また侍女長に叱られるぞ」


 マリーナが通路を走って来て、料理長とぶつかりそうになった。だが様子がおかしい。

顔色が真っ青で、キサラに目を向けると更に顔色を失った。どころか、ボロボロと涙を零す。


「シーラちゃんが、シーラちゃんが」


 後ろから何か声をかけられたが、キサラはイヴァラディジを抱えたままがむしゃらに走った。嫌な予感がして鳥肌が止まらない。

滞在用の客室に飛び込むと、タスラがぬいぐるみを抱きしめて座っているのが見えた。けれど、シーラの姿は見当たらない。


 丸まって座っているタスラの隣にはパドギリア子爵夫人が居り、手を握ってしきりに励ましているようだった。


「僕が、僕が」


 タスラはうわ言のように繰り返す。屋敷の冒険をしていた二人だったが、シーラが何かに躓いた瞬間、繋いでいた指が解けてしまった。


 するりと滑った手を追って横を見ると、隣に居たはずのシーラの姿が無い。まるで最初からそこに存在していなかったかのように、気配すらパタリと消え失せた。


『シーラ?』


 辺りを見渡すが、隠れられるような場所はどこにもない。部屋の扉は近いが、開いた時点で気付くだろう。また、屋敷の窓には鍵がかけられているので、出入りは不可能だ。

 シーラは妖精種の半成である。しかし精霊魔法を扱うことはなく、音や姿を自分の意思で隠す術がない。だというのにタスラは、どれだけ時間をかけてもシーラの姿を捉えられなかった。


『シーラ……ッ!!』


 どれだけ声を上げても、シーラは答えない。


「僕が手を離したから」


 タスラの掠れた声が、ぐわりとキサラの視界を歪ませた。



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