転移陣編

45. 子爵邸


 フロムの森から出発して数日。キサラたちは監獄塔の生活から一変、貴族のお屋敷で優雅に生活していた。


 キサラはシュヒアルに招かれて伯爵家の別邸に出入りしていた頃から、常々思っていた。何故貴族様のお屋敷には幾つも庭があるのかと。こうして何日も滞在してみれば、用途によって使い分けているのだとわかる。


 キサラが今正面に見ている庭は、客人をもてなすため観賞用に整えられた庭だ。食後に庭の景色を眺めつつお茶を飲むと、時間だけではなく心にまで余裕が出来たかのような心地になれる。

上流階級の落ち着きというのは、こういった場面から培われていくのだろうか。キサラは庭へ降りて、花々を見渡した。


(この辺りは窓からも見える位置だし、多年草が多い。冬にも来客があるのかな)


 冬場でも葉や茎が枯れない品種が多く植えられている。葉っぱの長さや密度も整えられており、見事なものだ。花から実になると色彩も変わるだろうが、花の状態でも実の状態でも美しく見えるよう計算されているのだろう。


「キサラは村に居た間、植物を育てて売っていたよな。この辺りもそうか?」

「観賞用はあんまり。それに僕が売っていたのは花になる前の段階だったから、この状態で見るのはどっちにしろ初めてかも」

「へぇ、そうなのか」

「うん。種を植えて発芽させて、状態の良い苗を選別して売るのが仕事。でも薬草とか、自分で使う分だけ別だったかな」


 花のほとんどは図鑑で見たものばかりだ。精巧な挿絵から受ける印象と、現実で見るのではやはり違う。

村に居た頃は畑を耕す余力もなく、栽培はほとんど室内で行っていた。売る程育てるとしたら苗の段階までで、それ以上育てるとなれば数は限られる。


 自家栽培で収穫するものがあっても、小さな鉢植えで育てられる分のみだ。外に種を蒔くのであれば、害獣対策は欠かせない。キサラ自身は強く憧れていたが、「自分の畑」「自分の庭」はついに夢と終わった。


「そういえば、オルデルさんの野菜もらい損ねちゃったね。せっかくお礼にくれるって約束してたのに」

「確かにそんな話もあったな」


 当時のキサラはタスラ、シーラと合流することしか頭になく、オルデルがどこに住んでいるかなど聞かずに別れた。旅を終えて再びこの地に戻って来ることがあっても、会えるかどうか。


「あれ、この花よく見たら多弁花じゃなくて漏斗状花だ」

「ンン? 何だそりゃ」

「花弁が一枚一枚分かれてたら離弁花、一枚に繋がってたら合弁花っていう理解で居るんだけど……ほら、これ一枚一枚花弁が分かれてるんじゃなくて、繋がってるでしょ? こうして横から見た形が漏斗によく似てるから、漏斗状花って呼ばれてるんだよ」

「あら本当。……どこかで見たことがあると思っていたけれど、これ、シュウェダルブ家の紋章に使われているお花だわ」

「シュウェダルブ?」


 若い客人たちが同じ花を覗き込みながらああだこうだと話しているのを、通りがかりの侍女は微笑まし気に眺めた。使用人たちは、客人たちが庭を大いに堪能したと庭師に伝えてやる。

そんな風に温かく見守られているとは気付かずに、シュヒアルはピッ、と人差し指を立てた。


「シュウェダルブ家というのは、歴史ある家名よ。特に芸術の分野に秀でているわ。二百年前、シュウェダルブ家の兄妹が共同で絵本を制作したのだけれど、ちょうどこの花が妖精の椅子として登場したの。それが世界で初めて児童に向けて描かれた絵本だったのだけど、知名度が上がったからかしら? いつからかお家の紋章に、この花が加わったと聞いたわ」

「ああ、そういえば図鑑にも『妖精の椅子』って書かれてた」

「シュウェダルブ家の絵本は、貴族籍に居れば大体の子供が読んでいるから、図鑑に載るのも頷けるわね。確か小指程の大きさの妖精が、人間の子供と友情を育む、だったかしら」


 シュウェダルブ家の絵本が有名になったことで、花は「ダルブ」と呼ばれることもあるが、正式名称は「セルブ芋」。球根で、地中に芋が出来る品種だ。が、美味しくはないので食用には向かない。全面的に観葉植物として扱われる。

 「妖精の椅子」とも呼ばれるこの花は、花弁が大きく寒さに弱いのが特徴である。主に雑草対策として植えられることが多く、秋の初め頃まで花が咲き、多少パラパラと葉が落ちる。

この庭が置かれたパドギリア子爵邸は、温暖な気候に恵まれた地域に建てられた。冬になっても、セルブが弱る心配はまずない。


「この辺りではよく育つ品種のようね。移動中の馬車からも、何回か見かけた覚えがあるわ」

「花にはそれぞれ花言葉があるんだろう? これはどういうものなんだ?」


 テイザに問われ、キサラは頭の中にある図鑑の頁を捲った。セルブの花言葉は。



「猛毒」



 コンコンコン。


「どうぞ」

「お話し中に失礼します。早馬の準備が整いました」

「そう、ご苦労様。ではキサラくん、どうぞ?」

「あ、うん。これをお願いします」

「承りました」


 早馬に託すのは例の「魔人製造に関する告発状」だ。迅速な対応が求められる事項であるが、キサラたちの移動速度では到着に時間がかかりすぎる。パドギリア子爵邸に滞在しているのは、早馬の手配を待つためであった。


 告発状には封蝋がしてあるため、途中誰かに開けられる可能性は限りなく低い。しかし蝋に押し当てられた紋章は監獄塔を示す。匿名での提出など本来は受理されないだろうが、「パドギリア子爵が手配した早馬によって提出された」という事実がかなり大きな意味を持つ。


「ここでの目的はひとまず達成か」

「そうね。出発する頃にはファリオンも合流するでしょう」

「それで? まるで我が家であるかのように振舞っているが、ここでの立ち位置はどうなっているんだ? 確か騎士に捕まる前、この家を頼れと言っただろう?」

「ああ、言ってなかったわね。パドギリア子爵は御伽ノ隣人フェアリーテイル・ブック、協会の人間なのよ」

「は? 貴族なのにか?」

「貴族と協会は対立している、という認識なのかしら? 貴族にも派閥というのがあって、パドギリア子爵は所謂協会派なのよ。協会派というのは……御伽ノ隣人フェアリーテイル・ブックの後援をしている貴族たち、と思えば良いわ」

「モンドレフト伯爵が交流を許しているってことは同じ協会派、ってわけか」

「そうよ。子爵が居なければ、ワタクシは伯爵家に引き取られていなかった」


 派閥内の貴族は結束が厚い。だからこそ、緊急時に頼る相手は、同派閥の人間しかあり得ない。


「良い関係なんだね」

「そう。ワタクシにしてみれば大恩あるお方よ。実を言うとワタクシ、元々貴族という人間があまり好きではなかったの。……駄目ね、肩書に左右されて本質が見えないのなら、ワタクシが魔女であることを蔑む者たちと同じだわ」


 苦笑しながら紅茶を飲む姿は、貴族そのものだ。幼い頃からの癖というのは、何気ないところに出るものだが、シュヒアルがキサラ相手にそれを見せたことは一度も無い。

何故ならキサラが出会った頃には既に、シュヒアルは「伯爵家の一員」として完成していたからだ。


「失礼します。お菓子をお持ち致しました!」


 ワゴンを押しながら入室したのは、給仕係のマリーナである。活発な印象の若い女性で、キサラたちにお茶請けを運んできたようだ。


「兎さんにはこちらのお野菜をお持ちしました。ぜひどうぞ」


 イヴァラディジの前には、色とりどりの野菜が華やかに盛り付けられた皿が置かれた。さすがに魔獣を想起させる姿で子爵邸に滞在するのは不可能と判断し、兎によく似た小動物の姿に戻っていたのだ。

使用人一同は「兎?」と僅かに疑問を抱いたようだが、概ね違和感なく受け入れられている。横を向いてイライラと足を上下させていても、マリーナには可愛い生き物にしか見えない。


「タスラくん、シーラちゃん! 昨日話したお菓子、残り物で悪いんだけど、良かったら」

「わー、綺麗」

「お姉ちゃんありがとう!」


 コソコソ、と小声でやり取りしているが、シュヒアルは見ないフリだ。本来部屋の主を放って他を対応するなどあり得ないが、そのようにして良いと許可を出したのはシュヒアル自身である。


 タスラとシーラは、キラキラと目を輝かせて小さな包みを受け取った。可愛らしいリボンがくるりと巻かれており、二人にはこれが綺麗な、宝石のような贈り物に見えたのである。

少しの間そのまま眺めていたが、笑顔のマリーナに促され、大事にそうっと包みを開け始めた。


「一人一人お菓子が違うんですね。ありがとうございます」

「お好みに合わせてご用意させていただきました」

「いただいた茶葉、美味しかったわ。飲み慣れた味だったし、もしかして、レフェイア領のものかしら」

「はい。モンドレフト伯爵様の別邸は、レフェイア領にあるとお聞きしました。馴染み深いものを、と思いまして」

「ありがとう。ふふ、最初の緊張が嘘のようね、マリーナ」

「は、い。それはその、お客様をおもてなしするのが初めてだったものですから」


 恥ずかしそうにマリーナの耳がピコピコと揺れる。マリーナは、動物種・狐の半成だ。


 そしてマリーナがいるためなのか、タスラやシーラに対する偏見がこの屋敷には存在しない。むしろ温かく迎えられ、給仕係にはマリーナが自ら手を挙げたのだとか。


「あら?」


 マリーナは机の上に開いていた地図を視界に入れ、首を傾げた。これには、予定する順路を光属性の魔法で描き込んである。しかしマリーナは、地図上の線が光っていることよりも、順路そのものに疑問があるようだ。


「どうかしましたか?」

「あの、申し訳ございません。ここを通るのですか?」

「ええその予定よ」

「あの、実はこの辺りには村があるんです。なので馬車で通過するのは難しいかもしれません」

「地図には描かれていない村が?」

「はい。とても小さな村なのですが、私がそこの出身なので、間違いありません」


 キサラとシュヒアルは顔を見合わせた。元々キサラたちが暮らしていた村のように、上手く隠れた場所にあるのかもしれない。

シュヒアルは羽根の先に魔法を織り込んで、マリーナに渡した。村があるという位置にそのまま印を付けるが、大きな道が通っている場所ではない。


「私のような半成と、その家族が身を寄せ合って生きている、そんな村です」

「隠れ住んでいるのなら、あまり刺激しない方が良いかしらね」

「いえ、その……通る分には問題ないとは思うのですが。ここ最近、妙な噂があって」


 チラ、とマリーナはタスラとシーラを見た。二人はまだ菓子に夢中で、気付いている様子はない。


「防音の魔法をかけましょうか。例え大声で話しても、あの子たちには聞こえないわ」

「ありがとうございます」

「それで、噂っていうのは」

「はい。私が聞いた話では、村から『人が消える』らしいんです」

「人が?」

「半成は秘密主義が多いですから、最初は誰も気に留めては居なかったのです。でも、状況がおかしくて」

「ええと、監獄塔に連れて行かれた、とか、そういうことはないかな」

「監獄塔、ですか?」

「いやその、特定の人間が居なくなる、というのは監獄塔でも起きていて。例えば『若い男』が居なくなる条件とか、共通点はありますか?」

「それがその、消えたのは全員『半成』なんです」


 ドッとキサラの心臓が跳ねた。テイザもシュヒアルも、そしてイヴァラディジですら視界の端でタスラとシーラを見ている。噂通りなら、「消える」対象はあの二人だ。


「それで、その、私が言うのはおこがましいとは思うのですが、タスラくんやシーラちゃんから、目を離さない方が良いかと」


 勿論、とキサラが強く頷けば、マリーナは安心したように息を吐いた。対象がまるで異なるので、魔人の問題とはまた違うようである。


「でもなんだろう、人攫いの類かな」

「あり得るな」

「……私たちのような、動物の特徴が強く出る半成は“半獣”と呼んで売り買いされることが多くあると聞きます。身体能力が高いので、奴隷として高値で取引されている、と」


 一般市民を奴隷として売買するのは勿論違法行為だ。しかしそれが許されると思っている人間は、少なくない。


「マリーナは大丈夫?」

「勿論、大丈夫です。旦那様は噂の真偽を確かめると仰っていましたし、奥様も私のことを気にかけてくださって……ふふ、昨日もたくさんお喋りしてしまいました」

「では貴女は安心して過ごせるのね」

「はい!」


 マリーナは笑顔で頷き、まだ仕事があると退室して行った。


「滅多なことがあるとは思えないけれど、監獄塔の件もあるし、念のため迂回しましょう」

「賛成」

「オイ、俺は肉食だってあの女に説明しろ」

「兎の真似は辞めるの?」

「真似なんざしてねぇよ。喋ったら騒がれんだろ」

「案外違和感なく受け入れてくれるかもよ?」

「でも変ね。マリーナが話してくれた噂、ワタクシが別の使用人から聞いたものと少し違っていたわ」

「え、そんなに幾つも噂があるの?」

「胡散臭ぇ」

「あら、噂も意外と馬鹿にならないわよ? ワタクシが聞いた話だと、町に『おかしな集団』が居るんですって」


 集団の一人一人を見て行くと、年齢も性別もまるで違って、共通点が一つも見られないそうだ。だが、何十日間も行動を共にしているらしい。そして気が付くと、人数が増えているのだという。


「人が『消える』と『増える』か。その集団に消えた半成が加わっていってるんじゃないか?」

「それがね、誰に何を聞いても『探しているものがある』としか答えないそうよ」

「何だそりゃァ。不気味な連中だぜ」

「アナタほどじゃなくってよ」


 「何か」を探しているが、それが何かは決して口にしない。集団として固まって生活している割に、統率も取れていない。そして特に、親し気な様子もないのだという。


「消える半成、探し物をする集団。一体何が起こっているのかしらね」


 そう言うと、シュヒアルは手にしていたカップを置いた。



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