43. モバロノの森
(ああ口惜しい、汚らわしい魔物め)
実験自体は概ね上手くいっていた。魔物から奪った魔核を癒着させた“魔人”に、“転魂の儀”を用いる。そして「剝がれ落ちた記憶を再び蘇らせる」のが最終目的だ。改善点を洗い出し、「完成」に持って行くまであと一歩。そこで正体不明の上級魔族に「研究員」は殺された。
荒れ狂う怒りを以て魔族は“裁き”を揮い、結果的にそれが呪いとなった。“穢れ”に変じた騎士たちとは違い、研究員に下された判決は“死刑”。最も重い咎により、その生涯を終えた。
はずだったのだが。
「何、一つ失ったところで何も変わるまいよ」
くるくると手首を回し、足を揺らす。首を回して伸びをすると、男は立ち上がった。肌の色も背丈も「研究員」のものとは違うが、慣れるまでそう時間はかからない。とにかく即時監獄塔へ戻り、実験の記録と被検体を回収しようとしたのだが、全て手遅れだった。
まず自分が長年かけて認めた手記がない。参照する上で重要な位置付けにあった本も取り除かれている。唯一の成果である“魔人”も、聖魔塔から解き放たれていた。
時間さえかければ魔人とて「再現可能」だ。成功例に関する情報や作成手順はしっかり「覚えて」いる。実験の完成は目前だが、幾分かの遅延は避けられない。魔族の介入は男にとって、それなりに痛手だった。
「追跡用の術式も解除されたか。あの魔族の仕業だな? そこまで知能が高いようには見えなかったが、ふむ」
本来であれば前世の記憶を蘇らせた後、どんな変化が見られるのか、そして人体に現れる直接的な影響はあるのか、経過の観察に時間を割きたかった。しかし探知用の魔導具を起動しても、魔人らしき反応は得られない。既に監獄塔付近から完全に離脱したようだ。
(
幸い今回の結果から成功の傾向はわかった。軌道修正はいくらでも出来るので、
「実験は成功。繰り返す、実験は成功。今後は術式の精度を上げる。が、拠点の変更を余儀なくされた。候補を幾つか見繕ってくれたまえ」
〔かしこまりました〕
通信用魔導具の向こうで、助手の女が嬉しそうに答えた。その声は既に「研究員」のものではないが、女にとっては些細なことだ。
そんな助手の傍に控え、実験の成功を聞き届けたのはもう一人。その男は、喜びに華やぐ助手の顔をそれ以上見たくもなかったので、早々に部屋を出た。
「マシャット様。『実験は成功』したそうですよ」
入口はあっても出口はない。四角く切り取られた部屋の中で、マシャットと呼ばれた子供は顔を上げた。暗がりには似合わない明るい表情で、どこまでも無邪気な顔をしていた。
「バラッシュラント!」
巨大なガラスに駆け寄ったマシャットは、男……バラッシュラントの報告を聞いて跳ね上がる。背後から響く泣き声など、もうマシャットには聞こえていなかった。
足元には倒れ込んだまま動かない体が無数に転がっており、「選別」の壮絶さが窺える。
そんな中でバラッシュラントは穏やかにマシャットを褒め、甘やかすように笑いかけた。尤も、この仏頂面の口角が少し上がる程度では、「笑んでいる」ことなどわかりようもないのだが。
「俺たちの目的はもうすぐ成るでしょう」
「長かったね、ここまで」
「どうでしょう。最早この身には時間の感覚など、残されていませんので」
バラッシュラントは、騎士風のいで立ちである。目を細めて過去に思いを馳せる姿は、騎士そのものに見えた。
思えば随分と
ついに悲願が叶うとあって、知らず二人の心は高揚していく。「良かった」と言うマシャットの安堵が、しかし不思議とバラッシュラントの心を搔き乱した。「良かった」? 本当に、そうだろうか。
悲痛の叫びと助けを求める言葉が、マシャットの声に掻き消されていった。
「やっと会えるんだ」
愛らしい顔から笑みが綻び、思わずバラッシュラントの腕がマシャットに伸びて行った。けれど二人を隔てるガラスの存在を思い出す前に、右手が下りる。「これ」は自分の役目ではないという自覚が、その動きを止めた。
「“鍵”は見つかったのだろうか」
“転魂の儀”などと男は宣っていたが、「前世の記憶」とやらを完全に蘇らせるためには“鍵”が要る。どれだけ術式を重ねようが、“鍵”が無くては「実験の完成」には至らないだろう。
二人は互いに向かい合い、まるで呪文のように言葉を紡いだ。
「「我らが天使。我らがキシアラ」」
どうか我らの英雄を、ここに還し給え。
◇◆◇◆◇
さて。当然ながら、森の中での移動は徒歩になる。ラギスの先導で進んでいた一行だったが、その歩みは一本の木の前で止まった。枝には目印のように布が巻かれており、その横にはリスが居る。
人間がこれほど近くへ寄っているのに、逃げないなんて。キサラは人馴れしたリスだな、と首を傾げた。だがよくよく見ればその体はカタコトと震えており、様子がおかしい。
「あら、どうしたのかしら?」
「いやぁ、言い辛いんだけれどね、どうやらイヴァ様のお顔が『怖い』ようだよ」
「ア゛?」
「きゅー!!」
「あ、こら待ちなさいまるふさ!」
「「まるふさ」」
個性的……独創的な名前をしたリスは、イヴァラディジの鼻に寄った皺を見て、逃げ出してしまった。確かに、容貌だけを見れば魔獣である。一人頷きながらキサラが皺を伸ばしていると、慌てたようにシュヒアルが走り出した。
「あのリスがどうしたんだ? どうでも良いだろう。森にリスは付きものだ」
「まるふさが森の案内役なのよ、愚兄様!」
「アァ? それを早く言えよ」
「待て誰が愚兄様だ? 勝手にキサラと結婚しようとするな」
「見失ったら大変だ、早く追いかけないと」
「イヴァ様は少し離れた方が。ああ、駄目だ遅かった」
イヴァラディジが器用にキサラを担ぐと、そのまま駈け出した。テイザも揃っての全力疾走である。呆れたようにラギスがその後を追うが、これって逆効果ではないだろうか。死ぬ物狂いで逃げるんじゃないだろうか、リス。
「魔物も恐れるイヴァ様が来て、あんな小動物が耐えられるわけがないよねぇ。身を隠されでもしたら厄介だなぁ」
「それがわかっていたのなら対処法でもなんでも提案しなさいよ」
「魔物って揃って大切なことを後から言うよね」
「これが性分なものでね」
「仕方ねぇだろ、言質取られんのが一番厄介なんだ」
まるふさは逃げ出したものの、一行はすぐに追い付いた。決して追い越さないように、或いは追い付かれるとは思わせないように、適度な速度で続く。正直少し走ってはピッと止まって、また走ってを繰り返すので然程苦労はしない。何なら走らなくても、早歩き程度で追い付く「決死の先導」であった。
こうしてまるふさはやり遂げた。森の英雄だ。巨体の魔獣(にしか見えない悪魔)を従え堂々の凱旋である。草木はザワザワと拍手喝采。褒美に木の実をころころと転がした。
「「キサラ!!」」
「タスラ、シーラ!」
キサラはイヴァラディジの背中からひらりと飛び降り、走って来た二人を抱き留めた。しかしあまりにも勢いが良かったので後ろに倒れそうになり、背後に居たイヴァラディジが鼻で支えた。
「危ねぇだろはしゃぐな」
「え、狼!? デカい!」
「きゅうきゅうきゅうー!きゅうーん!!」
「いや誰だと言われても僕たちも知らな、ちょ、まるふさ降りて! 危ない!」
「待って今タスラのこと盾って言わなかった?!」
などとしばらく再会を喜んだ後、キサラたちは拠点に案内された。一息ついたら、森を出ることになる。
「早速“穢れ”について報告をしなくてはね」
「じゃあ僕らが呼んで来る!」
「ちょっと待っててね!」
キサラもテイザも、半成についての知識は乏しいが、「動物と会話が出来る」ことまでは何となく察していた。しかし“森”とまで話をつけていたとは驚きだ。「森の客人」とはそういった喩えなどではなく、そのままの意味だと今理解したのである。
「何だかたくましくなったような」
「あの子たちね、すごいのよ。大抵のことは自分で出来るし、弱音だって……そうね、最初にちょっとくらいは聞いたかしら」
「もしかして、ここも二人が?」
「ええ、ほとんどそうよ。どの種類の植物が食べられるか、調理法なんかも知っていたわ。キサラくんが教えたのですって?」
「あ、教えたってほどじゃないよ。本に書いてあったことをそのまま話してただけで」
「でも、彼らの中ではしっかり活きているわ」
拠点から垣間見える生活っぷりは堅実だが、どこかイキイキとした側面も見られる。肉や魚といった贅沢は出来ないが、木の実や野草に関してはかなり充実していた。
加工済みの調味料が手元になかったとしても、代用出来るものは森の中にいくらでもある。キサラも道中、いくつか身に覚えのある実を見つけていた。
「キサラー!」
「お帰り二人とも……!?」
タスラとシーラに呼ばれて拠点の外を見ると、ぬ、と大きな鳥が現れた。鮮やかな色合いに心当たりはあるが、どう見ても大きすぎる。
「もしかして、フロム?」
「いや、フロムにしては大きくないか? そもそも実在していたんだな、鳥として」
「なんかね、キサラに用があるって」
「え、僕?」
「俺たちが居たんじゃダメなのか?」
「内密のお話だって」
「そう、仕方が無いわね。ワタクシたちはあくまでお客様ですもの、行儀よく待っているわ」
シュヒアルやテイザ、ラギスは拠点で待機することになり、キサラたちは場所を移した。イヴァラディジを見たフロムが「何故」と問いかけて来たようなので、タスラを介して「離れられない」ことを説明する。
フロム側でも中々に葛藤があったようだが、最終的に受け入れられた。とても強めに目を瞑って悩む姿は、人間とあまり変わりない。
〔して、ヒトの少年は精霊様の加護を持っているな〕
「えっ、そうなんですか」
〔知らぬことだったか。だが、確かに“加護持ち”である。故に我々は歓迎しよう。例え其方が“穢れ”であったとしても〕
「呪いの事……」
〔瘴気が出ずともわかる。しかしなんだ、“穢れ”と呼ぶのは相応しくない表現だった。すまない〕
威厳と風格に満ちたフロムが、本当にすまなそうに頭を下げた。呪いを受けた者は森にとって総じて“穢れ”だが、キサラは加護持ちでもある。何より客人の大切な同伴者に失礼があったと、反省している様子だ。
その一方でキサラは「そういえばそうだったな」という衝撃と驚きがあった程度で、特に不快感は覚えなかった。気にしていないと首を振れば、フロムもホッと息を吐く。
〔森へ置かれた“穢れ”は際限なく瘴気を撒き散らし、我らになす術は無かった。此度の件、事態の解決を心から感謝している〕
「あー、それはシュヒ……シュヒアルがしてくれたことです」
〔しかし肝心なことだ。天使の遺産へ“穢れ”を導いたのは其方だろう〕
「天使の遺産」
〔俗にいう、魔法陣だな。魔法陣というのは“天界”、“魔界”、“妖精界”いずれかの文字が用いられることが多い。どの文字を使用しても等しく魔法陣と呼ばれようが、ヒトの集いし領域に描かれたものは、天使によって連ねられた“天界”の文字である。故に、我らはこれを天使の遺産と呼ぶのだ〕
鳥の身でありながら、フロムは知識が豊富だった。不思議に思ったキサラの心情を察してか、「ああ」と声が上がる。
〔フロムが皆こうというわけではない。私は精霊様よりあらゆる知識を賜った。私が受け取った知識は後の精霊様や妖精たちに伝える必要がある。このような役割、使命を持った者を総じて“語り部”と呼ぶのだ〕
見聞きしたもの、経験、精霊様からの教え。それらを継ぐ“語り部”であるから、他の個体と異なる体を持っているのだという。
〔さて、ここからが本題である。精霊様の加護を持つヒトの少年よ。我らは、森は、妖精は、其方を仲間として迎え入れよう〕
「仲間……?」
〔精霊様の庇護対象は“妖精界”の領域に留まらぬ。動物、植物、妖精族であればどの世界に居ようとも慈しみ、愛す。その中に其方は加わった。加護とは、そういうものだ〕
「人間も動物なのでは」
〔動物ではないと主張したのはヒトの方だ。それを真摯に受け取ったまでのこと〕
「加護」というのは、庇護下に置いた者を示す証なのかもしれない。キサラは妖精との接触を思い返した。出会ったことがあるのはエルフやドワーフくらいのものだが、もしかするとあの場に浮いていた光が“精霊”様だったのではないだろうか。
〔聞けば其方らは旅の途中だとか。であれば、風の民が道中力を貸すだろう〕
「風の民って、確か妖精のはずじゃ……? 僕がもらった加護というのは……?」
〔よく知っているな。風の民は“人間界”において実体がなく、風そのものだ。其方の思うまま、意のままに。呼べば風は応えるだろう〕
「風の民」は伝承などから妖精として広く知られるが、加護を与えられた人間にとっては「意思を持った上級の精霊魔法」なのだという。ちょうどキサラに加護を与えた精霊が風を司る存在だったので、「上級の精霊魔法を扱えるようになった」とフロムは告げた。
「え、じゃあキサラは風属性の精霊魔法が使えるんだ」
「すごい!」
「すごいで済む話か? コレ」
〔どういった経緯で加護を得るに至ったのかは知らないが、より身近な妖精たちですら、ヒトに力を貸すことは稀だ。その希少な力をよくよく誇るが良い。しかし、決して驕らないことだ〕
一つ脅しを入れ、フロムは機嫌よく喉を鳴らした。精霊の気配は動物や植物を癒すので、加護を受けた者が近くに居るだけで、森に良い影響があるのだという。
〔何と言っても、その魔物を従えている姿は実に小気味良い。もっと見せびらかせ、森に喜ばれよう〕
「おいキサラ、今晩は鳥の丸焼きだ。食いでがあってちょうど良い祝いになる。今日が脱獄記念日だ」
「脱獄してないし記念日にはならないよ」
〔ここのところ、身の程知らずな魔物たちが森へ入り込むことが多くてな。我々がどれほど迷惑していることか〕
「俺は関係ねぇだろ」
〔下級低級雑魚小物の分際で入り込んでは勝手に力尽きるような愚かな野良の悪魔魔獣の多いこと、知らず当たりが強くなってしまったらしい。何、悪気はないが……ふ、すまない〕
「焼き具合はどうする?」
「大変だすごく相性が悪い」
キサラはどうどう、と鼻先に腕をやって抑え込み、さっさと切り上げることにした。
「タスラとシーラのこと、ありがとうございました」
〔もう行ってしまうのか〕
「名残惜しいですが、目的のある旅なので。森で過ごした時間は短かったですが、有意義なものになりまし、コラ、暴れない、イヴァ、ちょっと」
傍に居たタスラとシーラは、両側からフロムを抱きしめた。フロムは穏やかに目を閉じて、二人を受け入れている。キサラとは違い、抑え込んでいるわけではなさそうだ。
〔この地へ戻ることがあればぜひ、また立ち寄ってくれ。我々は其方らを歓迎しよう〕
「俺も歓迎されるんだろうな」
〔旅とは苦難の伴うものと聞く。どうか健やかに〕
「オイ無視すんじゃねぇ」
ラギスもイヴァラディジも森へ害を与える魔物ではないが、動物たちは落ち着かないだろう。歓迎されるかどうかは、その時になってみないとわからないようだ。
〔再び訪れるのならそのときは、我らにも名を授けてくれ。まるふさだけでは不公平というものだ〕
「シーラも付けて良い?」
〔もちろんだ。フロムという種族名もそれなりの響きではあるが、やはり個々の名は得難きものである〕
その後拠点に戻って荷物を回収し、森を抜けるために進んだ。ガサガサ、シャカシャカ、シュルシュルと、一定の距離を開けて動物たちが後ろに付いて来ている。よく見れば、中にはまるふさの姿もあった。
「皆またね!」
「ルルダの実は食べ過ぎるとお腹壊すからね! 少し食べたら他の実で我慢するんだよ!」
タスラとシーラは何度も森を振り返り、隠れているつもりの動物たちに手を振った。小さく応える鳴き声は、どこか別れを惜しんでいるように響く。
「ね、シュヒアルちゃん。魔女さんもまた来てねって」
「あら、アタクシが怖くないのかしら」
「シュヒアルちゃんは特別だって。お産に立ち会ったからかな?」
「ふふ、岩に足が挟まった子を助けたのが良かったのかもしれないわね。光栄だわ」
「そういえば引き抜いてたね、岩」
「あんなに大きかったのにね。ズボッてやってポーンだったね」
「……随分勇敢な動物たちだな」
「いいや無礼なだけだろ。俺に対する態度見たか!? チッ、名無しのフロムめ」
「イヴァ、そんなに喉を鳴らさないで。威嚇だと思われるよ」
「正真正銘の威嚇だろうが」
タスラとシーラは涙をいっぱいに溜めて、それきり振り返らなかった。テイザは何も言わずに二人の頭をくしゃくしゃに掻き回し、馬車に乗せる。
ラギスが「さて出発しますよ」と合図を出し、森から旅立った。
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