42. 良い旅路となることを
「どうにも煮え切らねぇ幕引きだったな」
イヴァラディジの言わんとしていることは、キサラにもわかる。僅かに頷いて、焚火に小枝を投げ入れた。
ありとあらゆる損壊を被った監獄塔であるが、人為的に破られた結界は張り直され、バルセルゲンの活躍により「不当に囚われていた」人々も無事に解放される。事の経緯を見れば今後似たような騒ぎは起こらないと確信を持てるが、そもそもの発端となった“魔人”については、何一つ解決出来ていない。
「キサラ」
「兄さん、どうだった? ジェリエくんは」
「やはり牢には戻っていないようだ。どさくさに紛れて逃げたんじゃないか」
バルセルゲンと行動を共にしていたジェリエだったが、魔導具を探している最中に逸れてしまったらしい。その後の行方は知れないのだが、思えば彼は魔人の次に謎の多い人物だった。
「僕たちは牢に戻らなくて良いって?」
「好きに過ごせと言われた。あっちは対応に追われているしな。傭兵の寝台なら二、三空きもあるらしい」
今キサラたちが焚火を囲っているこの場所も、監獄塔の敷地内である。夜になると魔物が活発になるため、結界から抜けるなら朝を待った方が良いとの判断だ。
ガヴェラが撤退した後の監獄塔はかつてない混乱に陥り、酷く慌ただしかった。怪我をしたバルセルゲンとバゲル騎士は、治療のためこの場には居ない。
そして魔物たちが敷地内から居なくなった今もまだ、肉が焼け焦げたような臭いが漂い続けている。これは、バゲル騎士の肩を貫いた棘のせいだ。
ガヴェラの撤退後、バルセルゲンの動きを封じていた魔法はその効果を失ったが、バゲル騎士の肩に刺さっていた棘は消えなかった。イヴァラディジと共に近くへ駆け寄ったキサラが、その凄まじい光景に思わず息を飲んだ程である。
肩の傷口と棘を掴んだ掌は焼け爛れており、血が煮え滾るようにして弾けていた。
『酷ぇなこりゃ』
キサラがまず肩を固定し、傷よりも心臓に近い場所を圧迫。簡易的に止血している間、ガブ、と棘を咥えたイヴァラディジがそのまま引き抜いた。尚もグツグツと血が煮え続けていたが、傷口を閉じるため肩を炎で焼く。
騎士としての矜持なのか、はたまた感覚が鈍っていたのか。バゲル騎士は眉を顰めることはあっても、決して叫びを上げたりしなかった。
その後兵士たちが持って来た水で布を湿らせ、傷口付近を軽く拭う。応急処置の後は衛生兵に引き継ぐべきなのだが、バゲル騎士が少し離れた場所で待機させた。
『私に聞きたいことがあるのだろう。治療代として応じるが、この有様だ。出来るだけ手短に済ませてくれ』
『バゲル騎士が聖魔塔の魔法陣を最後に確認したのは、いつですか』
『あの空間への立ち入りはそもそも禁じられていた。実験のためだと言われればそれ以上追及する気にもならん』
『では、その時点で恐らくカレディナは居なかったと思います』
驚きに声を失うバゲル騎士の姿は、キサラの目に痛ましく映った。聞けば最近になって実験を主導していた男が失踪、そこで初めて空になった魔法陣を見たのだという。
「被検体」の捜索をしようにも、捕らえられていた堕天使の姿など知るはずもない。“悪魔”と呼称していたのは、その方が体面を保てるからだ。
“穢れ”になった怪物たちは、バゲル騎士とは違い実験室に通されていた。何かと雑務を押し付けられていたようだが、地下の魔法陣自体が極秘事項である。人手が足りないと言われれば、納得するより他にない。
彼らは出世に対し貪欲で、バゲル騎士よりも御しやすい。それに戦闘階級も手頃だったことから、取り込みやすかったのだろうとイヴァラディジは語った。
逃げ出したラヴァヌは「堕天使・カレディナ」であると虚偽の報告が上がり、バゲル騎士はその捜索にガヴェラを加える。というのも、ガヴェラは何故か実験の存在を知っており、「関係者」だと騙られたのだ。
証拠として披露された「魔法陣や魔物に対する知識」は実に豊富で、専門家として遇するのに不足はない。秘密を保持して協力すると申し出られれば、断る理由もなかった。
『元々、ある計画が動いていた。先入観があったのは否めない』
『それで魔人とは別の実験をしていると、誤認したんですね?』
『ああそうだ。堕天使を、天使として再誕させるという途方もない計画だった』
『つまり、カレディナを天使として解放する、と?』
『愚かなことだ。私はそれを信じた』
堕天使が天使に戻るなど、俄かに信じ難い話だ。けれどバゲル騎士は結果としてそれを信じ、謀られ、魔人が誕生するに至る。
『カレディナは、この塔の堕天使は、どこへ行ってしまったのでしょうか』
こことは別の場所へ移されたという可能性もあるが、ガヴェラの言葉を信じるのであれば「既にこの世には居ない」。だがバルセルゲンはその場合「鐘が鳴る」と言っていた。一体何が真実なのか。
『研究員を探せば全て明らかになるだろう』
『……魔人に関する告発の書状は既に出来上がっています』
『バルセルゲンの指示だな。ならばそれを速やかに王都へ提出してくれないだろうか。この事態は私の落ち度であるが、この通り、しばらく動けそうにもない』
バゲル騎士はそのまま脱力し、目を閉じた。待機していた衛生兵がこちらに来ようとしていたが、まだ駄目だと首を振る。
『ハドロニア様はどうなりますか』
『罪に問われることはあるまい。こちらが妨害行為を恐れ、無理矢理牢へ繋いだのだ。……奴は知っていたのだな、あの部屋で何が行われていたのか』
なんと言葉を紡いだら良いのかわからず、キサラは頷くに留まった。気配だけで動作を感じ取ったバゲル騎士は、どこか自嘲気味に笑った後、ため息交じりに「これで終わりだ」と零す。聖魔塔のことか、はたまた自身のことか。諦めのような色が漂っていた。
堕天使を繋ぎとめる封印、聖魔塔。名実共にその目的を失った今、怪物を閉じ込める機構と化した。
知らず、キサラの拳に力が籠る。緊張に体が震え、大きく息を吐いた。これは、キサラが言うべきことではないことだ。
しかしバルセルゲンは、きっと生涯「そのこと」を口にはしないだろう。
『魔人は、彼は、──ラヴァヌという、青年です』
『ラ、ヴァヌ。では、彼は』
バゲル騎士は弾かれたように起き上がり、痛みに顔を歪める。無事な方の腕で顔を覆い、肩に視線を滑らせた。
『
ガヴェラの与えた“罰”は手緩い。ガッと肩に爪を立て、塞がったばかりの傷口から血が滲み出す。今度こそ衛生兵が駆け寄って、バゲル騎士を拘束した。抑えつける中には、バルセルゲンの姿もあった。
『知ったのだな』
という声と、『すまない』という絞り出したような声。バルセルゲンには最初から、バゲル騎士が「魔人の計画に加担していない」という確信があったのだろう。だから責めるような素振りはないが、協力を求めることもしなかった。
バルセルゲンがバゲル騎士へ事情を打ち明けていたのなら、もっと早く状況が動いていたのではないだろうか。キサラはそう思わずには居られなかった。説得し、理解を得られたのなら。
バルセルゲンは最後まで、自分の手で彼の「幻想」を壊すことはしなかった。堕天使が天界へ還るという夢物語をそのままに。キサラにはわからない。自身が牢へ押し込められる時間を良しとし、彼の息子が「悪魔」として追われるのを、許す程のことだったのだろうか。
人に戻れないという重みを、ラヴァヌという青年が背負うだけの価値が、その幻想にはあったのか。
部外者に推し量れるものではない。キサラは諦めて踵を返した。
「おーい!」
「あ、オルデルさん」
「いやぁ、君たち無事だったんだな。魔物が大量に侵入したんだって?」
「どうしてここへ?」
「もう安全だからって準騎士様が。幾つか確認を取って、順に牢を解放してるんだよ。まぁ夜の内はどうせ出られないから、今は良いやってのが多いかな。俺は出て来たけどぉう!?」
オルデルはキサラの後ろからのそりと現れたイヴァラディジに驚き、後退った。一応大丈夫だと伝えると、若干構えてはいるもののそれ以上は騒がない。
「君たちは夜の間どこで過ごすんだ?」
「兵士用の休憩室にお邪魔する予定です」
「そうか。じゃあまた明日会いに来るよ」
チラ、とイヴァラディジを見た後、オルデルは逃げるように走り去った。それと入れ替わるようにして、兵士の案内でシュヒアルとラギスが合流する。
「全く、調書用の取り調べが長いったら」
「お疲れ様。そういえば聞き損ねていたんだけど、タスラとシーラはどうしてる?」
「森に守られているから平気よ」
「今はお客様だからねぇ」
「ファリオンの方は適当に合流出来るでしょう。そういう取り決めもしてあるのだし」
焚火のところにバルセルゲンが寄って来た。夕方頃はあんなに体力を消耗していた様子だったのに、恐ろしく回復が早い。動けないバゲル騎士に代わり、現場を取り仕切っていたというのだから驚きだ。
「ハドロニア様」
「夕飯の準備が出来たら君たちに真っ先に出すよう命じてある。もう少しかかりそうだが、大丈夫だろうか」
「問題ないです、ありがとうございます」
「人手が足りないのでしょう? ワタクシたちに構っている暇があって?」
「対応が後手に回り申し訳なく思う。高貴なる御仁に相応しい部屋も用意してある」
「あら、監獄に貴賓室があるの」
「時折視察が訪れることもある故」
「そう。ワタクシも貴方がたも、最低限の体裁は取り繕わなくてはね」
名残惜し気な顔をしてシュヒアルは立ち上がった。伯爵家の令嬢が兵士の宿舎で寝起きするなど、監獄塔側もシュヒアル自身も外聞が悪い。出立までは碌に話も出来ないだろう。
「また明日、キサラくん」
案内を担当するのは、バルセルゲン直属の部下であり、牢に潜入していたという準騎士だ。彼自身も貴族なので、作法に問題はない。そのまま流れるように誘導して行った。
「さて」
ここからが本題とばかりに、バルセルゲンはドカリとその場に腰かけた。社交界に披露目がされていないとはいえ、相手は貴族階級のご令嬢。やや緊張があったのか、少し気の抜けた表情である。
「……あの書状なのだが、引き続き君に持っていて欲しい」
本来であれば自由になったバルセルゲン自身で動きたいところだが、監獄塔は騎士を四人も失った。彼らはただ騎士という称号持ちというだけではなく、部下の騎士や傭兵たちの指揮を執る立場である。
更に最高責任者であるバゲル騎士も重傷を負って動けないので、バルセルゲンは監獄塔から離れることが出来ない。
「勿論です」
バルセルゲンは、懐から手記を取り出した。バゲル騎士が地面に取り落としたものを、無事回収したらしい。
「この手記を君に預ける。
手記の上にポン、と何かが重ねられた。
「これって」
「紹介状だ。王都へ入る際提示すれば、宿も問題なく取れる。君たちはご令嬢の旅に同行しているというが、平民という身分では何かと苦労もあるだろう」
王都でも知名度の高い「ハドロンの槍」からの紹介状だ。これなら、入るまでが大変だと噂の関所もすんなり通してもらえるだろう。
「上手に役立てなさい。これは報酬ではなく経費として捉えてもらって構わない。いずれ必ず、君に何かを返そう」
テイザは何か言いたげだったが、「ラヴァヌ」がバルセルゲンの息子だと知った今、それを遮ることはない。「小屋には何もないが、どうか自由に寛いでくれ」と言い残したバルセルゲンを黙って見送る。
その後、夕飯を食べるまでの時間は順路の確認に充てた。
「予定していた旅程からの遅れが凄まじいな。これは冬に滞在する街をだいぶ手前に設定し直した方が良さそうだ」
「そうだね、この辺りとか?」
「……何事も無ければ余裕で到着するな」
夕食を食べ終え、宿舎に案内される。疲れも相まってか、部屋に到着して二人はすぐ眠りに落ちてしまった。その夜は何故か疑似空間へ招かれることなく朝になったが、キサラの頭は随分とスッキリしている。
「少し寂しくなるな」
キサラはオルデルと握手し、互いに別れを惜しんだ。巨体の魔獣にしか見えないイヴァラディジが傍に居るため、近付いて来たのはオルデルだけである。
しかしキサラたちが事態解決のため大いに尽力したという認識があるらしく、男たちは遠目からではあるが、皆一様に笑顔で手を振っていた。家に帰れるとあって、実に晴れやかな表情だ。
「どうか元気で」
「オルデルさんも」
バルセルゲンと、昨日は重傷であったはずのバゲル騎士が連れ立って現れた。キサラは驚きのあまりバゲル騎士の肩や足を交互に見たが、全く騎士というのはやせ我慢が上手い。
何かを察したオルデルは二人に場所を譲り、一つ頭を下げて離れて行った。
「塔の方は良いんですか?」
「君に感謝を伝えるのは何よりも重要な任務である。同時に、引き続き巻き込むことを謝罪したい」
「あくまで王都に行くついで、ですから」
「そう言ってくれるか。ありがたいことだ」
バルセルゲンはイヴァラディジの姿に臆することなく、首の辺りを「世話になったな」と軽く叩く。テイザにも挨拶をし、バゲル騎士と目を合わせ、顎をしゃくる。やはり本来は気安い間柄のようだ。
バゲル騎士は気まずそうにした後、一歩前に出た。
「キサラ、と言ったか。悪魔だ神官だなどと言いがかりをつけてすまなかったな」
「あ」
「……忘れていたのか」
「色々とその、あり過ぎまして」
「今後同じ失敗を繰り返さないことだ」
「ちょっと、兄さん!」
「ああ、約束しよう。もしも違えたら、また私たちを正しに来てくれ」
「甘え過ぎだ」
「冗談だとも。もう、目は覚めたさ」
キサラとテイザは揃って騎士二人と握手を交わした。少し離れた場所で待機していたシュヒアルとラギスは拒否したが、それも二人は笑って流す。
「君が居なければここは瘴気に呑まれ、最早人の立ち入れぬ領域となっていただろう。実に素晴らしい行いだった」
「人族はあまりにも軟弱に過ぎる」
「弱き者を挫かない魔物も、居るのだな」
「チッ、行くぞキサラ」
「ハドロニア様はありがとうって言ってるんだよ、イヴァ」
「だから気持ち悪ぃんだよ!」
鼻をフン、と鳴らしイヴァラディジが歩き出す。しかしキサラと離れてはいけないので、チラチラと振り返りながらだ。
「はは、彼は『優しい』のだな」
「そう、みたいですね」
「契約ではなく友情と来たか。君たちは何というか、規格外だな」
良いものを見せてもらった、とバルセルゲンは笑って背中を叩き、キサラたちを送り出す。きっと息子を失ったとは思っておらず、諦めてはいないのだろう。
魔物と成り果てた「ラヴァヌ」と共生する未来を、キサラとイヴァラディジの関係性に見たのかもしれない。
「良い旅路となることを」
「良き日々になることを」
シュヒアルの取り出した馬車に乗り込み、座席から遠ざかる景色をいつまでも見つめた。
多くの魔物と、人々の心すら囚われていた場所。解放されたのは、幽閉されていた「若い男」たちに留まらない。出会った時とは全く違う表情をしている騎士二人を見て、キサラはそう思った。
森を目指す馬車の前には、行く手を阻む騎士などもう居ない。
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