41. 弟子の暗躍


 外の騒ぎをすり抜け、一人悠々と廊下を歩く。テイザなどは「無駄に引っ掻き回した」と怒るだろうが、ファリオンには明確な目的があった。


「よくもこれだけの本を搔き集めたものですね」


 ズラリと並んだ本の背表紙をなぞりながら表題を確認し、一つ二つと腕に抱える。経費で買っていたとは思えないが、全て手にするのにはとんでもない金額がかかるはずだ。


[貴重な書があればこちらへ転送しておいてくれ。どの道その研究室に主は戻らないだろう]

「それよりも、皆さんへの言い訳は師匠が考えてくださいね。高性能の偵察用魔導具さえ壊さなければ、あれだけ回りくどいことをしなくても簡単に辿り着けましたよ」

[仕方あるまい。魔王の称号が相手では、こちらも多少分が悪いということだ]

「そもそも魔王の城に偵察用の魔導具を飛ばそうだなんて、どんな命知らずですか」


 ファリオンはボヤきながら次々と本を選んで行った。抱えきれない程多くなると、その場に広げた布の上へ一冊一冊積み重ねていく。


 監獄塔は「侵入者」を認識したことで、警備が厳重になった。当初の予定では「最も人員が集中している場所」を割り出すつもりだったが、起きた変化と言えば巡回や見張りが増強される程度。別段配置が変わったり、過剰に人が回される様子は見られなかった。


 なので少し手間だったが、人の流れを確認し「不自然なまでに誰も寄り付かない場所」を探り当てたのだ。主にここでは研究の際に参照されたであろう書籍が山とある。

今後これらの内容が辿られれば、幾分か時間はかかっても“魔人”という人造の魔物が再現可能になってしまうだろう。ファリオンはその痕跡を後世に残さないよう、研究理論に直接繋がりそうなものを取り除きに来たのだ。


「師匠、監獄塔の騎士とはどこでお知り合いに?」

[なんだ、馬車を通報したのが吾だと気付いていたのか]

「いくらあの騎士に思慮や礼節が足らなかったとしても、最低限の分別は持ち合わせているでしょうから。よっぽどの人物から命令でもされなくては、貴族の馬車など囲いませんよ」


 モンドレフト伯爵の養子となったシュヒアルは、まだ社交界に出た事がない。そんな中で彼女を「魔女」だと認識している人間など限られている。騎士を思うさま動かすことが出来る権力を持った上で、本当に魔物が居ることを確信している人物など“預言者”だけだ。


「転送の魔法陣、術式展開します」

[受領する。ご苦労だった]

「目ぼしい物は全て送りましたので、選別はそちらで行ってください」


 それにしても室内は随分な荒れようだ。執務用と思われる立派な机は無残な姿、そして椅子に至っては大破している。下へ続く階段も見えるが、「そこまで踏み込む必要はない」というのが預言者の判断だった。


[では速やかにその場を離れるように。そしてくれぐれも]

「『人間に手を貸すな』。わかっていますよ」


 探知用の魔導具を使い、凡そどの辺りに人が居るのか、動きや位置関係を確認して進む。するすると間隙を縫うようにして、まずは中央塔を出た。


(あれは……)


 上空には巨大な魔法陣。何かが飛び込んで行くのは見えたが、遠すぎてそれがどんな生き物だったのか、色も形も判別出来なかった。

 外套の隠しから魔石を取り出し、魔法陣に向けて翳す。たった今陣自体は掻き消えたのだが、直前まで魔法陣が展開されていたとは思えない程綺麗なものだ。魔力の残滓すら確認出来ない。


(魔法的な術式展開ではなく、魔術の要素が強かったのか?)


 ちょうどファリオンが使用した転移陣のような。ジッと考えていると、今度は監獄塔の敷地全体に結界が張られていく。

結界は只人の目には映らないので、魔石越しに視た今「そもそも結界が破られていた」という事実を知った。


(これも各地で起きている『異変』の一部なんでしょうが……)


 そもそも、“魔王”が城ごと人間界に現れた時点で「国全体の護りが弱っているのではないか」と予測が立っている。ただ、預言者が言うには「魔王は魔力の操作に長けており、新たに術式を編み出し世界を渡って来た可能性も否定は出来ない」ようなのだ。


 ファリオンが細心の注意を払って敷地から抜けようとした時だった。人目を避けるようにして走り去る大男が見える。肩には気を失った青年を担いでおり、只事ではない雰囲気だ。


(誘拐……?)


 それにしては、随分と乱暴な扱いである。彼らが脱獄した囚人なら納得もいくが、その場合足手まといな人間など捨ておくはずだ。


 ファリオンという男は、後から「あれは一体なんだったのか」といった疑問を抱くのを嫌う。ほぼ迷いなく不審な大男の後を追った。


 一定の距離を保って気配を殺し、音を立てないように移動する。監獄塔を離れた森の中、大男は仲間たちと合流し、肩に担いでいた青年を「よいせ」という掛け声と共に地面へ転がした。ファリオンが望遠用の魔導具で覗けば、そばかすが特徴的な顔立ちが良く見える。


 そばかすの青年はハッと目を覚ましたかと思えば、自分を見下ろしている屈強な男たちに気付き身を縮めた。男たちは一様に落胆して見せ、呆れを含んだ溜息を吐く。正面の切り株に腰を下ろした女もまた、同様の反応だ。


「この上ない失態だねぇ」


 責めるような口調ではあるが、呆れたような苦笑いで「仕様のない」と言っているかのようだ。地面にペタリと座り込んだままの青年は、下から恐る恐るその美女を見上げる。


「姐さん、あの、俺、持ち出しはしたんすよ。でも、あとちょっとってとこで幽霊が」

「なぁにが幽霊だ。んなもん張っ倒せ」

「馬鹿をお言いでないよ、実体がないから『霊』って言うんじゃないか。アンタは黙ってな。それで? 幽霊だって根拠が知りたいねぇ。何せアタシは、生まれてからこれまで一度もそんなものお目にかかったことがないからさ」

「壁のとこを出たら、死んだはずの騎士様が縛り上げられてたんすよ!」

「縛られてただぁ? 体あんじゃねぇか!」

「呆れたもんだ、そりゃ幽霊なんて愉快な輩じゃないね」

「でも俺、確かに『死んだ』って聞いたんすよ!」


 なおも幽霊だと言い募る青年に、男たちは苛立ち始めていた。盗みの失敗だけでも充分情けないが、言い訳など見苦しくてとても聞いていられない。

しかし「死んだはず」という物言いは些か妙である。それに顔色などの様子からして、全くの作り話というわけでもなさそうだ。


「さてね、どんな事情があったにせよ失敗は失敗だ。憲兵隊の連中も馬鹿じゃない、もう二度と盗めやしないね」

「どうします、姐さん」

「今回は諦めるしかないだろうね」

「いいんですかい」

「アンタらもご苦労だったね。今更どうにも出来ないよ」

「コイツに甘すぎやしませんか」

「仕方ないだろう? 顔が好みなんだ」

「エッ」


 ぶわわ、と一瞬にして全身を真っ赤に染めた青年を見て、女は満足そうに笑みを深めた。驚いたように両者を交互に見る者、同情するように青年を見る者、複雑な表情で女を見つめる者など、反応は様々である。


「さて、今回の事は真面目に考えないとならないよ。盗賊が横から宝を盗み取られるなんざ笑い者も良いとこだ」

「姐さん、コイツ想像以上に使えやせんぜ」

「そうさな、アタシもその意見にゃ反論出来ないね。アンタが手解きしてやんな」

「え、俺ですかい」

「嫌だってんならそれで良いさ。代わりにアタシが直接」


 まるで獲物を定めたかのように、女は青年から目を離さない。本来上唇を舐めて寄って来る姿など色気を感じさせる仕草なのだが、眼光や漂う雰囲気のせいで恐ろしい光景にしか見えなかった。

短く悲鳴を上げ跳び上がった青年を、一際大きな男が背後に庇う。


「姐さんに渡したら死んじまうや。俺がキチンと面倒見やすぜ」

「何言ってんだい、まるで二、三人殺したみたいな言い方じゃないのさ」

「その死にかけた一人が俺なんでね。お前ら、サッサとコイツを連れてってやれ。何としても俺たちで仕上げてやらねぇと」

「まさか姐さんの好みにハマっちまうなんてな」

「姐さん、見た目だけは極上なんだがなぁ。如何せん中身が……ひぃっすいません!」


 男たちはあっという間にその場から逃げ出したが、青年を背後に庇っていた大男だけがまるで生贄のように取り残された。


 ふん、と鼻を鳴らした女は、不機嫌さを隠すこともなく再び切り株に腰を下ろす。豊満な胸がその衝撃で大きく揺れた。


 女は、気の強さが現れた迫力の美貌に、嗜む程度の化粧を乗せている。首から下は大きく蓄えられた胸部、引き締まった腰、柔らかく突き出た臀部の持ち主だ。日に焼けた肌は健康的で、どこか艶やかである。


 見慣れてもなおソワソワと辺りが色めき立つ程の美女、なのであるが。彼女はどんなときでも一切の隙がなく、冗談にならない程の戦闘力を誇っている。実力一つで盗賊団の頭に収まるような、そう、早い話が「おっかない女」なのだ。


「にしても妙な話だ、違うかい?」


 青年の話には奇妙な「二人組」が出て来た。何でも気絶した幽霊を引きつれており、その出で立ちも随分変わっていたのだとか。


「本当にヤツが例の宝を持ち出したとして、そいつらの手中でしょう」

「オマケに監獄塔の地図まで持って行かれちまった。貴族様が一体何の用だろうねぇ?」

「そりゃ決まってますぜ、相当に後ろ暗いことがあるんでさ」

「アタシらの予定を大幅に狂わせたんだ。たっぷりお礼をしてやろうじゃないのさ」


 青年から詳しく特徴を聞き出すことで方針は定まった。また邪魔されては敵わない。


 悪い顔で笑う彼女に、正直大男はグッと来た。彼らにとって、彼女は極上だ。見た目だけではなく、その腕っぷしに一体何度惚れ直したことか。


 馬鹿みたいに頭をポヤポヤさせながら女の後ろを付いて行く大男を見て、ファリオンは額に手を当て脱力した。一体何を見せられたのか。


 時間の問題だとは思っていたが、やはりシュヒアルはキサラの居場所を探り当てたようである。想定外だったのはちょうど盗賊団が監獄塔で盗みを働いていたこと、そして彼らが盗み出したお目当ての物をシュヒアルが横から取り上げたことだ。


(一体お付きの者は何をして、いや)


 本来使用人は、シュヒアルを令嬢として諫めるべきだが幸か不幸か彼女の執事は上級魔族である。嬉々として、或いは率先して盗んだに違いない。ファリオンが監獄塔を引っ掻き回したとき、恐らくテイザはちょうど今のような心境だったはずである。


(──と、呆けている場合ではない)


 確か盗賊団の青年は「壁のとこを出た」と言っていた。つまり外を行き来できる箇所が存在している。何故、外部の者がそれを知り得たのか。


 今一度戻ってどこが該当する壁なのか確認しなくては。というよりも大男が走っていた位置から逆算すれば、自ずとわかりそうなものだが。



 そうして来た道を戻っている最中、監獄塔まであと僅かという距離でファリオンは足を止めた。ちょうど何の変哲もない壁が開き、中から誰かが出て来るところだったのだ。サッと身を隠し、様子を窺う。


(あれは──)


 牢で見た顔だ。確かキサラやテイザと同じ牢に入っていて、ジェリエと呼ばれていたはず。こうして自由に出歩いているということは、他の牢も含め解放されたのだろうか。


 観察を続けたが、後から誰かが出て来る様子はない。傍に誰も居ないのは、単独行動をしているということだろう。


(あれは、通信用の魔導具)


 平民ではない。ファリオンは警戒を強め、更に気配を押し殺す。ただの音を交わすそれではなく、より技術力の要求される「映像共有型の通信魔導具」をジェリエは持っていた。国内でも所有の限られる超一級品である。


「大丈夫ですよー、なんとか終わりましたー」


 「終わった」。事前にジェリエが収容されると知っていたか、ある程度の情報が共有でもされていない限り使われない言い回しである。であればこれは「報告」か。


「詳細は後日明らかになるかと思いますのでー」


 「把握していない部分は後々明らかになる」という含みに聞こえる。この場では任務終了報告に徹しているようだが、それ自体が重要なのだろう。


「そういえば面白いことがあったんですよー。キサラっていう子供なんですけどー、彼に出会えただけでも潜入した甲斐がありましたー」


 そういえばキサラの「体」が弱っていた際、火について言及したのは彼だった。一人だけ何か別のモノを見ているかのような言動をして、なおかつそれは正確である。


(誰の差し金でしょうね)


 常に間延びした敬語で話すため、魔導具越しに会話している相手が彼より上の立場なのか下の立場なのかはハッキリとしない。だが、何らかの目的があって監獄塔に自ら入り込んだのは間違いないだろう。

一通りやり取りを終えたジェリエは、そのまま森の中に消えて行った。


 ファリオンの師匠は、近々動きがあるとして「盗賊団」、「憲兵隊騎士」そして「神官」を上げていた。もっとしっかり一言一言頭に入れるべきだったのだろうが、ファリオンは大半を聞き流して過ごしている。

 誰かにとっては「偉大な預言者様」のお言葉かもしれないが、弟子にとっては拾いきれない程の情報量だ。全てを一々吟味していたら、人生などすぐに終わってしまう。


『吾が全てを知るためにお前が目となれ。世界に対し二つでは、数が足りまいよ』


 ファリオンはその言葉と共に弟子となった。しかし今だからこそ言わせてもらうが、目が四つになったところで世界は圧倒的に広い。どう考えても自分一人が増えたところで大きな変化などないだろう。それに。


「ご自身が来られるなら、私は不要ではないですか」


 いつものことながらわざわざ背後に現れる意味が分からない。咎めるように睨むが、預言者は悪びれることなく弟子を見返した。


「客との相性が頗る悪かった」

「珍しいですね、お客様から逃げたんですか」


 先日などは肩に二人、背に二人、足に二人子供がよじ登っていた。それでも我関せずを貫いていた男が客から逃げ出すなど、珍しいこともある。


「なんだ、空を見たところで槍など降らないぞ」

「いえ、意外だったもので。苦手なものなどないとばかり思っていました」

「吾の手には負えん。繋ぎを頼む」

「はぁ。でもそろそろシュヒアル嬢と合流したいのですが」

「魔女は数日の誤差など気にも留めないだろう」


 余程「客」と対面したくないのか、常にはない強引さである。グイグイ押されたので、押し返そうとしたところでその姿はもう消えていた。


「預言者はどうした」

「……逃げられました」


 まさか現地に「客」の方まで現れるとは。やはり空を見上げたが天変地異の気配などは感じられない。再び視線を下ろして誤魔化すように笑った。何だか今日は、やたらと気の強そうな女性と縁がある。


「おい」

「預言者は『大事な用がある』ものですから、用件につきましては私が代わりに承ります」

「お前は」

「弟子の者です」


 見たところ、女性の育ちは良さそうだ。粗暴な口調に反してその所作は優雅である。美しい顔には苛立ちが見えるが、威圧感はない。


「貴女のお名前は」

「名乗らぬ内に尋ねるのがこちらの作法か? まぁ良い。私の名はディジラウという。よく励めよ、弟子」

「いえ貴女の弟子ではないのですが」


 魔王ダジルエレの側近・ディジラウ。魔界であれば誰もが知る名であるが、ここは人間界だ。残念ながらファリオンは、名前を聞いただけでその正体を見破ることは出来なかった。



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