38. 対面


「にしてもここの居心地は最悪だな」

「人の領域だから?」

「いや、それよりもここの造りだな」


 南西地区カレディナ監獄塔の中央塔は、真上から見下ろすと円形になるよう建てられている。地下にある魔法陣は塔を上から見た時、ちょうど中央部分に来るよう設置されていた。

魔法陣というのは形状が様々だが、魔力を奪う例の魔法陣は円形、つまり中央塔と同じ形である。なので陣から見て、中央塔自体が外円に当たるのだ。


 魔法陣と中央塔の形状が合致していることにより、建物全体が陣の一部と見做され、魔法陣の効果をうっすらと帯びているのである。


「少量にはなるだろうが、中央塔内部に入った時点で俺は魔力を吸われ続けるってわけだ」


 何度も改修があったというが、恐らく円だけは崩さないよう配慮されていたのだろう。そうやって長く効果が保たれた場合、付近に居るだけでも同様の効果が表れる個体も出て来るのである。

ちょうど、ラギスのような。


「単に相性の問題だろうが、幸い俺への影響力は薄い」

「しかし敷地内で遭遇した小物にそのような兆候は見られなかったように思うが。現に、どの個体も活発だった」

「そりゃあ小物だからだろうぜ。『体内の魔力保有量』自体が微々たるもの……いや、そもそもの話、魔力として感知されなかったんだろう」

「じゃあ、一定以上の魔力を持っていて初めて影響が出るってこと?」

「今まで強い個体に遭遇しなかったのはそういう理由があったのか」

「まァな。でも見てみろ、コイツらがこの調子で瘴気を撒き散らし続けりゃ、大抵の魔物は乗り込んで来るぜ」


 “穢れ”が常時瘴気を垂れ流しているので、時間が経過すればするほど人間側には不利である。何せ瘴気が広がれば人間の活動範囲はそれだけ狭まるが、魔物たちは逆に活性化していき、やがて強い個体が紛れ込むようになる。


「円の中心に居たっつー堕天使にとっちゃ、随分な拷問だな」

「それなんだけど、天使にも魔力が宿るものなの?」

「あァー……魔物ってのは魔核があるだろ。それと同じで天使にゃ『魔力を溜め込む器官』がある。マァあくまで魔核に似た器官、ってだけで魔核そのものじゃねぇが」

「そうなんだ。イヴァは天使にも詳しいの?」

「いんや、天界ってのは基本的に閉ざされた場所だ。今はどうか知らねぇが、中に居る天使族については謎が多い。それこそ器官の名称だが……どうせ聖核とかそんなんだろ」


 天使は魔物と似た器官を持っていることから、魔力に相当する、もしくは同等の力が宿っている、というのがイヴァラディジの見解である。ただし体に蓄えたものが魔力と同じ成分だったとして、名称は違うだろうとのこと。


「すまないが、途中で結界の状況を確認しても良いだろうか」

「マァそれが妥当だろうな。良いぜ」


 結界の展開場所に向かう通路はとても狭いため、イヴァラディジの体では通れない。そのためキサラとイヴァラディジは広い場所で待機することになった。

キサラが何か質問すれば面倒そうにしつつ、最終的には饒舌になる。やはり魔法について喋るのは、魔法使用者にとって特別なのだろう。


 気絶したままの“穢れ”たちを見張りつつ、二、三話をしているとバルセルゲンたちが戻って来た。


「で、どうだった」

「結界は人為的に破られたようだ。展開用に設置されていた魔導具が無くなっている」

「予備はねぇのか」

「カレディナの魔力から作り上げられたものだと聞き及んでいる。予備は無いが、破壊も出来ないはずだ」

「へぇ、大問題じゃねぇか」


 バルセルゲンは重く頷くと、一同を素早く先導し隠し部屋付近まで移動した。他の二人に待てと合図し、キサラとイヴァラディジだけ傍に呼ぶ。


「彼のことなのだが」

「ジェリエくんですか?」

「ああ。地下の部屋を見せるのは、この非常時であっても避けたい」

「目のことですね?」

「彼が何者であるかわからない以上、私は慎重にならざるを得ない。そこで君には悪いのだが、ここからは別行動を取らせてもらおう」


 元々地下の存在自体が監獄塔の機密事項だ。更にジェリエ自身の発言は、彼を「得体の知れない不気味な人物」に仕立て上げている。

今隠し部屋の魔法陣に何らかの細工を仕掛けられれば、監獄塔は全滅だ。バルセルゲンがジェリエを警戒するのは、自然な流れといえる。


「では我々は引き続き魔導具を探す」

「わかりました」


 バルセルゲンとジェリエは魔導具探しへ移り、キサラたちと二手に分かれた。仮にジェリエの目のことがなかったとしても、それが最善だっただろう。



「なぁキサラ。この赤目、お前に憑いてた悪魔だよな」


 階段を降り始めると、テイザがイヴァラディジを指した。様子からして、ずっと確認を取りたかったのだろう。


「そうだよ、兄さんよくわかったね」

「見た目の印象から割り出すのは難しいが、喋り方がな。それで、体調に影響はないか」

「今のところ特には」


 ホッと息を吐いたテイザだったが、イヴァラディジが実体を得たことについて何かを聞くことはなかった。キサラの体がこれ以上、悪魔に乗っ取られることはない。それが何よりも喜ばしかったのである。


「もし事態が悪化したらすぐに切り上げるぞ。俺たちがこんなことに付き合う義理はない」


 今までどんなやり取りをしていたのかは不明だが、テイザとイヴァラディジの関係が良好でないことは察せられた。時折目があっても、互いに睨み合っている。



「ここが噂の地下室か。酷ぇ部屋だぜ」


 だがこんなときには気も合うのか、テイザとイヴァラディジはサッサと魔法陣へ近寄った。“穢れ”たちを改めて拘束し直して、中央に横たわらせる。


「確かに瘴気が吸われていくな」

「取り敢えずは一安心だね」

「後のことはあの騎士崩れがどうにかするだろ。地上へ戻ろうぜ」

「気になってたんだけど、これって魔法まで吸い取るの?」

「大前提として、“魔法陣の領域”で魔法を使うのがそもそも無理な話だ。効果自体は関係ねぇが、そうだな。こんだけ瘴気が排出されているにも関わらずこの吸収力だ。魔法を放ったらほぼほぼ吸われて終わりだろうぜ」

「確か以前預言者の弟子も似たようなことを言っていたな。魔女と使い魔に期待はするな、だったか」

「じゃあファリオンさんはここの存在を知っていたのかな」

「いや、『塔に魔法陣が設置されている』とだけわかっていたみたいだ」


 その場の魔素や体内の魔力を使って展開する魔法とは違い、魔術は魔導具に組み込まれた魔石によって作動する。そのため、魔法陣から来る影響はほとんどないらしい。

だからこの魔法陣が存在していても、結界用の魔導具は問題なく運用出来るというわけだ。


「となると次は魔導具探しか」

「全く面倒な話だな。……、ッ、なんだ?」


 イヴァラディジは勢いよく顔を上げ、天井を睨みつけた。鼻先に皺を寄せて唸る姿を見ると、キサラとテイザは魔法陣、ひいては“穢れ”から距離を置く。


「魔力の塊がとんでもねぇ速さでこっちに向かって来てるぜ」

「瘴気が下りて来てるってわけではないよな。とすると魔物か?」

「チッ、なんでこの中を平然と動き回ってられんだ」

「ここで戦闘になったら敵わない、キサラ、さっさと地上へ」


 しかし、扉に足を向けた時にはもう遅かった。


「寒っ」


 冷気が床から吹き上がり、辺りの温度が一気に下がっていく。最早息を吐くだけで空気が白く濁り、キサラは震えが止まらなくなった。


 見れば扉の前。床からドロドロとした何かが湧き出ている。

液体というのは大抵上から下へ流れて行くものだが、それは上へ上へと伸びあがり、やがて人型になっていく。


 絶え間なく呻きのような声が漏れ出し、床から溢れたナニカは部屋の中に入って来た。


「ア、ア……」


 その魔物は、テイザを見つめたまま動かない。ドロドロとした液体も徐々に皮膚へと変化していくが、まだ全体的に流動性を見せている。それでも口元にはハッキリと笑みが浮かんでおり、「とても嬉しそう」だ。


「ミ、ツケタ……」


 喉の部分はまだ出来上がっていないようで、声がガサガサと掠れている。一方でテイザは困惑を隠せない。何せこんなに粘着質な体をした知り合いに、心当たりはなかったのだ。


「よぉテイザ、俺たちにもアイツ紹介してくれよ」

「俺だって知らないが」

「止せよ、知らない奴の顔見てあんなに喜ぶわけないだろ」

「兄さんのことを一方的に知っているのかも」


 瞬間、ソレは表情を失くし、皮膚の隙間からキサラを見つめた。濁った瞳を正面から見たキサラの肩が揺れ、無意識に数歩後退る。


「兄さン……?」


 ビチ、と音を立ててようやく全身が完成した。衣服こそ身に着けているが、それも液体から作り上げたものなのだろう。端の方が若干溶けている。


「兄上」


 ソレはテイザの顔を見てハッキリとそう呼んだ。しかしテイザの顔は怪訝そうに歪み、眉間に皺が寄る。


「俺の弟は一人だけだ」


 テイザがキサラの肩に手を置くと、キサラは戸惑いながらも頷いた。何せ二人きりの兄弟である。

魔物はそんな光景を呆然として見つめ、眉を下げて口元を歪めた。


「おお、おわ、お忘れか、私、私を。ラーミェル、ラーミェルです、兄上」


 深い悲しみを誤魔化すように、唇を震わせながらも必死で笑みを浮かべる。ラーミェルと自分の名を口にする度に掌で胸を叩き、必死で言い募っていた。


 とてもではないが、誰かを騙すための嘘や演技には見えない。悲しみや辛さや、葛藤が見え隠れしてる。やがてそれでもテイザの表情が変わらないのを見て、「ラーミェル」は瞳を揺らした。


「テージェル兄上」

「人違いだ」

「そんな。そんなことはない、その顔! その声! この私が間違うはずもない。貴方はテージェルで、私の兄上だ。なのに、それなのに、弟? 私ではない、そんな子供が? そんなはず、そんなはずはない!!」

「落ち着け、俺はテージェルなんて名前に心当たりはない」

「嘘だ!! 嘘だ。そう、嘘だ。……貴方は、また嘘を吐くのか」


 ふらりとよろめいて、ラーミェルは頭を抱えた。腕の間から変わらずテイザに視線を突き刺し、何事かをブツブツと呟いている。


「やはり間違いではなかった。私は間違っていなかった! 、俺はこれを成すはずだったのに!!!」


 辺りの空気を吸い上げるようにして、ラーミェルの腕へ風が巻き付いていく。怒気を孕んだ魔力に呼応してか、空気がビリビリと震え始めた。


「これまでの嘘を悔いるが良い、テージェル。そして許しを請うのだ」


 ラーミェルが叫びを上げながら腕を振るうと、巻き付いていた風がテイザ目掛けて飛び出した。凄まじい勢いを持った魔法を前に、テイザは避けることも出来ない。

 壁まで吹き飛ばされ、背中から激しく体を打ち付けた。しかし床に崩れ落ちることも許されず、そのまま風圧が加わって行く。


「カハッ、」


 咳き込むテイザに向け、いたぶるように攻撃が重ねられた。


「イヴァ、兄さんがっ」

「アイツどうしてこの空間で魔法を放てるんだ」


 腕、足、胴。小さく集束した風が絶え間なく続き、打撃として体に叩き込まれていく。テイザは身を捩ることしか出来ず、自力で抜け出すことは不可能だった。


「お前ら、走れ!」

「仲間だけは逃がそうっていうのか! お優しいね兄上!」


 ラーミェルは声を張り上げると、そのままテイザを横に吹き飛ばして床へ転がした。


「無様だな、テージェル」


 高らかに笑うラーミェルを見て、テイザも笑った。それを見たキサラは、弾かれたようにイヴァラディジの背に飛び乗る。


「イヴァ!」


 直進したイヴァラディジは口でテイザを拾うと、見事な切り返しを見せた。テイザは切り返しの際に浮かび上がった体を捻り、片腕でイヴァラディジの背中の毛を掴む。

そのまま強く腕を曲げて体を引き寄せ、キサラの後ろへと乗り上げた。


 背中の重みが増したのを感じたイヴァラディジは、グン、と加速しながら扉を潜り抜ける。


「嗜虐心に行動を支配されるとこういうことが起きる。よく覚えておけよ、キサラ」


 テイザは連発された風の衝撃を上手く流したが、大げさに痛がって見せることで攻撃を煽っていた。体力をある程度削ったと判断すれば拘束が緩むものである。などと得意気に語っているが、しがみ付くので精一杯なキサラにはほとんど聞こえていない。



「アニウエェッェエエエエエ!!!!」



 連発した風の束は魔法陣へと吸い寄せられ、放ったのと同じ勢いでラーミェルへ当たった。



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