39. 混乱


「おい赤目。さっきのアレ、魔法が魔法陣に吸われたのか?」

「でもどうして急に? 今まで兄さんにぶつかってたよね」

「そりゃ対象が部屋から出たせいだ。魔法ってのは基本的に距離によって影響力が変わる」


 「攻撃対象」として指定されていたテイザが部屋から出たことで、テイザとラーミェルの距離よりも、ラーミェルと魔法陣の距離が近くなった。そのため陣に刻まれた術式が今度こそ正しく効力を発揮したのである。


 そんな解説をしている間にも、イヴァラディジは凄まじい速さで移動し続けていた。長い階段ですら一息で、床ごと机を吹き飛ばして地上に出る。

こうして複雑な通路を駆け出したイヴァラディジだったが、テイザが後方を確認すればラーミェルも中々の速さで追いかけて来ていることがわかった。最早あの追い上げは人間のそれではない。


「状況を俺に報告しろ」

「舌を噛んだらどうする」

「乗馬は得意つってたろ」

「馬と張り合える乗り心地だと思ってるのか。せめて鞍を付けろ」

「奴の様子は」

「まず一定の距離は保ててるな。遠目から見てもわかるくらいの損傷もある。さっきの魔法が何か所か当たったみたいだ」

「再生してる様子はあるか?」

「ここからは何とも。肩、腹部、足元が部分的に欠けているが、損傷部位とその付近がドロッとしてるように見える。部屋への侵入時と同じ粘性の液状だ」

「修復中か」


 会話を聞いてキサラの背筋がぞわぞわと粟立つ。最後に放たれた魔法が、もしテイザに当たっていたら。


 肝を冷やしたキサラとは対照的に、イヴァラディジの機嫌は良さそうだ。曰く「人族に魔法を跳ね返される間抜けなんざそう拝めねぇ」から、らしい。


「そういえばイヴァ、『瘴気による供給』っていうのが無くなったけど、消耗具合はどう? 確か今も魔力を吸われ続けてるんだよね?」

「まだ余裕だ」

「なら、魔法は使えるのか?」

「あァー? マァ少しぐれぇなら試しても構わねぇか」


 ボボボボボ、という音と共に火の塊が五つ出て来た。しかしその場に留まることはなく、発生と同時に後方へ。そのまま滑るように通路を流れて行く。


「勝手に飛んで行った?」

「魔法陣に吸われたんだろう。だがあまり強力な魔法は使わない方が良いな。中央塔が崩れでもしたら、地下の魔法陣もどうなるか」

「一理ある。これが最後の一発だ」

「おい!!」


 バシュ、と一際大きな炎が現れ、同じように後方へ飛んで行った。ほどなくして怒り狂ったような声が響いたので、無事当たったようだ。


「で、これいつになったら外に出られるんだ? もう窓割って外出て良いか」

「止むを得ないな。全部アイツが壊したことにしよう」

「こんな時ばっかり気が合う……」


 イヴァラディジは体の周り、テイザとキサラを覆うようにして瞬時に結界を張ると、窓を割って外へ飛び出した。

僅かな滞空時間、胃ごと持ち上げられているかのような浮遊感の後ダン! と地面に着地する。驚きに心臓をドコドコと鳴らし、キサラはぐったりと背中にもたれかかった。


「嘘だろたかが四階だぞ!? どこまで弱い生き物なんだお前!」

「黙れキサラがまるで軟弱であるかのような物言いはやめろ。普通の人間なら四階どころか二階でも下手したら大怪我だ」

「そんな馬鹿な話があるか、それなら背中に乗ってるだけで壊れちまうだろ。おい、もう降ろして良いか? 死ぬ? 死ぬのか? キサラおい」

「うろたえるな、追い付かれるぞ。いや待てキサラ大丈夫か? キサラ??」


 外には待機していた傭兵たちの姿があった。彼らはまず大きい魔獣(のように見えるイヴァラディジの姿)に驚き、次いでそれに跨るテイザと、ぐったりしているキサラに戸惑った。

そしてとんでもない形相で接近してくる魔物に気付き、絶叫と共に混乱状態に陥る。


 一部の傭兵たちはラーミェルに対し攻撃を仕掛けたのだが、片腕一つで弾き返されてしまったようだ。


「ありゃァ、ちょっとやそっとじゃどうにもならねぇくらいお怒りだな」

「炎で炙られて喜ぶのなんてお前くらいのものだ。何とか倒せないのか?」

「俺が奴を倒す前に、まずお前の死体が地面に誕生だ」

「死ぬのか生まれるのかどっちかにしろ。なんで俺が真っ先に狙われる前提なんだ」

「アイツからしたら誰が放った炎かなんて視認出来ねぇだろ」

「何してくれてんだお前」

「マァ落ち着けよ。敷地内からアレを追い出して結界を張り直しゃ、晴れてこの追いかけっこは終了だ」


 それにはまず、バルセルゲンとジェリエが魔導具を無事に見つけ出し、作動させる必要がある。つまりあちらの邪魔をしないように逃げ回る必要があるということだ。


「待て、なんか聞こえるぞ」

「なんかってなんだ」


「ここって絶え間無くうるさいわね、一体何してるのかしら」

「さぁ、催し物でもしてるんじゃない。それよりもここを見てご覧? 複雑な造りが如何にもって感じだ」

「確かにそうね。牢の中には居ないようだったし、次はこちらへ向かいましょう」

「え、シュヒ?」

「お、キサラの意識が戻った」

「ッッッ!? この声はキサラくん?!?」

「どうしてこんなところに?」

「勿論、会いに来たのよ。それよりもキサラくん、この魔獣はどうしたの? あ、手懐けたのね? 流石だわ」

「魔女の癖に魔獣と悪魔の違いもわからねぇとは嘆かわしいな。付いて来るなよ鬱陶しい」

「は?! 貴方どうして外に居るのよ!」


 キサラは何よりシュヒアルの足の速さに驚いた。魔法を使っている様子もないのに、何故か生身で並走している。

一方ラギスは控えるように少し離れているが、これは追い付けないからというわけではなく、やや足取りに加減が見られた。


(そういえば前に)


 キサラは以前、シュヒアルから「魔法を得る代償に驚異的な身体能力を持つことになった」と聞かされたことがある。こうして目の当たりにすると、代償などとは思えないのだが。


「お前ずっとこの周辺を探っていたな」

「おや、話に加えていただけるので?」

「一度も中に入って来なかったろう。こことの相性が悪いんじゃねぇのか」

「まさしく。炎の悪魔よ、私めは何とお呼びすればよろしいか」

「好きにしろ」


 シュヒアルの使い魔であるラギスは、何故かイヴァラディジにだけ畏まった話し方をした。これにはシュヒアルも「貴方が他者を敬うことなんてあったの?」などと驚いている。


「シュヒ、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」

「……ッ!? キサラくんがワタクシに頼み事だなんて初めてね! 何でも言っ」

「ガァアアアアアアア!!!」

「本当にうるさいわねあの方。なんであんなにドロドロしてらっしゃるの」

「見たところアレが“魔人”じゃないかな」

「え、知ってるんですか?」

「ちょうど拠点近くに“穢れ”が四体落ちてたのよ。森が嫌がるものだから、あるべき場所へお返しして差し上げたわ」

「あれを放置したのはお前たちか。巻き込まれた青年が死にかけていたぞ」

「あら、そうだったの? 無事救助されたようで何よりね」

「“魔人”という名称はどこで知った」

「あれだけの呪いですから、大変に興味をそそられたもので。簡単に質問したところ何やら異形を造った、などと言うものですから。もらいました」


 どうやら魔人を造ったために呪いをかけられたようだ。キサラの読んだ手記に記載はなかったが、騎士たちも実験に一枚噛んでいたのだろう。バゲル騎士が無事だったことを考えると、直接実験に関わりがあったのはあの四人だけのようだ。


「人造の魔物か」

「どうやら人族に魔核を押し込んだようです」

「道理で魔法陣の影響もなく魔法が放てるわけだ」

「おや魔法を放ったのですか。アレが」

「それも件の魔法陣の目の前で、だ。元人族ならば魔法陣の領域など関係ないのだろうな」

「でもおかしいわね。復讐対象になるとしたら“穢れ”の方ではないかしら。どうしてキサラくんが追われているの?」

「いや、僕って言うか兄さんかな」

「待てキサラ、俺も奴とは初対面だ」

「そう、原因はわからないのね。対処法などは考えていらっしゃるの?」

「今ちょうどハドロニア様っていう元騎士の方が、結界用の魔導具を探してるよ」

「元とは言え、騎士様ねぇ。ワタクシ残念なことに良い思い出がないのだけれど、その方は信頼出来るのかしら」

「それは勿論」


 だって、と言いかけてキサラは気が付いた。後ろの彼が魔人と言うことは。


「ラヴァヌ」


 前方、魔導具を探していたはずのバルセルゲンが、呆然と魔人……彼の息子の名前を呼んだ。


「ハドロニア様!?」

「チッ、一旦この場で応戦だ」

「結界は?」

「まだ張られてねぇな」


 イヴァラディジはその場で急遽方向転換し、魔人と対面した。一方で魔人は、テイザ側の人数が多いためかすぐに襲い掛かって来るような素振りは見られない。相変わらずその視線は、テイザに固定されたままである。


「ハドロニア様、彼は」

「──成長し魔物に成り果てているが、あれは息子の『ラヴァヌ』だ」

「でも、彼は自身を『ラーミェル』と名乗っていました」

「ラーミェル? そんな名は聞いたこともない」


 父親がその場で名前を呼んでいるというのに、ここまで無関心になれるものだろうか。「テージェル兄上」と口にした「ラーミェル」は、他には目もくれない。


「テージェル……? ラヴァヌに、兄は居ない」

「失礼、お取込み中悪いのだけど、今お探しの魔導具とやらはどんな形をしているの?」

「君は……?」

「僕の旅に同行してくれています。協力者です」

「優先順位を違えてはいけないわ。貴方様のやるべきことは何かしら」

「すまない。魔導具の色だが、白だ。形状は盤上の駒によく似ているが、通常のものに比べて幾分か大きい」

「あら? それならワタクシ、持っているわ」


 一瞬全員が魔人の存在を忘れ、シュヒアルを見た。パッとどこからか現れた物はなるほど、バルセルゲンが語った特徴と一致する。


「まさか盗んだのか」

「そんなわけないでしょう? これが魔導具だなんて初めて知ったわ」

「主の言う通り、ここから逃げ出そうとしていた男が懐に忍ばせていたものだ。捕まえたときに気絶したから、その場に置いて来たけれどね」

「でもそれってその人から盗んでない?」

「あくまでワタクシたちは不審者から『押収』したのよ。実際持って来て良かったでしょう?」

「ではその地図の方は」

「勿論押収品よ。魔導具はどこへ運ぶのかしら」

「地図上で言うならここだ」

「では奉仕によって多少のアレコレは見逃してもらおうかしら。これも社会的に意義のある行いでしょう」


 手にしていた魔導具を振って見せてから、シュヒアルとラギスはその場を離脱した。バルセルゲンはその脚力を見て大丈夫だと判断したのか、それとも諦めたのか。剣を鞘から引き抜いて魔人を見据える。

ここでようやく、ラーミェルはバルセルゲンを認識した。


「人族ごときが、そんなもので何をしようって?」

「ラヴァヌ、私がわからないのか」

「誰の事だそれは?」


 ギュル、と音を立てて風の束が三つ飛来する。イヴァラディジは難なく避け、風の軌道からテイザとキサラを外した。次にバルセルゲンが剣で風を叩き切ると、その直後後方で何かが砕ける。


「なんだ、少しはやるのか」


 ラーミェルは全員が無事な様子を見て眉根を寄せ、中央塔を見上げて溜息を吐く。


「“天使の遺産”のせいで制御が上手く効かないなら、いっそ壊してしまうか」


 そう呟きながらラーミェルが一際大きな風の束を作り上げた。しゅるりと上下に伸ばされたそれは、一見すると小さな竜巻のようである。

ラーミェルが魔法を前方へ放出しようとしたところで、風は何事もなく離散していった。


「魔導具は効くようだな」


 バゲル騎士が手で合図すると、傭兵たちが一斉に魔人を抑えにかかる。いつの間に接近していたのか、訓練された無駄のない動きでラーミェルを囲った。


「神官がここを探っているという話を聞いた。もしや、そこにいる少年がそうか?」

「神官? 何のことだ」

「惚けるな、どうせお前の手引きだろうバルセルゲン。処分は追って下す」

「何をそんなに苛立っている」

「アレを逃がしたのも、どうせお前たちが共謀したのだろう」

「それじゃ辻褄が合いません。僕らがここに連行されたとき、あの魔人は既にこの塔には居なかったはずです」

「魔人? 何だそれは」


 バゲル騎士の反応から察するに、本気で魔人という言葉を知らない様子だ。


「地下の封を切ったのはお前ではないのか? 神官であれば簡単に……。いや、しかしそれならばお前たちがこの場に留まる理由がない。どうなっている?」

「……バゲル騎士。魔人という言葉をご存知ないようですが、中央塔で行われていた『実験』について、どの程度の知識がありますか。貴方はもしや、この手記の中身を知らないのですか」

「私には関係のない話だ」


 全容どころか、何も知らないようだ。手記に関してはいつでも閲覧出来たはずだが、読んではいけないと念押しでもされていたのか、知ろうという気持ちがそもそも無かったのか。


「その手記を返せ」

「彼が魔人でないのなら、一体何だと言うのです」

「耳慣れない言葉で私を惑わせるな!」

「この手記に書かれていることは、恐らく、貴方が想像しているようなものではありません」

「なんだと?」


 バゲル騎士はピクリと指を動かした。キサラの声の震えが、畏怖や緊張から来るものではないことに気が付いたのだ。

キサラは震える指で手記を開き、魔人構想の頁を開く。魔核移植の図が記されたそれを、正面に見せつけた。


「塔から脱走したのは“悪魔”なんかじゃない。魔物から奪い取った魔核を移植され、“魔人”という異形に成り果てた青年です」

「そんな馬鹿な話があるか!」


 バゲル騎士がキサラから手記を取り上げ、初めて目を通すであろう中身を見て絶句する。一心不乱に頁を捲り、徐々にその呼吸が上がっていった。


「馬鹿なっこんなこと、許されるわけが……」


 バゲル騎士はついに手記を取り落とした。顔に見えるのはこれまであったどの感情よりも強い、激昂だった。


 ではバゲル騎士は、今まで一体“何”を探していたのか。キサラは一つ息を吐き、足に力を込めた。


「誰からの指示かは知りませんが、貴方がたが追っていたのは、そこに書かれている通り“魔人”です。バゲル騎士、貴方が本当に追っていたのは一体『誰』だったんですか」


 バゲル騎士の揺らいだ瞳が、視界の端にバルセルゲンを捉える。


「神官では、ないのだったな」

「はい」

「我々が、追っていたのは」




「カレディナだよ」




 声がした瞬間、ラーミェルを囲っていたはずの傭兵たちが一斉に倒れ込んだ。中心に居た魔人ですら気を失い、地面に身を横たえている。

すぐ傍に立っていたバルセルゲンの剣は、高い音を立てて折れ、地面にそのまま叩きつけられた。


「お前は本当に使えない男だな、バゲル」


 そうして堂々と降り立ったガヴェラの姿が、キサラにはやけにゆっくりと見えた。



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