36. 魔女の怒り


「さぁて、この“穢れ”をどうする?」


 ラギスは次々に“穢れ”を拘束していき、簡単に四体が集まった。「暴れられると面倒だ」という理由で発見したら即殺し、再生中の無防備な状態で捕らえたのである。問題はその処遇だ。


 眠りについていたタスラやシーラ、道案内役のまるふさをまずは起こす。拘束はしたと告げ、しかし“穢れ”が視界に入らないよう目隠しをした。


「どこへ運ぶべきかしらね」

「元々の所在がわかっているんだから、そこにお返ししたら良いんじゃない?」

「でも、キサラを連れて行った騎士なんでしょう? 解放してもらったらどうかな」

「それは良い。お嬢様、早速拷問でもして聞き出そう。幸い死なないからこともない」


 ラギスの「拷問」という言葉を耳にして、まるふさがカタコトと震え出す。恐らく正確な意味はわかっていないが、不穏な空気を感じ取ったのだろう。


 三界の住民とされる種族の者たちは、基本的にどんな言語も操ることが出来る。

──正しくは「語る言葉が勝手に相手に伝わるようになっている」らしい。同時に相手が発する言葉も、大抵理解することが出来る。例えそれが初めて耳にした言語であっても、だ。


 国境などは大した問題ではなく、生物相手、何なら不死者という怪物相手であっても言葉を交わすことが出来るのである。魔女であるシュヒアルからしてみれば、何とも羨ましい能力だ。


「まるふさ、大丈夫、大丈夫だよ」

「きゅぅ」

「本当本当、タスラ、あっちに連れて行こ。シュヒアルちゃん様、取り敢えず皆に経過報告だけして来るね」

「わかったわ。でもちゃん様はお止めになって。シュヒアルちゃんと呼んでよろしくてよ」


 タスラとシーラに留守を任せ、シュヒアルはラギスと“穢れ”を伴い監獄塔へ向かうことにした。戻った際はキサラたちを連れている可能性もあるので、水や食糧の確保も頼んでおく。

拷問、ないし尋問は動物たちの目を避けられる場所で始めた。


「憲兵隊所属の騎士四名。氏名は、別に良いか呼ばないし。えー、全員性別は男。戦闘階級は……大体横並びで、うーん、三級ってところかな? はぁ、三級相手にこんな高度な呪いかけるなんて、術式展開の練習台にでもしたのかね」

「ワタクシが知るわけないでしょう。そんなことより三級相手といえ四人を一息に呪ったのよね? それって簡単に出来ることなのかしら」

「いいや難しいね。小物相手にこんな手間をかける意味がわからない」

「まぁこの際呪ったのが何者でも構わないわ。早くキサラくんについて聞き出しておしまい。今頃きっとワタクシからの助けを求めて震えているはずよ……!」

「はぁー、ダメだめ。聞き出したが最後、こんな奴ら放り出して愛しの坊ちゃんの下に駆け付けるでしょう? 順序は大事だよー、お嬢様。何をしてになったのか気にならない?」

「いえ? 全く気にならないわね。でも監獄塔にぶち込……ンン、失礼。牢屋に転がすのなら罪状が必要だと思うわ」

「転がすのは良いんだ?」


 異形に成り果てた騎士たちなど、シュヒアルにとって長く抱えていたい問題ではない。頭の中にあるのは魔法か、キサラのことだけで充分だ。


 対してラギスは、“穢れ”が呪いをかけられた経緯に興味があった。どんなことをすれば滅多に怒らない「彼」がここまでの魔法を揮うに至るのか。ラギスは最早口元の笑いが隠せない。


(断罪の真似事などして)


 魔王と呼ばれていた頃からして、「ガヴェラ」は異質な存在だった。それが今でも変わりないことに、ラギスは嬉しくてたまらなくなる。


 ラギスは適当な者を選び、足で顎を引っかけた。そのままつま先を上げ、無理矢理目を合わせる。


「一体何をしたんだい」

「が、ご……」

「さっさとお話になって。ワタクシ、これでも多忙の身の上ですのよ?」

「ぐ、ぐ」

「仮にも魔族を怒らせたのだから、騎士として誇るべきではなくって?」

「それは勿論。あれ、突然静かになったね。でもどこまで持つだろう」


 騎士たちの後ろ暗い行為が「悪魔召喚」に留まらないことは、シュヒアルもラギスも察している。ただ、「召喚した悪魔を討伐練習に用いた」くらいのささやかな悪行しか二人には想像出来なかった。

けれど魔界では弱肉強食が当たり前であるのだし、報復行為として呪いをかけたとは到底考えられない。


 特に使い魔は、魔力の気配から誰がこの呪いを齎したのかすぐにわかった。けれど見知った相手の性格上、裁きとして“呪い”を用いるなど、到底考えられないのだが。

 普段は飄々としていて、相手が誰であっても臆さず、怯まず、敬うことをしない。どちらかといえば怒られるのが得意な男である。


 だからこそ興味があるといえばあるのだが、正直な話をすると、ラギスは既に飽きていた。同じ顔触れがずっと同じ反応をしているだけ。何とつまらない拷問だろうか。


「貴方たち、早く喋った方が良いわよ」


 勿論、シュヒアルは善意で促した。しかし当の“穢れ”は戸惑いに瞳を揺らすばかり。


「察しが悪いな」

「ぐぁああっ!」


 ラギスの指の動きに、男たちが一斉にのたうち回る。激痛に耐え切れなかったのか、ついには聞いていない事までベラベラと喋り出した。



 それは長い長い時間だった。少なくともシュヒアルにとっては、気の遠くなる程長い時間だった。

いつの間にか夜が過ぎ、朝になろうとしている。


 しかしその場に日差しは届かない。ラギスはそういう場を選んだのだ。


 動物に聞かれず、見られず、干渉されない場。静寂を遮るものは何もない。

だがシュヒアルの頭は、耳から入って来た言葉で勝手に映像を作り出す。想像によって出来上がる光景ですら悍ましく、気分が悪い。徐々に湧き上がる怒りに歯を食いしばった。


 騎士たちのしたことは、シュヒアルにとって許しがたい行いだ。ほぼ反射的に拳で全員を殴りつけ、地面へ引き倒す。


「騎士? これが騎士だと? 魔物を蔑み弄ぶこんな連中が!!」


 どこの誰かは知らないが、この四体を“穢れ”へと貶めたことに拍手を送りたい。心底そう思った。人を人とも思わない連中が、これからは異物として世界に認知されることになる。挙句森からも“穢れ”と呼ばれ、排除されるのだ。

これを因果応報と言わずして何と呼ぶ。


「いいかよく聞け三下のゴロツキ共。魔女も召喚士も、そして魔術師ですら魔物を召喚後、その存在を尊重している。魔法陣へ現れた種族がなんであれ、同じ生命ある者として敬意を払うものだ。“制約”を誰もが理解し、『人智を超える力』には代償が要ることも、知った上で振るっているんだよ。それを、お前ら」


 苦しみ悶える“穢れ”たちを見ても、シュヒアルの手は緩まない。地面にヒビが入り、陥没しだした。それぞれの驚愕がやがて畏怖となり、「許してくれ」と乞う。魔女が何に怒っているのかさえ、わからないまま。


(『魔法を使う人間』の製造だと? 馬鹿を言え)


 魔物を屠るのが正義の世の中で、魔女を排するこの世界で。そんなものを造って何になる? “忌み子”を人為的に作り自由を奪っておきながら、尊厳すら踏み躙って。


「実験と称して子供を殴っていた癖に、腕を捥がれた程度で喚くな」


 耐久性の実験だったと尚も言い募る。そのために鎖に繋がれた少年を殴り、石を投げ、蹴り、踏みつけた。


『バケモノ』


 シュヒアルの耳の奥で女の声が響いた。その後も生き残った子供じぶんを責める声がする。そして憎しみの籠った眼差しが、瞼の裏から浮かび上がった。

母は目を血走らせながら我が子を罵った。癇癪を起しては物を投げ、壊し、暴れ回るのがシュヒアルの「母」の姿だった。


『見なくて良い』


 子供の視界を手で覆い、何も見えないように遮ったのが今の使い魔だ。


『ラギス』

『仕方のないことだ。人間にとって、“魔”は悪なのだから』


 そんなことはない。だって、今だって、この手は温かくて優しい。

泣き出した子供を、ラギスは抱きしめるようにして連れ去った。燃え盛る屋敷からそのまま攫って、どこまでも逃げたのだ。


 “魔に魅入られた者”の苦悩は想像を絶すると言われている。子供は名前を偽り姿を変え、逃げ延びた先ですら過去に囚われ続けている。


 “魔女”は酷く生きづらい。だというのにその在り方を、あろうことか無理矢理押し付けたという。

四体の“穢れ”は身寄りのない子供たちの体を切り開き、無理矢理魔核を押し込んだ。魔人などという異形に変転させようと画策して。

 実験と称し魔物を召喚し、悪さをしたわけでもないのに魔法陣に縛り付ける。生きたまま魔核を奪い取り、死ぬ瞬間を嘲笑う。それの繰り返し。


「下種が……っ」



『命はね、平等じゃないのよ』




 冷徹に放った母親の声が聞こえた気がして、「シュヒアル」は頭を振る。既に装っていた口調も表情も振る舞いも、全てが剥がれ落ちていることに本人は気が付いていない。ラギスはそんな主の姿を見つめながら、何事かを思案した。


「もういい。もういいわ、充分よ。人間の子供を殺害していたのだから、さすがに誰もが認めるでしょう。これは、罪なのだと」


 そして誰も、死んでいった魔物のことを憐れみはしないだろう。

いつだったかテイザは監獄塔を墓標と呼んでいた。ならば魔物たちにとっても墓場である。


 高潔な信念が死んだ場所。騎士の誓いが穢された墓。


「迎えに行きましょう」


 キサラは大切な存在だ。もしもシュヒアルが「生きていた」と証明出来る人が居るのなら、それはキサラが良い。魔女の、たった一つの願いだった。


(お優しいことで)


 ラギスは主の背後に立ち、かつてと同じように目元を覆う。犠牲になった子供は勿論、殺された魔物にも目を向けている。恐らく“穢れ”から漏れ出す瘴気に当たり過ぎたのだろう。精神面がやや不安定だ。


 肩で息をするシュヒアルを抑えつけながら、ラギスは目を閉じた。呪いを扱った魔族・ガヴェラは人族が好きだった。特に子供と仲が良かったと記憶している。だから、今回の行動にも納得がいった。


(そう、人間が大好きなんだ)


 ラギスも例にもれず。だからこんなところまでシュヒアルの手を引いた。立ち尽くす二人の下へ、大きなフロムが再び現れる。


〔風の民が力を貸す。身を任せなさい〕


 シュヒアルとラギスはそのまま“穢れ”ごと監獄塔へ飛ばされた。少々手洗い精霊魔法に四体は気絶したが、騎士と呼ぶには随分軟弱な生き物である。


「もう大丈夫よ、ラギス」

「そう? 坊ちゃんが居ないから、ここ数日どうも怒りっぽいね」

「だから会いに行くのよ」


 降り立った正面の門は固く閉ざされており、開く気配がなかった。ラギスも監獄塔の周辺では力が弱まるので、魔法に頼らない侵入経路を確保する必要がある。


「ねぇ、あそこ。いかにもって感じだ」


 ほらほらと手を取り、シュヒアルの腰を抱いたラギスが壁の前へ立たせた。飛び越えられる高さには思えないが、上を見上げていたシュヒアルの顎から頬へ、風が撫でつけていることに気付く。


「隙間風?」


 近寄れば小さく風の音が聞こえる。これがなんだ、とラギスに文句を言おうとした瞬間、突然壁が開いた。


「は?」

「ん?」

「あっ!」


 一瞬、全員の動きが止まった。壁の内側に立っている青年はしきりに目を泳がせ、気まずげに逸らした先で“穢れ”を視界に捉える。

あ、とシュヒアルが思ったのも束の間。彼は四体の顔を見て叫んだ。


「っぎゃー!! 幽霊だ!」

「落ち着きなさい、幽霊なんかじゃないわ。確かに何度か死んでいるけれど、一応まだ生きているんだからコレ」

「あわわわわ、閉店です!」

「えー、ここお店なの?」

「違うに決まってるでしょう。こら、開けなさい!」


 青年は慌てているとは思えない素早さで身を引くと、壁の一部をサッと閉じた。シュヒアルが開けろと言ったところで応じる気配はない。なので。


「人の話は最後まで聞きなさいよ」


 シュヒアルは仕方なく壁を拳で破壊し、そのまま怪しい青年を確保した。……堅固な壁を拳が一突きで突き破って来た上、そのまま胸倉を掴まれた青年は、確保されたというより「気絶したのを腕一本で支えられている」と言う方が正しいだろうか。


「本当に話を聞く気がないのね! 全く目を開かないわ!」

「まぁ無理だろうね。ほらお休みの時間らしいから寝かせてあげよう」


 すい、とシュヒアルの手から不審者を受け取ると、執事は恭しく持ち物を物色し始めた。特にこれといって目立つものはなかったのだが、小さな木箱の中から何故か監獄塔内部の地図が出て来た。


「便利そうなの持ってるね。ちょっと拝借しますよっと」

「あら、ここの塔随分と複雑な構造をしているのね」

「中央塔か。へぇ、すごく入り組んでいるみたいだ。よくこんなもの建てたね」

「ねぇラギス? ここも一応森の支配下にあるはずよね?」


 範囲的には森の一部だが、ここには森特有の清らかさがなく、空気が淀んでいる。


「仕方ない、起こして事情を聞いてみようか? おや、破片がぶつかったのかなこれ、ヒヒ、これ、ヒヒ、たんこぶってやつかな? 初めて見た、クヒヒ、」

「? 何かしら」


 使い魔のツボが全くわからないので、肩を震わせて笑い出したラギスを見なかったことにした。ちょうど動かしたときに青年の懐から何かが零れ落ちたので、素早く拾い上げる。


「駒かしらね。盤上遊戯で使うものによく似ているけれど……それにしては大きいわ」


 とはいえ青年が目覚めるまで待っている暇もないので、ひとまず“穢れ”と共に縛り上げた。近くの木の幹に括りつけておけば完璧である。


「じゃあ行きましょうか」


 意気揚々とシュヒアルは監獄塔の中へ消えて行った。青年の懐から零れ落ちた「何か」をしっかりと握りながら。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る