35. 脱出開始


 もしや見つかったのかとキサラは身構えていたが、うめき声のようなものの後に何かが倒れる音が続く。目の届く範囲には誰の姿も見えないが、どうやら見つかったのは自分ではないようだ。

ひとまず姿勢を低くして机の前に隠れる。もしも今、誰かが傍へ寄ればすぐに見つかるだろう。


 ジッと息を殺していると、足音がこちらへ向かって来ているのがわかった。約束の時間は朝食後だが、窓の無い部屋では時間の経過も把握出来ない。バルセルゲンが戻る前にキサラが捕まれば、最早打開の策はないだろう。


 膝の上に手記と封筒を置き、口元に手をやる。呼吸も、鼓動すら相手に聞こえてしまうのではないかという懸念があった。出来る限り小さく丸まり、キツく目を瞑る。


「キサラくん」


 トン、と肩に手を置かれ飛び退いた。咄嗟に距離を取ったが、今のはバルセルゲンの声である。


「良かったハドロニア様、もう時間になりまし……た……??」


 一瞬、それが誰だかわからなかった。キサラは思わず上から下まで視線を滑らせ、体格が同じであることを確認する。先程別れたときとはまるで別人だ。

 伸びきった髪の毛と髭は短く切り揃えられ、さっぱりとした印象になっている。着ていた衣服も薄汚れてボロボロだったのに、今は憲兵隊の騎士たちと同じ服を身に纏っていた。


「囚われていたとわかる恰好で出歩くのは、どうにも目立つからな」


 キサラの驚きの表情を見てか、一応の説明が入った。しかし、不審だと思われたから呼び止められたのでは。


「無事に書き終えたようだ」

「中身を確認しますか?」

「いいや、それをしては建前が無駄になる。最後まで君に託そう」

「わかりました」


 バルセルゲンの顔がバッと部屋の入口へ向けられる。どうかしたのかと尋ねる前に、人差し指を唇に寄せる仕草で「静かに」と指示された。

 バルセルゲンはサッと椅子を引くと、机の下に手をやる。


(取っ手?)


 ちょうど机の天板に隠されていたが、床には取っ手が付いていた。バルセルゲンがそれを静かに持ち上げると、扉のように床が開く。


「中へ」


 それは下へ続く階段だった。キサラが先に滑り込むと、バルセルゲンも扉を支えながら椅子を手繰り寄せた。中は真っ暗である。


 封筒と手記を持ったままの手で壁を探ろうとしたが、暗がりに目が慣れる前、シュボっと音がして灯りが灯った。光源を辿ればバルセルゲンの手にランタンがあり、同じものが壁に二つ吊るしてある。

まだここでは外に声が聞こえるようで、もう一度「静かに」という合図をされた。


「ここまで来れば、外に声が届くことはない」

「この階段は一体どこに続いているんですか?」

「実際に見た方が話すよりも早い。こちらへ」


 ランタンは狭い範囲しか照らせないため、先はほとんど見えない。全容がわからないことも相まってか、不気味な空間に思えた。階段の途中には何もなく、下に着くまでひたすら降り続けるしかない。


「ここだ」


 目の前には鉄で出来た重厚な扉が待ち構えている。けれど鍵はかけられていないようで、バルセルゲンが片手で押すだけで開いた。もしもこれを押したのがキサラだったら、きっと微動だにしなかっただろう。


 扉の中を見ればまだ通路が続いており、進んだ先に開けた空間がある。ここはかなり広い。

端から端までの距離を見ると、何十人と寝転んでもまだ余裕がありそうだ。中央の床には巨大な魔法陣が描かれており、その天井からは鎖が吊り下げられている。


 鎖の先にある手錠が、ここで行われていた実験をキサラに訴えかけた。

すぐ傍には机があり、本が無造作に積まれている。その他にも、何に使うのかわからない道具が壁に並び、放置されたナイフや、薬品と思われる瓶の方から異臭が漂ってきた。


 魔法陣の周囲をよく見ると、黒ずんだ汚れが広がっている。──血の跡だ。


「ここにはかつてカレディナが居た」

「カレディナ? 確か、この監獄塔の名前ですよね」

「ああ。各地の監獄塔にはそれぞれ別の名前が付けられている。地名でもなければ領主の家名でもなく、カレディナとは、この地で討たれた堕天使の名だ」

「討たれたはずの堕天使が、ここに?」

「聖魔塔。この塔は魔へ転落した者を魔法陣に縛り付け、その魔力を吸い上げるための塔だった。どういう理屈かは知らないが、堕天使は魔物へと変容していくのだそうだ。カレディナの場合封印を以て討伐完了となったのだろう。この塔は、堕天使や魔法陣と共に現代まで至ったというわけだ」

「そんなことあり得るんですか」

「あり得たからこそ陣は保たれた。カレディナは天使族の中でも特に長寿だったのではないかと言われているが、真実など誰にもわかりはしない。しかし魔力を奪い尽くせば朽ちることもあるだろう。何せ、魔力とは魔物にとっての生命力でもある。……実に驚異的な生き物だろう。天使とは」


 バルセルゲンは「天使」と語る時、何故か酷く傷付いた表情を見せる。キサラはそれに気付かないフリをして、耳を傾けるしかなかった。


「記録すら残らない遠い昔から、この監獄塔は存在している。何度も改修することで風化を防ぎ、崩落を回避してきた。そうして守られたのは、延命の意図もあったのではないだろうか」


 魔法陣の中心に囚われていた「カレディナ」。もしもそれが本当ならば、今はどこに居るのだろう。

逃がされたのか、はたまた魔人の実験が行われる前に力尽きてしまったのか。手記には記述が無く、また“声”も堕天使の存在を言及しなかった。つまりキサラが監獄塔に連行される頃には、魔法陣は空だった。


「記録によれば、カレディナから奪った魔力を使い手錠の拘束力を高めていたようだ。魔力が尽きるまで自力では抜けられない術式だと聞いている」

「消滅してしまったんでしょうか」

「それはあり得ない。仮に消滅していたのなら、『鐘』が鳴る」

「鐘? それって……」


 扉が開く音がして、咄嗟に二人は身構えた。通路を走り誰かが部屋へ駆け込んで来る。


「バルセルゲン。こんなところで何をしている」

「バゲルか。早かったな」

「貴様が牢に居ないと報告があった。どういうつもりだ」

「それで真っ先にここへ駆けつけるとは。さすがだ」


 バゲル騎士は激昂しながら剣を引き抜き、バルセルゲンに向ける。


「自分が何をしたのかわかっているのか!」

「わかっていないのは、お前の方だ。バゲル」


 祈るような声はバゲル騎士に届かなかった。そのままジリジリと距離を詰められ、キサラたちは後退していく。


「条件にあった通り大人しくしているだろう。約束を違えたわけでもあるまい」

「何を白々しい。今だとて牢から出ている身ではないか」


 キサラには二人の関係性はわからない。同期であったのかもしれないし、上司部下の間柄だったのかもしれない。友人という可能性さえあった。

 今、この場で一番戸惑っているのは何を隠そうバゲル騎士である。長く沈黙を貫いて来たバルセルゲンが、自ら牢を出たことで酷く動揺しているようだ。


 バゲル騎士が何事か口にしようとした瞬間だった。突然大きな地響きがして、地下が揺れる。


「馬鹿な、ここには結界が」


 バゲル騎士はバルセルゲンを一つ睨むと、迷う様子を見せながらも踵を返して走り去った。キサラが見上げれば、バルセルゲンも同様に険しい顔をしている。


「出口、塞がれてるなんてことはないですよね」

「そんな余裕はないはずだ。今のうちに私たちも戻るとしよう」


 言い終わるが早いか、二人は走り出した。

バルセルゲンは長年牢に囚われていたとは思えない程の脚力を見せた。牢内で鍛えていたか、或いは常習的に抜け出していたのだろう。だから移動中、誰にも遭遇しなかったのだ。


 きっと彼は、ただ機会を窺っていたわけではない。あらゆる偶然が重なって出来た「最善」を選び取っただけで、キサラが居ても居なくても、バルセルゲンはいずれこうしていたのだろう。


 階段を駆け上ると、キサラは腕を掴まれ一気に引っ張り上げられた。


「詳しい状況は不明だが、この中央塔はどうやら攻撃を受けているようだ。兵器が持ち込まれたか魔物が来たか、何にせよ傭兵程度では対処しきれないだろう。混乱に乗じれば移動は容易い」

「うわ!」


 キサラはまるで荷物のように肩へ担がれた。駆け出したバルセルゲンの動きは、まるで重みなど感じていないかのような速さである。


「牢に着き次第、君たち兄弟を解放する」

「他の人たちはどうなるんですか」

「適切に対処しよう」


 今優先すべきはキサラの持っている封筒の中身だ。言外にそう伝えられ、キサラは一つ頷いた。



「キサラ!」

「キサラくん、お帰りなさいー」


 テイザやジェリエの様子からして、この辺りには特に被害も出ていないようだ。キサラがホッと息を吐く横で、全ての人間の視線が、突如現れた騎士へ集まる。

そしてそれが誰なのかわかった途端、空気を揺らす程の歓声が上がった。


「ハドロニア様!」

「ハドロニア様だ!」

「いつお戻りになられたんだ!」


 牢に囚われていたことを知る人物こそ少ないが、今はそれで良かったのだろう。地響きへの恐怖はバルセルゲン登場の衝撃へと塗り替わっていく。


 が、歓声と轟音に混じり、何かの咆哮が響いた。辺りはすぐさま動揺の色を見せたが、バルセルゲンが「この場は私が預かる」と力強く宣言したことで、ひとまず静まった。


「今外へ出るのは危険だ。よってそのまま待機してもらおう」

「そんな、今すぐ出してください!」

「ここは安全なのですか?!」

「説明の時間はない。騎士や兵士相手に立ち回れる自信がある者のみ手を挙げよ」


 不満そうな顔をしていた者も含め、皆が押し黙った。一人当たりの戦闘力だけでも差があるというのに、兵士たちはその数でも上回っている。何より英雄と名高い男相手に、勝てる自信などあるわけがない。


「騎士はさておき、傭兵程度なら」


 そう手を挙げたのは二人。バルセルゲンは当然だと言わんばかりの顔で鍵を開けて行く。そうして中から一人進み出ると鍵をかけ直し、別の牢からも同様に一人を出した。


「紹介しよう、私直属の部下たちだ。彼らは中央塔内部の様子を、随分前から探っていた」


 騎士様が何故牢に? つまりどういうことだ? と再び広がったざわめきを、バルセルゲンが右手を上げることで制す。


「塔で行われてきたことは明らかな不当行為と判断した。私はお前たちを必ず解放する」


 キサラの視界に入るのは驚きの表情や、感激の顔である。勿論誰も野次を飛ばしたりはしない。

バルセルゲンの部下二人がそれぞれ準騎士と騎士であることも明かし、これから安全確保に加わることを宣言する。

そうなれば「では彼は?」とキサラは注目を集めてしまった。位置的にもバルセルゲンの隣、かなりの重要人物に見えなくもない。


「彼は騎士でこそないが、中央塔解放に向け既に多大な貢献を果たしている。安心しなさい」


 何せ、凡庸な少年だ。本当に任せられるのか? といった不安そうな表情も見えるが、一応異論は上がらない。この状況で口出し出来る人間も、そう居ないだろうが。


 バルセルゲンは「自分も牢を出たい」という声を黙殺していった。牢から出せば混乱は必至、魔物に対応しながら大勢の人間を守ることは、いくら英雄といえど不可能である。


 現状部下……正確には元部下だが、この二人が誘導や護衛に当たり牢を解放したとしても、手が足りない。バルセルゲン本人が魔物の対処に回り、部下たちは一か所で守りを固めた方が良いというわけだ。


 とは言いつつも、極限状態の中では誰がどんな行動を起こすかわからない。外部からの攻撃、地響きや咆哮などはバルセルゲンの作戦の一部であるとした。

緊張感こそ残るものの、皆一様に安堵している。


「不測の事態に備え、牢ごとで協力し準備しておきなさい。まずは寝台を盾代わりに。脱出時に危険が無いという保証は出来かねる故」


 それを聞いて男たちは慌ただしく動き出す。これで多少は気も紛れるだろう。


「お前たちはここに残れ。見張りを装うように」

「「はっ」」


 どこから調達してきたのか、部下二人にも騎士服が手渡された。


 牢に味方を潜入させていたということは、看守や見回りの人間にも内通者が居た可能性は大いにある。「不当行為」裏付けのために配置され、必要なときに証言させるための人員だろうか。


 キサラが魔人告発のために選ばれたのは、少しでも告発者と接点があれば繋がりを疑われ、人質を殺される可能性が高いからだろう。

理屈はわかるが、何かが引っ掛かる。キサラはモヤつく気持ちを何とか抑え、とにかく体の震えを悟られないように努めた。


「鍵は預けておく。非常時の対応は任せるが、私が戻るまで最善を尽くせ」

「こちらの少年は?」

「作戦の要だ。私が護衛役といったところか」

「しかしまだ未成年ではありませんか」

「だから逃がすのだ」

「差し出がましいことを申し上げました」

「万全を以て完遂致します」


 二人はどうやら「作戦に重要」というのは建前で、少年をいち早く安全なところへ逃がすと信じているらしい。

 ということは彼が息子を取り戻す作戦に、内部の協力者は一人も居ないのだろう。


「お兄さんを牢から出すと良い」

「ありがとうございます」


 テイザが一緒でない限り、キサラは監獄塔を脱出しないとわかっていたのだろう。ありがたく提案を受け入れ牢を開錠すると、ジェリエもテイザの後に続いた。


「なんでお前まで付いて来た」

「意外と僕も使えますよー? それにー、牢ごとの行動なら僕も当然入ってますよねー?」

「ハッ、足を引っ張るなよ」

「それはこちらの台詞ですー」

「早くこちらへ」


 ジェリエを牢へ戻している時間もない。バルセルゲンは中庭にキサラたちを誘導すると、ここからは別行動だと告げ、道を口頭で伝える。


「ハドロニア様はどうなさるんですか」

「騎士が一人も現れないのはどうにも不可解だ。私は中を探るので、君たちは外へ逃げなさい」

「わかりました」

「あの壁に沿って行くのが良いだろう。全力疾走は体力の消耗が激しい割に移動距離が稼げない。ここぞという場面に取っておきなさい」


 爆発のような音や吠えるような声は今も上がっていた。距離としては遠いようだが、先ほどから段々と大きくなっている。


「それにしてもうるさいですねー」

「騎士たちが制圧すればすぐに終わるはずだが、


 バルセルゲンが何かに気付き、三人をまとめて抱え上げながら走り出した。

見れば先程まで立って居た場所が地鳴りと共に割れ、崩れていく。


「一体何が起こっているんだ」

「中央塔を中心に結界が張ってあるはずだが、どうにも妙だな。発動場所から距離が開けば多少効果も弱まるが、範囲としては監獄塔全体に行き渡っているはず。ここまでの被害が出るということは、高位の魔物が入り込んだのか?」

「えー、結界なんて無いみたいですよー?」


 ほらー、などと気の抜ける声で示したのは、なんと魔物だった。


「まさか、監獄塔の敷地内で魔物を見ることになるとはな」


 魔物といっても小物なのだが、小物であるからこそ結界を破ることも入り込むことも出来ない。ジェリエの言う通り、効力は切れているということだ。


「所有の証が見えない、ということは召喚されたものではないな。野良の魔物だ」

「なぁ、中央塔の奴らはあのままで良かったのか? 今からでも逃がした方が」

「いや、出した方が危険と言うのは本当だ。結界が断たれたことを考えれば、敷地内から出た時点で餌食になるだけだ。あの二人が対処した方が余程良い。──咆哮が呼び水となって魔物が集まって来ているのかもしれないが、事態を収束しなければ話にもならんな」


 一閃。バルセルゲンが持っていた剣を引き抜くと、次の瞬間野良の悪魔が地面に倒れ伏していた。迷いのない動き。圧倒的な強さ。

これこそが騎士だとテイザの目が輝き出した。


 あっさりと倒されたようにも見えるが、そこはバルセルゲンの腕である。自分たちでも簡単に退けることが出来るなどと、考えてはならない。


「あー、見てくださいー」

「また野良か?」

「ちょうど良い感じの棒ですー」


 ジェリエは上機嫌で落ちていた木材を拾い上げる。テイザは呆れた顔をしていたが、武器は必要だとすぐに切り換え、自分の分を探し始めた。


「彼らは今の状況を理解しているのか」

「あぇ、わかっているとは、思います」

「怯えて動けなくなるよりは良いが、緊張感がないのも問題だ。ところで君のそれも中々だが、こちらにしておきなさい。長すぎると振りが大きくなるせいで隙が出来る。君の体格ならこれくらいが適しているだろう」


 三人の「剣かっこいいな」の気持ちが溢れ出た結果、各々武器を確保してしまった。バルセルゲンはソッとキサラの持っていた木材を回収し、短いものに持ち替えさせる。


「このままでは逃げたところで君たちは全滅だ。こんなことになって悪いのだが、先に結界を張り直させてもらう」


 三体の魔物を一気に倒し、バルセルゲンは別方向への誘導を始めた。今敷地内に入り込んでいるのは野良の、それも小物の悪魔たちだが、外にはもっと強い個体が待ち構えていると予想している。結界の効力を取り戻し、魔物たちを追い払うことが監獄塔脱出の必須条件ということだ。


「魔物たちは何らかの要因で引き寄せられているものと思われる。戦闘が行われた際に何匹か寄って来るのはよくある話だが、これだけ集うとなればやはり異常だ」


 この間もバルセルゲンは次々と魔物を切り伏せているが、数が多い。テイザとジェリエも自然と戦闘に参加するようになった。


「ただの木でも結構やれるな」

「小物ですからねー」

「そっち行ったぞ」

「えいー」


 次第に慣れて来たようで、二人も好き勝手に暴れる。曰く「数が多いだけでまだ弱い個体」らしいのだが、キサラは顔を青くして震えるばかりだ。そもそも専門職でもない限り、キサラの反応が正常である。その辺で拾った棒を振り回すだけで何とかなっている、あの二人の方がおかしい。


「ギュウギュウー!」


 キサラの目の前には、小型の魔獣が居た。両手で抱え上げられそうな小動物の姿だが、目は充血し、歯茎も剥き出しで威嚇してきているため可愛げはまるでない。

 ついでに頭にある角はとても危険で、刺されたら出血だけでは済まない。何せ瘴気が纏わりついていて、人体には毒である。もし刺されてしまった場合、傷口から毒を流し込まれて終わりだ。


「あの、ご相談なんですけど」

「ギャウゴフー!」

「うわー!!」


 知能ある個体であれば多少時間を稼げたのだが、魔獣は問答無用でキサラに飛び掛かった。咄嗟に手にしていた棒を噛ませたが、ものすごい早さで溶けている。驚いて魔獣ごと投げ捨てたものの、弱い個体とはいえ魔獣は魔獣だった。

 バルセルゲンは少し離れた位置に居り、テイザやジェリエは他の魔物と戦っている。助けは、ない。


「ギャフヌヌー!」


 魔獣が歯をガシガシと鳴らしながら再びキサラに襲い掛かった。咄嗟に腕で顔を庇い、キツく目を閉じる。

が、いつまで経っても何の衝撃もない。


「ったく、俺が居ねぇと本当に駄目だな? キサラ」


 そろ、と腕を退かすと、前方には角を折られてぎゃふぎゃふ鳴いている魔獣が居た。その上には何かが乗っている。

 今喋ったのは一体。キサラが辺りを見渡しても、他の三人は相変わらず同じ位置に居る。もう一度魔獣の上に乗っているものを見つめ、目を凝らす。


 するとそれはキサラを見上げ、続けざまにふん、と鼻を鳴らした。


 赤い目。瞳の奥に炎のような揺らぎが見える、不思議な目だ。


「……兎?」


 そしてそれは、凶悪的なまでにふわっふわのもっふもふだった。



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